「気をつけてな」
「うん」
彼の言うことに従って、彼の横でゆっくりと歩き出す。安藤くんはスマホでマップを見ながら今日行く予定のご飯屋さんの場所を確認していた。私は、恥ずかしくて顔を上げられない。
「そういえば三輪さんと学、付き合うことになったんやって!」
安藤くんが緊張した私に気を遣ってか、思い出したように言った。
「え、そうなの?」
「うん。僕も今日知ったんやけどね。まったく学のやつ、僕を差し置いて楽しんでやがる」
悔しそうな安藤くんだったが、その声はどことなく明るい。本当は御手洗くんに幸せになってもらいたいんだろう。
「そっかあ。なんか良かったな。私もつばきには幸せになってほしいから」
「せやな」
二人して友人の幸せを願っていると、自然と思考は自分たちの関係へと引きずられていた。
「あのさ、西條さんはその……気にしてるん?」
「え?」
夜の繁華街、道ゆく人々が恋人や仲間たちと楽しそうに喋りながら遠ざかっていく。リクルートスーツ姿の女の子なんて全然いない。
「僕が、西條さんのことを奏の代わりだと思ってるんやないかって」
「それは……」
気にしていない、と言えば嘘になる。
でも、彼が葛藤を乗り越えて私をきちんと華苗として見てくれていることを知っている。普段はひょうきん者の安藤くんだけれど、好きな人にまっすぐ向かっていく性格は素敵だと思っていた。ユカイから私を助け出してくれたのも彼だ。彼は私の命の恩人だから、私に対して真剣に向き合ってくれていることが伝わってくる。
「ううん、私は安藤くんが誠実な人だって知ってる。だから奏の代わりとして私を見てるなんて思ってない」
「そっか、良かった」
ほっと胸を撫で下ろす安藤くん。私は彼に伝えたかったことを口にした。
「私は奏を忘れないし、忘れたくない。安藤くんも、奏のこと無理に忘れようとしないで。奏のこと好きでいて。でも私のことも……その、見てほしい」
人生で一度も、こんなに恥ずかしい台詞を吐いたことはない。繁華街の煌めきが何も目に入らないくらい、自分の気持ちを伝えるのでいっぱいいっぱいになっていた。
安藤くんが驚いたように息をのむ気配がした。恥ずかしくて彼の目を見ることができない私は、視線を下に落とす。パンプスの先が少し白っぽく汚れていた。きっと今日、公園にいったせいだ。
「そんなの、当たり前やんか」
はいこれ、と安藤くんが鞄からウェットティッシュを取り出して私に渡してくれた。これで靴を拭いて、ということだろう。まったく、安藤くんはどうしてこんなものまで持ち歩いているのだろう。おかしくて笑いながら、私は彼からウェットティッシュを受け取った。
「ありがとう」
安藤くんは私を繁華街から鴨川の方へと連れていく。京都の街並みが一気に広がる。川沿いの店にでもいくのだろうか。どこに行くにしろ、そこはきっと桃源郷のように楽しいに違いない。
彼は来月から就職で東京に行くことになる。でも私は、この地で彼に出会った。ここが、私たちの始まりの場所だ。たとえ遠く離れても、彼が大切な人であることには変わらない。
そうだよね、奏。
刹那、吹き抜ける風が私の髪の毛を揺らす。さっと彼の頬に当たり、二人して顔を見合わせる。今、確かに隣にある温もりを感じながら、幸せな未来を想像する。大丈夫、未来の私はきっと笑っているだろう。
私の大好きな京都で出会った、大切な人と一緒にいる未来を夢見て。
【終わり】