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04 西條奏 1


 月曜日の昼間、大学構内でやることのない私はぼんやりと時計台前のクスノキの椅子に腰掛けていた。大きなクスノキをぐるっと囲むようにして椅子があるので、待ち合わせの人やコーヒーを飲みながら本を読んでいる人なんかがよく座っている。

 大学四回生の私は残す単位もほとんどなく、大学に来る意味があんまりない。やることがないならバイトにでも行けばいいのかもしれないけれど、幸いなことに私は今お金にはまったくと言っていいほど困っていなかった。


『YouTubeはもういいの?』


 一週間前につばきから聞かれたことが頭の隅にこびりついている。

 私は元人気YouTuberだ。「カナカナちゃんねる」というチャンネル名で「在学中にアイドルを目指す京大女子」というコンセプトで歌やトーク動画をアップしていた。チャンネル登録者数は一番いい時で五十万人にも上り、同世代の女の子なら私の名前を知らない人はいないんじゃないかというくらい、当時は有名人になった気分だった。

 でも。


「頭がくらくらする……」


 いつも、YouTuberだった頃のことを思い出そうとすると頭痛がしてそれ以上考えていられなくなる。毎日のように動画を投稿していたはずなのに、具体的にどんな動画を上げていたのか、私はうまく思い出すことができないのだ。歌ったり視聴者と対話したりしていたことは覚えているのだが、記憶にもやがかかったようにそれ以上のことが思い出せない。

 記憶喪失、という物騒なワードが頭をよぎる。医者に行ったわけではないけれど、私はそうではないかと思っている。

 ただ、一つだけ覚えていることがあった。

 YouTubeに出ること自体、楽しくて仕方がなかったこと。普段人前で堂々と喋ることができない私が、画面の中でならキラキラ女子でいられたこと。それだけは心が覚えているのだ。


「ああ、せめて恋人でもいればなぁ……」


 YouTubeを辞めてから、私の日常は灰色だ。かといって、もう二度と動画を撮りたくはない。そんな気分になれない、というのが正直なところだ。

 しかし退屈な日々も、もし恋人がいれば、その人が楽しませてくれるに違いない。

 こうしてクスノキ前に座っているだけでも、隣に好きな人がいてくれたら。会話するだけで楽しくて、今日家に泊まりに行ってもいい? なんて甘い提案をして、きゅんとして。馬鹿みたいな妄想だけど、馬鹿みたいに幸せな気分に浸っていたい。まあ、今はその「好きな人」がいないのだけれど。

 妄想を重ねながらぼんやりと前方を見ていると、タイムリーにカップルと思われる学生二人がこちらに向かって歩いてきた。男の子の方は、失礼だが見た目からしてすぐに京大生だと確信したのだが、女の子の方は女子大の子かもしれない。トレンドのカーディガンを羽織り、高そうなブランドもののヒールを履いている。透明感のあるメイクが遠くからでも艶やかに光って見えた。特別美人とは言い難いが、ファッションもメイクも完璧に決まっている。女の子は、時折男の子の方を見て柔らかく微笑んでいた。男の子がボケて、女の子の方がツッコミ役をしているように見える。きっと、どうでもいいことを話して盛り上がっているんだろうな。そういう何気ない会話を楽しめるのもカップルの特権なのだ。


 私は自分の足元に視線を落とす。二日に一回履いている白いソックスは、片方の親指の裏の部分に穴が空いている。誰にも見られないからいいや、とそのままにしているのが悲しいところ。

 心とは裏腹に、心地の良い風が身体を吹き付ける。ゆったりとした時間の中で、私はいつの間にかまどろんでいた。


「そんなところで寝てて、風邪ひかへん?」


 ふっと、意識が戻ったとき、私の顔を覗き込むその人を見てぎょっとのけぞった。


「あなたは……」


「僕? ああ、経済学部の四回。いや、そんなこと今どうでも良くて、こんなところで眠ったら風邪ひいてまう」


「え、いや。大丈夫です。うたた寝しちゃっただけなので」


「そう? まあそれならええわ。気いつけて」


「はい」


 もさもさとした髪の毛に眼鏡をかけたその男の人は、紛れもなく先ほど私が見たカップルの片割れだった。

 彼女はどこに行ったのだろう。時計を見て二度びっくり。なんと、二時間も時間が経っている。ということは、ここでかなり眠り込んでいたということか……。この人が起こしてくれなかったら本当に風邪をひいたかもしれない。


「あの、ありがとうございます。起こしてくれなかったら、やっぱり危なかったかも」


「どういたしまして。せやろ? さっき大学に来たときから見かけててん。あ、変な意味で見てたんとちゃうで? たまたま目に入っただけやから」


「大丈夫です。それより、さっき彼女さんと一緒にいましたよね。今どこに?」


「ああ、真奈——ふふ、彼女ならバイトに向かってん。京大を見たいって言うてたからちょっと案内しただけで。て、僕らのこと見てたん?」


「私も、さっきあなたたちが歩いてるところが目に入ってきたんです」


「せやねんな。じゃあおあいこということで」


 男の子は歯を見せてニッと笑った。失礼だがちょっと並びの悪い歯が印象的だ。同じ大学四回生だが、彼を見たことはない。大学には同級生が数千人いるから仕方ないと言えばそうだ。


「じゃあ僕はこれで。このあと学——友達と会う約束しててん」


「そうなんですね。ではまた」


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