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08 西條奏 6



 果たして安藤くんの言う通り、御手洗学はちゃんと家にいた。綿入りの暖かそうな作務衣を着ている。部屋中を漂うお香の香りが気になって聞いてみると、四条の繁華街にある有名なお香の店で買った木蓮の香りがするお香とのこと。神秘的で上品な匂いに心が洗われていくような心地がした。


「突然来て悪かったね」


「君が来るときはいつも突然じゃないか。わざわざ謝るなんて、西條さんに善人アピールしたいだけだろう。彼女と別れたばかりなのに手が早い男め」


 私にアピールって、え!?


「く……相変わらず減らず口やな。てか本人いはる前で言うなや」


「その反応は、もしや図星?」


「ちゃうって。ごめんな西條さん。学のドアホが変なこと言うて」


「いや、大丈夫……」


「ドアホとは人聞きの悪いことを」


 フン、と御手洗くんは鼻を鳴らしてキッチンの方へと逃げていく。かなり辛口のやりとりをする二人だが、仲が良いからこそなせる技なんだろう。


 それにしても御手洗くんってば、安藤くんが私に気があるわけないのに変な汗かかせないでほしいよ。安藤くんと二人残された空間でちょっと気まずい空気が流れる。しかしこんなときにも木蓮の爽やかな香りが漂ってきて、少しだけ緊張が緩和された。おそるべし、木蓮のお香……!


「良かったらこれでも飲みたまえ」


 キッチンから戻って来た御手洗くんが出してくれたのは、味のある陶器のコップに入った紅茶だった。


「これ、何茶?」


「カモミールティーだよ。昨日の晩、急に飲みたくなってね。通販でポチッと」


「……」


 安藤くんの方を見ると「ほらね」と私にウインクしてきた。しかしウインクに慣れていないのか両目をぎゅっと瞑っている。

 御手洗くんが淹れてくれたカモミールティーで一服すると、なんだかもう昔からこの家に住んでいたような心地にさせられた。観葉植物や暖かみのある家具の置かれた空間にカモミールティーの味がマッチしている。紅茶を飲んでこんなに心が落ち着くのも久しぶりだ。


「それで、今日はどうしたんだい二人して」


 突然訪ねて来た私たちにようやく疑問が生まれたのか、御手洗くんは目尻をキリッとさせて聞いた。


「そうだそうだ。ちょっと学に聞きたいことがあって」


「なんだい?」


「一回生のとき、一緒にぱんきょーを受けてとった女の子のこと覚えてる?」


「一回生……うむ、誰のことだろう」


「たぶん名前は“ナナコ”っていう子なんやけど」


 安藤くんがナナコという名前を口にした途端、御手洗くんの目がカッと開かれて視線を彷徨わせた。明らかに動揺している。一体どうしたんだろう?


「なんや思い出したん?」


「ああ、恭太くん! 君はなんておぞましい名前を口にするのだ!」


 御手洗くんは突然、大袈裟な身振りで額に手を当てて、「なんということだ〜」とお芝居の台詞みたいに叫んでいる。いつも冷静にツッコミを入れる御手洗くんの豹変ぶりに私はついていけない。しかし安藤くんは慣れているのか「どうしたん」と普通に聞き返している。


「ナナコと結構仲良かったんちゃうん? 何かあったん?」


「恭太に西條さん、とにかくここに座りたまえ」


 役者・ミタライはソファを指差した。「話が長くなる」ということだろうか。私たちは彼の勢いに押され、言われるがまま二人

がけのソファに腰掛けた。


「ナナコというのは、恭太の言う通り、わいが一回生のときに一緒に授業を受けていた女の子だ。確か、苗字は『一条』だったと

思う。一条さんとはそもそも受験のときに出会ったんだ。たまたま席が隣でね。わいが試験当日に消しゴムを忘れて焦っていたところを、彼女が貸してくれたんだ」


 なんと。御手洗くんがあの女と受験の日に知り合っていたなんて。すごい巡り合わせだ。


「もしかしてそれでナナコに恋したとか?」


「……君に言われるとなんだか癪だな」


「ほほう、図星か。やっぱり学も人並みに恋するんやな〜」


「失敬な。他者からの愛を求めてしまうのは人間の本能なのだよ」


「はいはい。それで、ナナコに告白でもして振られたん?」


 安藤くんが話の核心に触れるように単刀直入にそう聞くと、御手洗くんは「ふっ」と鼻を鳴らし遠い目をした。


「告白して振られただけなら別になんともないさ」


「そうか。じゃあどうした?」


 すると御手洗くんは「思い出すのもおぞましい」という様子で目を大きく開き頭を押さえた。「話したくないならいいよ」と私が言おうとしたのだが、その前に安藤くんが「なになに?」と煽りを入れたおかげで御手洗くんは顔を青くしながら切り出した。


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