激昂したユカイが地団駄を踏むようにダンダンと足を地面に叩きつける。まずい。このままでは安藤くんが襲われてしまう。私のせいで、彼を危険に巻き込んでしまうっ。
「ちょ、ちょっと待ってや。これ見てみ!」
そう言って安藤くんがポケットから取り出したのは小さなライターだった。
「さっきここに入る前、この部屋の周りにガソリンを撒いてん。西條さんにそれ以上危害を加えるなら、ここに火をつける。こんな狭い部屋でものが燃えたら爆発してまうかもしれへん」
え、えええ!
まさかの展開に面食らう私。確かに言われてみればガゾリンの匂いがほんのりとするような……?
ユカイも同じだったようで、身一つでやって来たひ弱な京大生と思われる青年が大胆な作戦を実行しようとしていることに驚いたらしく、「なにぃ」と驚嘆の声を上げた。
「だ、だがそれだと君も西條くんも終わりだろう。そんなことができるはずがないっ!」
「僕や西條さんは脱出できる方法がある。燃えるのはお前だけや!」
よく見ると、安藤くんの身体がガタガタと震えている。その姿を見て、彼の言うことがすべてハッタリだということが分かった。大体、ここに火をつけるなんて、優しい彼がそんな大層なことできるわけない。
しかし、ユカイにとって安藤くんは、何年も努力しても叶うことのなかった受験をすんなり突破した京大生であり、彼の言うことが本当かもしれないと思い込ませるのには十分だったようだ。
ユカイは一瞬怯んだように腰を下げ、どう出るか迷っているように見えた。その間も、私は腕をよじり、ロープが解けないかと試みる。
三人の間にわずかな沈黙が流れる。ユカイが気づいているかどうかは分からないが、安藤くんの額に汗が光っていた。彼は歯を食いしばり、反撃のチャンスを狙っているように見えた。
しばらく無言の睨み合いが続き、ついに「ぷっ」とユカイが吹き出した。
「ふはははは! 素晴らしい、素晴らしいよ、君。彼女を助けるために、身一つでやってくるなんて大したもんだ。でもね、君のガソリンの話が本当だとしても、僕は君に負けやしない」
「ど、どうしてや」
「だって君は僕にとって京大生という憎むべき存在だからだよっ!」
ユカイが一息にそう叫んで安藤くんに飛びかかる。その姿は、恰好の獲物を見つけた虎のようだ。成功者を恨み、彼らの未来を奪っていくユカイはもう人間ではない。猛獣だったんだ——。
安藤くんが、もはやこれまでかというふうに両眼を瞑る。逃げることもできるはずなのに、なぜ彼は逃げないの。その答えは、私を助けるためだと全身全霊で彼が叫んでいるような気がした。私は思わず「逃げて!」と悲鳴を上げる。いつ調達したのか、ユカイの手には包丁が握られていて背筋が凍りついた。
このままじゃ、安藤くんがやられちゃう。私を助けるために、返り討ちにあって。
その姿を見ていることをしかできない自分自身に苛立った。ああ、神様、どうか彼を助けてください。
奏、彼を守って——。
「……京大生だからって、なんだって言うんや」
震える身体を押さえつけながら、ユカイの手に握られた包丁をキッと見つめて、安藤くんがそう言った。
「何を言い出すのかと思いきや。命乞いタイムかい?」
犯罪に手慣れているユカイは、安藤くんの言葉に眉ひとつ動かさない。だめだ。その人は人を襲うプロだよ。何を言ったって、きっと無駄だ——。
「命乞い? そんなんとちゃう。京大生になんの恨みがあるのか知らへんけど、僕は京大生だからって、特別な能力なんて何ひとつないんや。長年夢見てたリア充生活だって、やっと叶ったと思うたらすぐにダメになってしもて。でもさ、せめて好きな人の一人ぐらい、守りたいんや。命乞いなんてせえへん。だけど、西條さんだけは絶対に傷つけるなっ!」
安藤くんの逞しい声が、地下室全体に響き渡る。
安藤くん……どうして私なんかのためにそこまで……。
ユカイの顔が驚愕で固まったように見えたのと、何かの気配を感じたのが同時だった。
ウーウーというパトカーの音がしたかと思うと、ドタドタと警察が乗り込んできた。突然の出来事に、安藤くんの言葉に不意打ちを食らっていたユカイは、まんまと警察に取り押さえられる。
「ちょ、いって、何すんだよ!」
「
「クソッ」
東山勇太。それがユカイの本名らしい。逮捕錠をかけられたユカイは駄々をこねる子供のように、「なんで!」「ちくしょう」と吐き捨てていた。