「あんまりだ。そんな真実、あんまりじゃないか……」
本当は、苦しんでいる彼女に気を遣うべきなのに。
これほど現実離れした事実を伝えられた僕自身が、自分を保てなくなりそうだった。
「友一……ごめんなさい」
目の前で頭痛に苦しむ彼女から、僕への謝罪の声が漏れたのを聞いて、僕ははっと我に返った。
今の状況を一番辛く感じているのは、僕じゃなくて彼女なんだと、ようやく悟る。
「きみは、これからどうなるんだ」
僕は今、彼女に対して一番気になっていることを訊いた。
彼女は、僕から目を逸らして、天から降る雨を追うように俯いて、ポツリと呟く。
「……消えてしまうと思う」
「消える……」
「うん。だんだん色んな人から見えなくなっていって、遠い存在の人から私が見えなくなって。最後に、一番近いあなたから、私が消えてしまうと思う……」
「そんな……」
「もうね、私いま、どんどん力が抜けてくのっ。友一の声が、遠くに聞こえてってる……」
「嘘だろ」
まさか、そんなに早く彼女が消えてしまうなんて。
だって、たった今、彼女の記憶が戻って、彼女の真実が分かったばかりじゃないか……?
それなのにもう、お別れしなくちゃいけないのか?
そんな残酷なことを、神様は僕らに強いるのか。
「待って。待ってくれ。まだ、いかないで、くれ」
喉の奥から必死に絞り出すようにして、僕は彼女に懇願する。
「友一……ほんとに、ごめんね」
けれど彼女は、「ごめんね」を繰り返すだけで、僕の願いを聞いてくれる様子はなかった。
いや、きっと彼女だって、本当は消えたくなんかないはずで。僕は彼女がどこにも行かないように、右手で彼女の左手を握ろうと試みる。が、僕の右手は彼女の手をすり抜けて、宙を掴んだ。
その事実に、僕は言いようもないほどのやるせなさを覚えて、たまらなくなって、今度は彼女を抱きしめるフリをした。
予想通り、僕がそうした時には、既に彼女の体温を感じられなくなっていた。
そして、何という皮肉だろうか。
朝からずっと降り続いていた雨が、運命に翻弄される僕たちを嘲笑うかのように弱まって、止んだ。
「夏音っ……お願いだ。いかないでくれ」
「……」
「僕は今まで、きみをたくさん一人にしてしまったんだ。だからさ、罪滅ぼし、させてくれよ」
「……」
「ごめん、そうじゃない。僕にはきみが必要なんだ。きみがいない世界は、灰色で、ちっともつまらないに決まってる。だから——」
みっともないと思われるほど、僕は彼女を必死にこの世に引き留めようとした。何度も何度も、夏音の体温を感じようと、神経を尖らせて彼女の身体が戻って来るように心の中で願った。けれど彼女は、一向に温かくはならなかった。
「……友一」
今にも消えてしまいそうな彼女が、消え入りそうな声で、ポツリと、僕の名を呟く。それから、堰を切ったように彼女の中から言葉が溢れ出した。
「私だって、消えたくないっ……! ずっとずっと、ここにいたいよ。でも、もう無理なの。諦めるしかないのよ。私、死んでたけど……最後に友一と会えて、本当に幸せだったわ。でも、幸せだったぶん、ちょっといま、苦しい。神様は、どうして私たちを引き合わせたのかな。どうして私、また友一と出会っちゃったのかな。分からないわ。分からないけど……でも、私をもう一度受け入れてくれて、ありがとう……もう、いくね」
またね。
高校生の頃、文化祭の委員会の帰り道、彼女と二人並んで歩いた。
高校からさほど遠くない距離にある公園で方向が分かれるため、僕らはいつも、そこで手を振って別れていた。
その時から彼女に密かに想いを寄せていた僕は、去ってゆく彼女の後ろ姿が見えなくなるまで、公園の前で立ち尽くしていた。
そんなことを毎回繰り返して。
抱きしめていた彼女が、僕の目の前からいなくなった時、もう二度と、彼女との別れを繰り返すことはないのだと、身に染みて感じた。
雲の切れ間から差し込む夕暮れの光が、彼女をこの世から奪う美しい戦士みたいに、僕の目に映っていた。
【第四章 真実 終】