「これ以上、“もっと”って言ったらどうなるの?」
れんが、わたしの耳元で囁く。耳朶に触れるれんの呼吸は熱くて、甘い。言葉と共に押し寄せる質量に脳が溶かされそうになる。熱に冒された思考が、必死でれんの言葉を咀嚼する。
これ以上。もっと。
今でさえ、こんなに近くて、れんの体温や言葉や滑らかな肌に鼓動を無茶苦茶にされているのに、もっと、なんて。
ぼんやりとした思考の中、視線が自然にれんの顔の、ある一部分に注がれる。その薄く艶やかな唇へと。
え。違う。なんで、そんな。わたしは自分の無意識に驚いて、慌てて頭の中へと侵入しそうになったものを振り払う。それから、結局まとまりのない言葉をれんに差し出す。
「わ、わからない」
「そっか」
諦念の滲んだ言葉。れんの身体がわたしから離れる。少しの寂しさは感じながらも、ほっと胸を撫でおろす。これで、このうるさすぎる思考と鼓動から、解放される。
しかし、れんは曖昧なままでは、許してくれなかった。再び、れんの囁きが襲う。
「じゃあ、お姉ちゃんがわかるまで、こうしてるね」
そう言って、れんはわたしの身体を更に強く抱きしめる。それはまるで捕食者のような動きだった。小さなわたしの身体に絡みつくように、れんの身体が密着した。油断していた鼓動が加速度的に煩くなった。このままじゃれんに聴こえてしまう。そんな風に思ってしまうくらい、れんは近くて。
れんが触れると、毎回、五感が研ぎ澄まされてしまう。まるで、れんからもたらされるものを、何一つ、逃さないように。そんな、れんを捉える感覚は、日に日に鋭敏になっているようで、いつもは自分の鼓動の音に必死になっている聴覚が、別の音を拾う。
それは、わたしとよく似た、鼓動の音。れんの鼓動の音。その心臓はわたしと同じかそれ以上に、大きく小刻みに早鐘を打っていた。
平然とした顔の裏で、れんの鼓動も大変なことになっていた。冷静さを保った表情の裏、心臓の音だけがこんなにも熱い。
その事実を認識した瞬間、脳が甘く痺れた。それから、まるで好きな子へのいたずらを思いついた子供のように、そんなれんの隙を突きたい衝動にかられる。
一度、侵入した思考を止めることはできなかった。
わたしは、先ほどのれんのように耳元に口を近づけ、囁く。
「逆に、れんはどうしてほしいの?」
わたしが言葉を放つと同時、れんの身体がびくりと震える。
「……わか、ら、ない」
いつもは平淡なれんの言葉は波打っていて、絞り出すような弱弱しい声がわたしの何かに火を点けた。試合の時はあんなにかっこよかったれんが、わたしが囁くだけで、こんなにも弱っている。そんなことを考えると、背筋が粟立つような感覚に襲われた。
わたしは更にれんを責め立てるように、言葉を畳みかける。
「わからないのに、わたしに訊いてたんだ」
くすぐったいのか、れんは身体をよじる。わたしは、逃がさぬようにぎゅっとその身体を抱きしめ、なおも続ける。
「ねえ、れん。本当は、どうしてほしいの」
れんが小さな声を漏らす。吐息が甘い。わたしが言葉を放った先、れんの耳朶は、真っ赤に染まっている。その色の美しさに目を奪われ、しばし、眺める。吸い込まれそうになる。そして、視線をゆっくりと下に向ければ、その頬も同じ美しさに染まっていて、触れる体温の至る所が熱を帯びていて、唇は、震えている。そこから、言葉が放たれた。
「お姉ちゃんの、いじわる」
そんな幼い言葉に、脳が真っ二つに割れそうになる。もっと続けたい自分と、我に返り始めている自分。わたしはお姉ちゃんで、れんを守らなければいけないのに。れんを虐めたらだめなのに。
相反した二つの感情が戦って、結局、れんの幼さから、姉としての自分が主導権を取り返す。というか、いつ何時も、わたしはれんのお姉ちゃんだ。お姉ちゃんは妹には優しくしなければいけない。
そんな当たり前に気づいた時には、すっかり頭はいつも通りに戻っていて。
「ご、ごめん! なんか変なスイッチ入っちゃって」
そう言って慌ててれんから身体を離す。ベッドの上で隣同士、適切な距離を保つ。
れんは、わたしの謝罪に俯いて、それからボソッと呟く。
「べつに嫌では、なかった、けど」
「え?」
おもわず、聞き返す。いやではなかったってどういう……?
そんなわたしの疑問符に蓋をする様に、れんがわがままを落とす。
「まあ、けど、寝てるとき、ぎゅってしてくれたら許す」
そんなささやかなわがままにさっきまでの熱も、疑問も全て吹き飛ばされ、思わず、笑みがこぼれる。そして、その隙間から、言葉も。
「かわいい」
「うるさい」
れんは真っ赤な顔を隠すようにベッドへと転がった。