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09 安藤恭太 3


「明日は一人で過ごすん?」


『……ううん、人に会ってくる』


 な、なんだ。もし一人で過ごすのならば一緒にどうやろか……なんて聞こうとした自分が恨めしい。ちょっとは期待したんやけどな。

 それにしても「人と会う」とは曖昧な言い方だ。単なる友達とパーティーを開くのとは違うのだろう。


「もしかして男の子と?」


『う、うん』


 やはり、図星か。


「ええな〜楽しんできて」


『それが、初めて会う人だから緊張して』


「そうやの? 何で出会ったん」


 普段の僕なら面と向かって聞けないようなことなのに、クリスマスイブの前日という心が浮わついた日だからか素直な疑問が口をついて出た。


『……マッチングアプリ』


「おお、マジか」


 まさか、彼女の口から「マッチングアプリ」だなんて言葉が出てくるとは思っていなかった僕は驚く。僕自身、アプリを使ったこともあるがあれはビジュアルが命だ。僕みたいなクソ真面目そうな顔をした人間には太刀打ちできない。

 しかし女性なら話は別だろう。人に聞いた話だが、女性は男性とは違って毎日何十件もマッチング申請が届くらしい。まったく、なんて不公平な世の中だ。


『引くよね……?』


「え?」


 彼女が気にしていること、それは「マッチングアプリを使っている自分がドン引きされる対象であるかどうか」らしい。


『京大生の私がマッチングアプリなんか使って、馬鹿だって思う……?』


 泣きそうな声だった。

 電話の向こうで捨てられた子猫みたいに震えている彼女を想像すると、胸がツンと詰まった。彼女は一体何を気にしているんだろう。マッチングアプリを使うのに、「京大生」だとかどうとか関係ないはずだ。それなのに本人が気にしているということは、これまでに偏見のある発言を受けてきたのかもしれない。


「全然馬鹿やないよ。便利なもんやん。使えるもんを使うのはむしろ賢いんとちゃう?」


『安藤くん……』


 僕はマッチングアプリに向いていないから使わないが、使いようによっちゃ恋人をつくるという目的を達成しやすい道具だ。それを賢く使うことに何も疑問はなかった。

 西條さんが鼻を啜る音が聞こえて、思わず頭を撫でたくなる。いけない、真奈にしていたことを他の子にもしたいと思うなんて。僕は非モテイカ京男子だ! 付き合ってもいない女性にそんな気持ち抱いてはならん! 

 今日は脳内学ではなく、自分に諌められる。


「明日会う人ってどんな人なん?」


 ちょっとでも空気を変えようと、僕は彼女の明るい未来の話を聞き出そうとした。


『年上の男の人なんだけど、“ユカイ”っていう変な名前で』


「変な名前は言うたらあかんて」


『ふふ。でも変じゃない?』


「まあ確かに変やね」


 ユカイ。愉快。漢字変換するとなんだか楽しそうな男に見える。

 しかしそんなことよりも、電話の向こうで西條さんが小さく笑うのを聞いてほっとする。


『その人のプロフィールに“上っ面だけのやり取りは苦手です。真面目に恋愛できる人を探しています。”書いてあったの』


「へえ、上っ面だけのやり取りが苦手ねえ。なんや分かる気いする」


『でしょ? 私もさ、上っ面だけで生きてた時代があったから』


「そうなん? どんなふうに過ごしてたん?」


 僕の疑問の声に、電話の向こうで西條さんが息をのむ様子が窺えた。


『YouTubeの「カナカナちゃんねる」って知ってる?』


 どこか試すような口ぶりで、突然「チャンネル」などと言われて頭が置いてきぼりをくらう。YouTubeに疎い僕はチャンネル名を聞いても分からなかった。


「ごめん、その手の話には疎くて。分からへんわ」


『そっか。実はね、「カナカナちゃんねる」って私がやってたチャンネルなの』


「ええっ!?」


 知らなかった。西條さんがYouTuberだったなんて。そりゃ今の時代YouTubeをやっている人はたくさんいるが、彼女からそんな話は聞いたことがない。

 それに、相手のプロフィールに好きだと書かれるくらいにはかなり有名なYouTuberだったということか?


『ごめん、突然こんなこと言われてもびっくりするよね』


「あ、ああ……。でもええやん、YouTubeなんて。それなりにファンも多かったんとちゃう?」


『そうだね。チャンネル登録者数は結構多かった。一人でやってたけどそれなりに楽しかったよ。私ね、大学に入るまでずっと自分の上辺だけを見せて生きてきたの。本当はもっと大口を開けて笑いたい、友達に、好きなアニメを好きと言いたいって、思いながら毎日過ごしてた。でも、そんな自分を見せた時の周囲の反応を想像すると、怖くて。だからずっと取り繕って生きてた。大学に入って、YouTubeを始めるまでは』


 今日の西條さんはなぜかよく喋る。妹さんがいなくなってから、溜まっていた心の鬱憤が今どっと吐き出されているのかもしれない。人間誰しも普段はどんなに強がっていたって、弱音を吐きたくなるときはある。彼女にとって、今がそのタイミングなのかもしれない。


『YouTubeをやっている時の私はたぶん、人生で一番明るく笑っていられたの。投稿するたびに視聴者から反応が来て、楽しくて毎日が輝いてた』


 夢見る乙女のような口調で彼女がかつての自分を思い出して語る。


「そうやったんや。でもなんでやめてしもたん?」


『それは……華苗が、いなくなっちゃったから』


 ああ、そうか。

 彼女にとって、最も心を許せる存在だった妹さんが行方不明になってしまったことが、その後の彼女の行動を決定づけている。電話の向こうで寂しそうに吐息を漏らす彼女の気持ちが、並々と注いだコップの縁から水が溢れるように、急に胸に沁みてくる。僕は今、彼女の心の奥底に近づこうとしているのだ。そんなこと、僕なんかがしてしまってもええんやろうか。彼女とは数ヶ月前に出会ったばかりで、単なる友達に過ぎない。しかも、学のように気楽に家を訪ねられるほどの存在ではない。付き合いが浅い友人だ。


 それなのに、なぜか僕も彼女も、お互いに心の内を晒しあってもいいと思っている。京大女子なんて、今まで見向きもしてこなかった。いや、彼女たちのような賢い人種は僕などに興味を持たないと思っていたのだ。

 でも違う。

 賢いとか賢くないとか、そんなものはどうでもよかった。

 ただ落ち着いて話ができる相手だというだけで、こんなにも心地が良いのだから。


「西條さんにとって、妹さんは本当に大切な存在やったんやね」


『うん』


「そやったら、むしろ笑って過ごした方がええんとちゃう? 早く妹さんが帰って来たいって思ってくれるように」


『そう……だね』


 僕は彼女について、ほとんど知らない。

 だから彼女の気持ちは推し量ることしかできないし、僕がアドバイスをしたところで彼女の心に響くかどうかなんて分からない。

 でも、自分のことが好きだという相手とせっかくマッチングして聖なる夜にデートをするというのなら、せめてその間だけでも楽しんできてほしい。

 妹さんもきっとそう願っているはずだ。


「明日は楽しんできて。ちなみにどこでデートする予定なん?」


 こんなことまで聞いてしまってもいいのかどうか迷ったが、話の流れでなんとなく知りたくなった。


『ふふ、それは秘密。でも私たちがよく知ってる場所』


「よく知ってるって、僕も?」


『うん。そうだよ。またデートが終わったら感想でも送ってあげる』


 先ほどよりも明るいトーンで西條さんが答えた。きっと今、彼女は舌なんか出して笑っている。その姿を想像するだけで僕の心はほの温かく照らされた。


『ありがとう。安藤くん』


 ああ、そうやったんや。

 出会って話した回数やない。デートを重ねた回数やない。

 大切な気持ちは一回限りのささやかな会話からも生まれてしまうものなんや。

 僕は彼女のこと、好きなんや。


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