西條さんと学の家に押しかけてから五日が過ぎようとしていた。今日は12月23日。明日がクリスマスイブなのだが、なんと今年は24日、25日が土日らしい。
「こりゃ世間はクリスマスの熱に浮かれるわけやな」
僕も、もし真奈と別れんかったら今頃ウホウホ気分で明日のデートの計画でも練ってたんやろな。
三条の鴨川沿いにある古本屋さんまで足を運んだ帰り道、僕はあえて鴨川を歩いて家まで帰っていた。まともに歩けば自宅まで40分ほどかかるのだが、鴨川を眺めながら歩くのはまったく苦にならない。京都大学に入学した当初から、僕は失恋をするたびにこの美しい川の風景に心を洗われてきた。
しかしこの景色を見ていられるのもあと三ヶ月ほど。僕は就職先が東京に決まっているので、京都での日々は残り少ない。
対岸の河原に等間隔で並んで座っているカップルたちを横目に、四年間の大学生生活を振り返る。冴えない男子大学生として結局ほとんど恋人と過ごすことも叶わずに終わっていくんだなあ……トホホ。
しっかし学のやつ、三輪さんにナナコのことをちゃんと話せたんだろうか? あいつが女の子に告白して玉砕していた過去は初耳だったが、それゆえこれまで恋に積極的になれなかったんだろう。
でも今、彼は三輪さんにまだ恋をしている。学とは付き合いが長いから分かる。彼は三輪さんのことをまだ諦めていない様子だ。
学と三輪さんのことを考えながら歩みを進めていると、三条から一駅の神宮丸太町駅へと続く階段の前で、一組の男女がちょうど別れようとしているところを目にした。
「……ん、あれって」
目を凝らしてよく見てみると、なんと学と三輪さんではないか!
彼らのことを考えていたところだったのでおったまげた。僕は学が三輪さんと別れたところを見計らって、彼に後ろから声をかけた。
「やあ」
「恭太? なんでここに」
「それは僕の方が聞きたいわ。たまたま鴨川を歩いてたら学の姿が見えてん」
僕はあくまで三輪さんのことは見ていないふうを装った。
「そうか。なあ、恭太」
恭太がしらばっくれようとしているところを揶揄うつもりだったのだが、いつになく真剣な表情の彼を見て、僕のいたずら心は
引っ込んでしまう。
「わいは正しいことをしたんだろうか?」
「ん、一体どうしたん?」
学の様子がおかしい。好きな女の子とデートをしたというのに浮かれている様子一つ見られない。それより、自分の行いを省みて正しいことをしたのかどうか分からずに迷子になっている子猫のようだ。
彼はいつだって僕の恋愛を成就させようと導いてくれた。まあ、アドバイスが的確だったかどうかはともかく、学の言うことにはどこか説得力があったし、上手くいかないときも彼に報告すれば笑い飛ばすことができた。
そんな彼が今、自分の行動について思い悩んでいる。たまには僕が彼の力になれることはないんだろうか。
「今日、三輪さんに一条さんの話をした」
「お、おお……本当にやってくれたんやな」
煌めく鴨川のそばで、僕たちはしんみりと語り合う。内容は痴情のもつれである。彼の好きな人には恋人がいて、その恋人は浮気をしている。浮気相手は詐欺女。もうどこからツッコんだらいいか分からない。
思えば河原に座っている等間隔のカップルたちだって、全員が全員、幸せな恋をしているのだろうか? 僕が焦がれていた「恋人との甘いひととき」は経験が少ないゆえに僕が勝手に抱いていた幻想だったのかもしれない。
「三輪さんはどんな反応をしてたん?」
僕が気になっていたことを聞くと、学の肩が大きく揺れた。
「やっぱり、と肩を落としていたよ。浮気については勘付いていたみだいだ。それでもしっかり傷ついた顔をしたんだ」
「そうか……」
恋人が浮気をしていると知ったとき、人は驚愕し憤り、最後は深く傷つく。
告白して振られるときもそうだ。
最初は情けないだの恥ずかしいだの羞恥の心で顔面を覆いたくなるが、後になって残るのはやっぱり傷跡だ。相手のことを本気で好きであればあるほど、受け入れられない苦しみに苛まれることになる。
「ナナコのことは話した?」
「ああ。そっちの件についてはあることないこと伝えたさ。もしも彼氏と決着をつけるつもりならこの話をダシにしてほしいってね。そうしたら、『考えとく。ありがとう』って」
きっと学の話を聞きながら、三輪さんの心は絶望と怒りでごちゃ混ぜになっていたことだろう。瞬時に彼氏をギャフンと言わせる計画までは立てられないに違いない。
学もそれが分かっていたから、それ以上三輪さんに何も言わなかったのだ。自分の好意が駄々漏れるようなことをすれば三輪さんからの信頼を失ってしまう。今の彼女に必要な情報だけを手放す。好きな人の傷つく顔を見ながら、自分の感情を押し殺して役割を終えた彼が今ここで、「自分の行いは正しかったのか」と迷っている。
だったら、僕が言えることは一つだ。
「正しいか正しくないかどうかはともかく、今の学は格好いいと思う」
学の目が大きく見開かれる。僕はこれまで彼を自分の恋のアドバイザーとして認識していた。彼の手にかかればいつかは自分にも素敵な恋人ができると信じて。実際、短い間ではあったものの真奈という恋人ができたのだ。これも一重に僕の恋を全面バックアップしてくれた彼のお陰だ。
「そうか。良かった」
親友の安堵の声を聞きながら、同時に鴨川のせせらぎが耳に響いた。鴨川の流れはいつも僕らの心に寄り添ってくれる。どんなに傷つき疲れ果てても、ゆったりと流れる美しい川を見れば、明日からまた頑張れると思うのだ。等間隔のカップルたちも、鴨川の風景に身を委ね、輝かしい未来の話をしたり、喧嘩したあとの仲直りをしたりしているのかもしれない。
きっと今、学も鴨川を眺めて同じことを思っている。
僕たちは京都の地で出会い、絆を深めてきたのだから。