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06 西條奏 4

「お待たせ〜」


 カフェにたどり着くとつばきはすでに席に座っていた。ランチからディナーまで揃うこの店は、一回生の頃からの御用達だ。価格もそれほど高くないので大学生の私たちでも入りやすかった。


「お疲れ。何食べる?」


「ちょっと待って」


 何事もテキパキとこなすつばきは余計な雑談もせずにメニュー表を私の前に広げた。出会ったばかりの頃はなんだか冷たい子だなと思ったが、今となっては決め事の時にぐいぐい引っ張ってくれる姉御的な存在だ。

 メニュー表を開かなくても大抵のメニューは把握していたのだが、念のため新しい料理が出ていないか確認する。どうやらメニューは今までと同じらしい。となれば頼む料理は決まっていた。


「ミートドリアにする」


「おけ〜」


 この店のミートドリアはお肉がジューシーで、チーズがたっぷりかかった私好みの味だ。人によっては味が濃すぎるのかもしれないが、私にとってはちょうど良い味付けで何度でも食べたくなる。


「つばきは何にするの?」


「あたしはマルゲリータ」


 つばきは大のピザ好きだ。メニューにピザがあって、他のものを頼むわけないか。


「今日は神谷くんはいいの?」


 つばきの彼氏、神谷真斗は私の知っている限りではかなりつばきに惚れ込んでいて、二人で会う頻度も他のカップルたちに比べるとかなり多いなと感じる。もっとも、当事者たちにとっては自然な頻度かもしれないけれど。


「うーん、そのことなんだけどさあ……」


 つばきはため息をついてお冷やを一口飲む。もともと今日一緒に夜ご飯を食べようと誘ってきたのはつばきの方だった。なるほど、神谷くんについて何か相談があるのだと悟る。


「最近会ってくれないんだよねえ」


「え、珍しい」


「この間のNFだって断られたの知ってるでしょ」


「NF? あれ、そうだっけ」


「また忘れたの?」


「うん。NFに行った記憶がないんだよねえ」


 安藤くんといいつばきといい、私がNFに来ていたと言っている。それなのに私自身にはその記憶がない。最近物忘れがひどいとはいえ、NFに行ったこと自体を忘れるなんて、我ながらどれだけ忘れっぽいんだよとツッコミたくなる。


「まあカナが忘れっぽいのはいいとして、とにかくその日はもともと真斗とNFを回る予定だったのよ。それなのに急に『やっぱり今日は行けない』って連絡が来てさ。だからカナのこと誘ったんじゃない。覚えてないの?」


「そう言われればそうだったような気もする……」


 チカ、チカ、と頭の中でぼんやりとした光が明滅する。NFの日の朝、確かにつばきから連絡を受けた気がするのだ。朝、今日は一日家でゴロゴロするかと意気込んでいたところLINEの通知が鳴った。誰だろうと不思議に思って開いてみると、つばきからメッセージが一件。確か、『真斗に急用ができたらしい。今日一緒にNF回れない?』だった。そうだ、思い出した! 人から聞いた話で記憶が紡がれていくなんて、人体の不思議としか言いようがない。


「とにかくNFもドタキャンされちゃって。その三日前も映画デートしようって約束してたのに大学でやることあるからって断られたのよ。そんなに忙しい人じゃなかったのにここ一ヶ月くらいずっとそんな感じ」


 つばきはまた「はああ」と大きく息を吐き、今度は頬杖をついた。つばきの声にいつものハリがない。彼女に元気がないなんて珍し過ぎて、神谷真斗との一件がかなり深刻なものであることを物語っている。


「本当に? 神谷くんってつばきのこと大好きだったじゃん」


「それは最初の話よ。ここ最近はずっと私の方が好き度が大きかったし」


「え!」


 照れながらもそう言うつばきはいつもより女の子らしい気がする。普段は姉御肌な彼女も恋人のことになれば普通の女の子というわけだ。


「そうだったんだ。なんか意外だな」


「そう? 今まで気づかなかったの?」


「はい、気がつきませんでした」


「まったく、カナは鈍チンね」


「うう……」


 恋愛に対して鈍い、と言われたのは初めてだ。自分では敏感なつもりだったんだけどなあ。


「そんでさ、どうしたら真斗が前みたいにあたしのこと追いかけてくれるのかって話よ」


 ここで店員さんがミートドリアとマルゲリータを運んできた。


「ありがとうございます」


 もう何回目かになるマルゲリータを、つばきは「美味しそう」などと感激する間もなくかぶりつく。私もつばきの勢いに呑まれてミートドリアを口に運ぶ。しかし、モウモウと湯気を立てるドリアは予想外に熱く、「あつっ」とすぐに口からスプーンを離す羽目になった。


「大丈夫? 気をつけなよ」


「はーい……」


 小学生みたくシュンとした私を見てつばきは小さく微笑む。よかった、まだ笑う余裕はあるんだ。つばきが恋愛で傷つくところなんて想像したくなくて、つばきの笑顔にほっとする。


「つばきはいつから神谷くんと付き合ってるんだっけ?」


「一回生の秋から。だから今ちょうど三年ってとこ」


「そっか。“三の倍数は危ない”って聞くもんね」


「まったくその通りすぎて何も言えないわ」


 恋愛において、三ヶ月や半年、三年といった「三の倍数」期間に破局の危機に陥りやすいというのは有名な話だ。単純に付き合い始めてマンネリ化し始める時期がちょうどそのくらいなのだろうけれど、まさにこの危機を体現したような二人の関係が不憫に思えてきた。


「神谷くんって最初、つばきのこと本当に大切にしてる感じだったから、その彼がまさかつばきのこと放っておくような事態になるなんて思ってもみなかったよ」


「それ、あたしが一番思ってる」


「そうだよねー……」


 ふうふうと息を吹きかけて、ようやく食べられるくらいの熱さになったミートドリアを口に運ぶ。ジューシーなお肉とトマトの香りが鼻の奥を突き抜ける。つばきが本気で恋愛相談をしてきている際に呑気に料理を味わって申し訳ないが、やっぱりこの店のミートドリアは一味違う。


「あんまりこんなこと言いたくはないんだけどさ、もしかして他に好きな人ができたり……そういうことはない?」


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