「もう何もかも、どうなっているのか分からないけれど、さっきの桃の言葉が……私にとって、トドメだった」
——水瀬君、本当にそこに、夏音が、いるの……?
「あの言葉を聞いて、私は桃に自分が見えていないのだと知って……苦しくなった」
苦しい。
不安とか焦りとか懐疑とか、僕にはそんな「入口の感情」が渦巻いている中、彼女はそのもっと奥の、苦痛と闘っていた。
けれど僕はまだ、この入口の感情を、上手く制御するに値する情報を持ち得ていない。
「ちょっと待て。夏音が自分の存在を疑っているのは、よく分かった。でも、なんで……いや、いつ夏音は——死んだんだ……?」
そう。
彼女は、自分がいつ死んだのか、知っているのだろうか。
いつの間にか、僕は今この瞬間、世界に自分と彼女だけしか存在していないかのような感覚に陥っている。実際はそんなこともなく、今だって時々僕らの側を通り過ぎる人たちが、僕を一瞥し、何かおかしなものでも見たかのように、気まずそうに目を逸らしてゆく。ああ、きっと道行く人たちには、僕が一人で土砂降りの雨の中、息を切らして突っ立っているようにしか見えないのだ。その事実が、僕の焦燥感をよりいっそう膨らませた。
「私ね、ちょっとだけ思い出したの」
彼女の澄んだ声が、いよいよ現実離れした異質な色を帯び始める。
「夏休みになって、何でかは覚えていないけれど、東京から大阪に行こうとしたのよ。夜行バスで」
「夜行バス……」
「そう。そのバスに乗ってる最中に、突然『ゴンッ』っていう鈍い音がして……。私を含めて眠っていた乗客が皆、何事かと一斉に目を覚ましたのを覚えてるわ」
東京から大阪行きの夜行バス。
僕は、その響きに聞き覚えがあった。
——続いてのニュースです。
今日午前2時28分、東京発大阪行きの夜行バスが巻き込まれた落石事故によって、運転手、乗客16名が死亡しました。
——そのニュースに何か心当たりでもあるのか? ひょっとして、知り合いが事故に巻き込まれたとか……?
——なーに不謹慎なこと言ってるの。そんなわけないじゃない。よくある不幸な事故よね……自分が乗ったバスじゃなくて良かった。
なんてことだ。
夏休みに入ってからずっとニュースで流れていた夜行バスの落石事故。
夏音はこの事故に、巻き込まれていたというのか?
僕は自分の体中を流れている血が、恐怖でサーっと引いてゆくのを感じた。
夏音が、交通事故?
ははっ、なんだそれ。物語か何かの話か。
そんな理不尽な話が、自分の身の回りで起こっていいはずがない。
「そんなの嘘だ」
「嘘じゃないわ……。あの時、バスに何かがぶつかった音がした後、急ブレーキの音がうるさくて。それからバスが揺れて、意識が遠のいて。気が付いた時には、私は京都の町の真ん中にいたのっ……」
夏音は言いながら、右手で頭を押さえて苦しそうに再び表情を歪めた。あの日の真実を「思い出す」という行為が、彼女を内側から痛めつけていることがありありと伝わってきた。