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10 西條奏 4

「……君にとっても雰囲気が似ていたよ」


「……」


 そ、それって、出会ってすぐの私を落とすための殺し文句ですか!?

 そんなこと言われたら誰だって意識するに決まっている。だってほら、その証拠にこんなに寒いのに掌に汗が滲んできたぞ……。


「奏ちゃんは? 彼氏とかいたの?」


「私はここ数年フリーです。もう恋する心が枯れちゃってるかも」


「ははっ。それなら俺がその枯れた心に水をさしてあげようかな」


 な、なななな!

 この人、よくそんな歯の浮くようなセリフをつらつらと言えるわね。

 きっと今たまたま恋人がいないだけで、本当はすごくモテる人に違いない。私はなんてラッキーなんだろう。しかも今日はクリスマスイブ。二人の気持ちを盛り上げるのにはもってこいの一日だ。もしかしてデートが終わったあと、またお誘いがあったりして? それより、イブだけじゃ物足りないって明日の朝まで一緒に過ごすとか……いやいや、さすがに初対面でそれはマズイ! 下手すれば都合のいい女になってしまう。いくら男に飢えているとはいえ、簡単に手に入ると思われちゃダメなのよ。ここは誘われても一度引かねば……などと、妄想だけで盛り上がっていると、ユカイが「大丈夫?」と私の顔を覗き込んできた。彼の問いかけに答えずにフリーズしていたからだろう。脳内で喋りまくっていた私は、まさか心配されるとは思ってもみなくて反省する。


「だ、大丈夫ですすみません!」


「そう。なんで謝るの?」


「それは……ヘンな女だと思われたかと思って」


「ははっ。だからって謝らなくても」


「だって、せっかくマッチングした相手が変人だったら嫌じゃないですかぁ……」


 私は、これまでに出会った数々の変人たちを思い浮かべながら答えた。

 マッチングアプリに生息する民が変人ばかりだというわけではない。しかし自分がこれまでに会った人たちは、あまり人の気持ちが分からないタイプの人が多かった。

 もうすでにユカイから引かれていたらどうしよう……と横目でチラリと彼の顔を見た。キリッとした眉に、大きな瞳が揺れている。やはりモテそうな顔をしているし、私なんかよりも素敵な女性からたくさんアプローチされてきたに違いない。そう思うと心に咲かけた花がしゅんと蕾に戻っていきそうな気がした。


「奏ちゃんは変人じゃないでしょ。なんか急に慌てて謝ったりして可愛いかったし」


 か、かかかかか可愛いですって!?

 それ、出会ったばかりの女の子に言えることなの? 出会ったばかり……もしかして私、ユカイとどこかで出会ったことがあったりして。いやそれはないか。彼のような人に出会っていれば、ときめかないはずがないもの。

なんてまた恥ずかしいことを考えて、耳の先までさーっと熱くなるのを感じた。

 さっきから何をやっているんだろう。彼に魅力的な女の子だと思ってもらわなければいけないのに、一人で盛り上がって空回りして……。これじゃユカイに「一緒にいて楽しい人だ」って思ってもらえないよっ。


「奏ちゃん、深呼吸して」


「え?」


「なんか分かんないけど、心が焦ったときは深く息を吸うと落ち着けるよ。ほら」


 ユカイが私の背中をぽんと押す。

 彼に言われるがままに私は大きく鼻から息を吸い込んだ。

 すると、気づかないうちに心臓がどきどきと不自然に速く動いていたことに気がつく。

 冬の冷たい空気が身体に染み渡ってゆく。鴨川を漂う新鮮で神聖な空気だ。四年前、初めて大学に行き、これからの大学生活に不安を抱いていた私が、鴨川の美しい景色を見て頑張れそうだと気持ちを強くしたのを思い出す。あの時、私の隣には華苗がいた。華苗と一緒に京都の空気はおいしいねと笑い合った。私は、目の前の景色が美しいのづき空気がおいしいのも、華苗がいてくれたからなんだと気づくことができなかった。


「どう? 楽になっただろう?」


 確かに、彼の言う通りだ。

 気持ちが昂っていたり焦っていたりすると、今まで見えていたものが見えなくなる。

 深呼吸をした私は、心臓の音が先ほどよりも静かに落ち着いていくのを感じた。


「はい。あの、ありがとうございます」


「いえいえ」


 そもそもドキドキしていたのはあなたのせいなんですけどねえ、とは言えない。隣を歩く彼は、ごく自然に女の子との会話を盛り上げ、彼女たちの気分をなだめる。こういうスマートな男性に出会ったのは初めてかもしれない。


「それより何かあった?」


「え、なんでですか?」


「だって、さっき思い詰めたような表情してたから」


「それは……」


 華苗のことを考えていたからだ。

 記憶の中に今でも鮮明に残っている華苗の声や話し方、二人で行った思い出の場所について、どうして今こんなにも思い出してしまうのだろう。

 ユカイの質問に答えられないまま、私たちは無言で歩き続けた。待ち合わせの時は明るかった風景も、次第に日が暮れて橙色の光から薄闇に包まれていく。このまま目的地に着けば、いい感じにイルミネーションが煌めく様子を見られるだろう。

 私は、ユカイの息遣いや土を踏みしめる音を聞きながら、ぼんやりと霞む遠くの山を見つめた。華苗、あなたは今どこにいるの。もしかしてあの山の中で息を潜めてる? そんなことあるはずがないのに、どこかに妹がいないかとつい考えてしまう。今日は変な日だ。


「妹のことを思い出してたんです」


 気がつけば口が勝手に、華苗のことを彼に伝えようとしていた。

 彼は「妹?」と当然の疑問を口にする。


「妹って言っても双子なんですけど。半年前に行方不明になってしまって……」


 なぜ、今日会ったばかりの人に華苗の話をしてしまったのか。

 それは、私の隣で今も神妙な面持ちで耳を傾ける彼の心の温もりが伝わったからだった。

 ユカイは私の告白を聞いて、しばらく何も言えない様子で押し黙った。そりゃそうだ。妹が行方不明だなんてかなり重たい話だ。もし私が彼の立場でも、同じように反応に困ってしまうだろう。


「すみません、変な話して。せっかく今日、会えたのに」


「いや……こちらこそ辛いこと聞いてごめん。なんて言えばいいか分かんないけど、とにかく辛かったよね」


「はい……」


 辛かった。この半年間、華苗のいない世界は何もかもが違って見えた。つばきがずっとそばにいてくれなかったら、今頃私はこうして前向きに恋人探しなんてできていなかっただろう。


「はやく見つかるといいね」


 それ以上でもそれ以下でもなく、彼は私が欲しいと思った言葉を差し出してくれた。

 初対面の女に暗い身の上話をされて迷惑だろうに、優しいんだな。


「ありがとうございます」


 余計なことは言わず、ユカイがただ私の話を頷いて聞いてくれたことが嬉しかった。


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