「さっき言ったことは忘れて」
そんなれんの言葉が忘れられない。
「だって、お姉ちゃんは、私のお姉ちゃんだから」
やっぱり、忘れられない。昨日のれんの言葉や表情が脳裏にこびりついて離れない。同じところをぐるぐると回るような思考回路が、入眠の邪魔をして、浅い眠りと覚醒を繰り返している。
ベッドの中、意味もなく寝返りを打つ。うまく寝付けないときというのは大抵今みたいに思考の袋小路に嵌っている時で、そこから脱却すべく何か別のことを考えようと方向転換を図ると、行きつくのはラブレターのことで、結局悩みの種は尽きない。
多分、答えだけはもう出ている。今のわたしは告白されても想いを受け入れることはできない。だって付き合うとか、恋愛とかまだ自分のこととして考えられないし、今でも本当にわたしなんかが告白されるのか半信半疑でいる。そんな中途半端な状態で相手の想いを受け入れるなんて失礼だと思う。
ただ、答えが出たからと言って問題が解決するわけでは決してなくて。例えば、どうしたら、相手を傷つけずに断ることができるだろう、とか。そもそも、その付き合わないっていう答えは、昨日のれんの言葉に少なからず影響されているのではないか、とか。
結局、れんについての思考に戻ってしまう。どうやら、今日のわたしに安眠は訪れないみたいだった。
いっそのことコーヒーでも淹れようかな。わたしはベッドから起き上がる。カーテンの隙間から外を覗けば、空はもう既に白み始めていた。ふわふわとした薄水色が彼方のオレンジと混ざり合いながら、夜をゆっくりと塗りつぶしていくその最中。遠くでカラスが鳴いているのが聞こえた。そんな外の様子に、自分は寝れなかったんだなぁと、重い頭でぼんやりと思った。
とりあえず、顔を洗おう。わたしは部屋を出て洗面所へと向かう。すると、階段がぎしぎしと鳴って、程なくして、ふらふらと覚束ない足取りで、れんが階段を降りてきた。それから、わたしの姿を認めて、びくりと身体を震わせた。
「おはよう」
いつもは無視される挨拶。
「……おはよ」
しかし今日は返してくれた。力のない、れんにしては、珍しい、ふにゃふにゃと柔らかな声で。わたしは半ば返事がくるのを諦めていたから、思わず、れんの顔をまじまじと見る。
「なに」
そんなわたしの視線にれんは訝しむような、いつも通りの硬い口調を取り戻した。
「いや、なんかこの時間に顔を合わせるの珍しいなぁと思って」
いつもわたしが起きるころには、れんは身支度を済ましているから、起き抜けのれんの姿は相当レアだ。寝間着姿で、髪は少し跳ねていて、目は軽く充血している。
「見すぎだから」
「あ、ごめん」
れんに指摘され、わたしは慌てて目を逸らす。それから、遅れて昨日のやり取りとかを思い出して、どんな顔でれんと向き合えばいいか途端にわからなくなる。
お互い慣れない空気感に戸惑っていると
「おはよう、今日は愛も早いんだね」
寝室からお母さんが出てきた。
「おはよう、なんか寝付けなくて」
「あら、それは大変。今日は五月のわりに暑くなるらしいから体調悪くなったら、すぐに先生に言うんだよ。それと、れんもおはよう」
「おはよう」
「ってあんた、その目の隈どうしたの。姉妹揃って寝不足?」
確かに、見上げるようにしていたから影で気づかなかったけど、れんの目の下にはうっすらと隈ができていた。
「っ、べつに、ふつうだから」
れんは足早にお手洗いへと消えて行った。
「あの子は相変わらずねぇ」
お母さんは呆れたように笑った。
それ以降、慌ただしく過ぎる朝の時間の中で、れんとはまともな会話はできなかった。
「コーヒー淹れようか?」
って聞いても
「いい」
と一蹴された。すっかり元通りの冷たいれんで昨日のことは無かったことになったようだった。少しだけ、そのことが寂しかった。