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第70話 チュートリアル:亡霊

 忌々しい惨劇から早十数年。


 心身共に疲弊し、最愛の妻と子供たちを亡くした私は生きる希望やその意味ですら失った。

 焼けた屋敷は既に廃墟と化し、人が寄り付く事も無い。


 いや、


 事の発端を今更究明しようとも思わない。究明したそこに何があると言うのだ。発端を知ったからと言って、誰が称賛や名誉をくれる……。


 誰も居ないのだから。


「……」


 どこかの国のどこかの廃墟の一室で火をくべる。


「……。……」


 火を見ていると覚めない悪夢の様に毎日思い出す。


 あの惨劇の後を。


 燃えたのは、燃えていたのは私と家族の屋敷だけではなかった。涙に滲んだ視界で確認できたのは銀色のだ。

 それは瞬く間に街を燃やし、地中海でもっとも美しいと言われた街におびただしい血を撒き散らしていった。


 あの銀色の殺戮者は何者だったのだろうか。なぜ――


「……気配がする」


 首だけを動かして周囲を見渡す。瓦解された隙間から見える森。ボロボロになった私のコートが風で靡く中、二つの眼光が私を見た。


 虫の音が夜の帳を知らせる。


 夜の天明が射すと、そこには大きな角の生えた鹿が居た。

 目と目が合い緊張が走る。パキリとくべている木が割れると、何事もなかった様に鹿が背を向いてこの場を後にした。


「……猛獣の類ではなかったか」


 鹿。そう、鹿だ。


 銀色のアレは、息をするようにさも当然に、丁寧に丁寧に人だけを殺していった。飼っている動物や草原にいる昆虫を無視して。


「……頃合いか」


 手製の櫛にさした肉が香ばしい匂いを漂わせた。水筒に入った水を一口飲み込み、肉を頬張った。


 肉の繊維が切れる感触が伝わる。


 今食べている肉は鹿の肉だ。先ほど現れた鹿は焼かれた同胞の肉を見て逃げたのだろうか。今では分からない。


 どうしてもやるせなく、希望も見いだせず、こうして生を感じている時に、ふと思う事がある。


 ――なぜ私は、生きようとするのか。と。


 この数十年を放浪し、私以外人間は死んだんだとほぼ確信した。同族のいない、同じ生物がいない世界に、いったい何の意味があるのか。


 命を喰らい、どうして生きねばならないのか。


「……っ」


 この抜き身のナイフ。これで喉を掻き切れば事が済む。愛した子供たちと、最愛の妻、メルセデスのもとへ行ける。


 まだ世界を回り切っていない。だから人が居ないと断言できない。そう心の何処かが訴えてくる。


 だからと言って――


「拭き切れないシミの様な寂しさは、どう足搔いたところで拭えないのだ」


 夜明りを反射するナイフ。研いだばかりだ、しっかり喉を裂いてくれるだろう。


「――ふぅ」


 喉に刃を当てて目を瞑る。


 浮かんでくる光景は苦楽を共にする友人、家族。そして――


「――メルセデス」


 今、そっちに行く。






 ――■■■■。


「……なんだ」


 どこからか声がした。それは人の声の様で、でも違うような。


 獣を警戒して出したナイフをしまい、声の残滓を辿ると、少し離れた床にドアの取っ手らしきものがうかがえた。


 何の躊躇もなく力任せにこじ開けた。さっきまで自死しようとした人の揚々さとは思えないと口元を吊り上げる。


 空明りに照らし出されたのは階段。空気が入り吸い込まれそうになる。まるでこちらを招いているかの様だ。


 暗い暗い暗黒。階段の下は闇。意を決して一段降りて見ると、静かに静かに壁に光が灯った。


「……火ではない?」


 始めて見る光源の無い光。光に触れても熱くない不思議な光だ。それが誘う様に、一段、二段、降りていくに連れ灯っていく。


 一番下に辿り着いた。底には今にでも崩れ落ちそうな古い扉があった。


「……っ」


 扉に触れようとしたその瞬間、風が起こしたのか、扉が一人でに開いた。


 この背中を撫でる様な底知れない不気味さを感じながらも、私は取手を掴み普段通りに扉を通った。


 灯される眩い光に目を細めてしまう。そして。


「……なんだここは」


 広い。とても広い地下室だ。


 そこら中に机があり、その上には一生をかけても読み切れないと思わせる膨大な本が乱雑に積み上げられている。本だけではない。謎の液体が入った透明度の高い瓶も多数ある。それらを配合するための瓶もあるようだ。


 そして一番目立つのがある。


 床一面に描かれ彫られた謎の模様、陣とも言えるものが描かれている。


「……っは!」


 ここは何だと頭を捻らせていた時だった。思い出した。昔、まだ人が栄え、他国と交流があった頃、が居た事を。


 ちょうどここがその者達がいた国だったと思い出す。


 それからは、何かにとりつかれた様に本を読み漁る毎日。


 一週間。


 一ヵ月。


 一年。


 十年。


 百年。


 千年。

 ・

 ・

 ・


 見た事も無い言語も読めるようになっていた。


 それを不思議がる事も無く、禁忌を犯す一派は、ある一つの事柄に執着していた。


「幻想や死霊、生きる者から死せる者まで統べて掌握しようとしたのか……」


 夢物語の生き物――悪魔や天使。角の生えた馬や便器に座る鬼。


 生を司る者。今を司る者。死を司る者。時、空間、次元に宇宙。


 すべてを統べる存在に昇華するべを模索していた様だ。だが等の一派は失敗に終わったようだが……。


「馬鹿馬鹿しい」


 本を閉じながらそう言って投げた。


「死を、今を、生を、次元に空間に時、宇宙だって? 真面目な本を用意しておきながら内容はコレか!」


 幾度と配合した液体の入った瓶を乱暴に投げる。


 ――会いたくないのか?


「私を愚弄する気か。調子に乗るなよ亡霊どもめ」


 ――会おうと思えば会えるじゃないか。


「妻たちは久遠の楽園にでも居ると言うのか? 死せる先に場所があるとでも?」


 椅子に座り耳障りな幻を手を払う様に巻く。


 ――すでに我らが成しえなかった事象すら理解しているのに。


「戯言を……。神にでもなった気でいる貴様ら亡霊が何を言う。差異次元にも及ぶ交霊術なぞなんの役にも立たなかった! 降りてきた妻は妻ではない! 私の知る妻のまがい物だった!!」


 机にある大量の本を意志一つですべて吹き飛ばす。


 苛立ちが募るばかりだ。


 ――なぜ自分の妻が降りてこないか分かっているだろう。


「……」


 亡霊どもの意志が私を見る。


 ――奴は喰ったモノをその身の内に内包する。解き放てばまみえる事は叶う。


 ――――奴と同じ存在――君主ルーラーになれば殺せる。


 ――悔しくないのか。


 ――――魂を肉体から解き放つんだ。


「だまれ」


 ――今のままでは返り討ち。


 ――――喰われてしまう。


「だまれだまれ!!」


 ――――怖いのか。


 ――恐ろしいだろう。


 ――――お前は弱い。


「だまれだまれだまれえええええええええ!!!!!」


 膨れ上がった怒りが咆哮と化し、無数にいた黒い人影たちが一斉に散った。


「っは! ッハ! ックソ!」


 すべて、すべて亡霊共が言った事は正しい。


 奴を倒せばすべて叶う! だが同時に恐ろしい! あの惨劇を目の当たりにした事で今でも震えあがる! 真っ当な生物なら挑もうともしないはずだ。


 だが!


 だが。


 だが……。


「……己が物にしよと言うのか」


 ――そうだ。


「時間や空間、差異次元にも及ぶ負の想念集積体である貴様らを……!」


 ――――そうだ。


 ……わかっていた。耳障りにもほどがある亡霊たちを取り込めば一縷の望みがあると。無限にも等しい力を制御するにはしかない事も。


「ンク」


 水を一杯飲んだ。


 投げたグラスが割れた。


「――どうやら、覚悟が必要らしい」


 椅子から勢いよく立ち上がった。

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