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20、美しい戦士

「あんまりだ。そんな真実、あんまりじゃないか……」


 本当は、苦しんでいる彼女に気を遣うべきなのに。

 これほど現実離れした事実を伝えられた僕自身が、自分を保てなくなりそうだった。


「友一……ごめんなさい」


 目の前で頭痛に苦しむ彼女から、僕への謝罪の声が漏れたのを聞いて、僕ははっと我に返った。

 今の状況を一番辛く感じているのは、僕じゃなくて彼女なんだと、ようやく悟る。


「きみは、これからどうなるんだ」


 僕は今、彼女に対して一番気になっていることを訊いた。

 彼女は、僕から目を逸らして、天から降る雨を追うように俯いて、ポツリと呟く。


「……消えてしまうと思う」


「消える……」


「うん。だんだん色んな人から見えなくなっていって、遠い存在の人から私が見えなくなって。最後に、一番近いあなたから、私が消えてしまうと思う……」


「そんな……」


「もうね、私いま、どんどん力が抜けてくのっ。友一の声が、遠くに聞こえてってる……」


「嘘だろ」


 まさか、そんなに早く彼女が消えてしまうなんて。

 だって、たった今、彼女の記憶が戻って、彼女の真実が分かったばかりじゃないか……?

 それなのにもう、お別れしなくちゃいけないのか?

 そんな残酷なことを、神様は僕らに強いるのか。


「待って。待ってくれ。まだ、いかないで、くれ」


 喉の奥から必死に絞り出すようにして、僕は彼女に懇願する。


「友一……ほんとに、ごめんね」


 けれど彼女は、「ごめんね」を繰り返すだけで、僕の願いを聞いてくれる様子はなかった。

 いや、きっと彼女だって、本当は消えたくなんかないはずで。僕は彼女がどこにも行かないように、右手で彼女の左手を握ろうと試みる。が、僕の右手は彼女の手をすり抜けて、宙を掴んだ。


 その事実に、僕は言いようもないほどのやるせなさを覚えて、たまらなくなって、今度は彼女を抱きしめるフリをした。

 予想通り、僕がそうした時には、既に彼女の体温を感じられなくなっていた。


 そして、何という皮肉だろうか。

 朝からずっと降り続いていた雨が、運命に翻弄される僕たちを嘲笑うかのように弱まって、止んだ。


「夏音っ……お願いだ。いかないでくれ」


「……」


「僕は今まで、きみをたくさん一人にしてしまったんだ。だからさ、罪滅ぼし、させてくれよ」


「……」


「ごめん、そうじゃない。僕にはきみが必要なんだ。きみがいない世界は、灰色で、ちっともつまらないに決まってる。だから——」


 みっともないと思われるほど、僕は彼女を必死にこの世に引き留めようとした。何度も何度も、夏音の体温を感じようと、神経を尖らせて彼女の身体が戻って来るように心の中で願った。けれど彼女は、一向に温かくはならなかった。


「……友一」


 今にも消えてしまいそうな彼女が、消え入りそうな声で、ポツリと、僕の名を呟く。それから、堰を切ったように彼女の中から言葉が溢れ出した。


「私だって、消えたくないっ……! ずっとずっと、ここにいたいよ。でも、もう無理なの。諦めるしかないのよ。私、死んでたけど……最後に友一と会えて、本当に幸せだったわ。でも、幸せだったぶん、ちょっといま、苦しい。神様は、どうして私たちを引き合わせたのかな。どうして私、また友一と出会っちゃったのかな。分からないわ。分からないけど……でも、私をもう一度受け入れてくれて、ありがとう……もう、いくね」


 またね。


 高校生の頃、文化祭の委員会の帰り道、彼女と二人並んで歩いた。

 高校からさほど遠くない距離にある公園で方向が分かれるため、僕らはいつも、そこで手を振って別れていた。


 その時から彼女に密かに想いを寄せていた僕は、去ってゆく彼女の後ろ姿が見えなくなるまで、公園の前で立ち尽くしていた。

 そんなことを毎回繰り返して。


 抱きしめていた彼女が、僕の目の前からいなくなった時、もう二度と、彼女との別れを繰り返すことはないのだと、身に染みて感じた。



 雲の切れ間から差し込む夕暮れの光が、彼女をこの世から奪う美しい戦士みたいに、僕の目に映っていた。





【第四章 真実 終】

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