「それで、諦めちゃったわけだ」
「諦めたんじゃないよ、私には合わなかったの」
「ふーん」
秋の爽やかな風が吹く月曜日の午後、大学構内にあるカフェで友人の
「カナは彼氏が欲しいんだよね?」
「うん」
つばきは私のことを「カナ」と呼ぶ。奏だから「カナ」。つばきの影響なのか、他の友達からもそう呼ばれることが多い。
「それでマッチングアプリなんか使い出したのね」
「ダメかな」
「いや、ダメってことはないよ。最近はアプリだって出会い探しには主流になってきるしね。あたしの周りの友達もたくさん使ってるよ」
「やっぱり!?」
「周りの友達」というワードにピンと反応してしまう私。彼女の言う「友達」と大学の友達に違いない。
「どうしたの急に」
「だって昨日の男がさ、『京大生なのにマッチングアプリを使うなんておかしい』って言ってたからさぁ……」
正しくは「だって、京大生でしょ。男なら大学にもいるだろうし。それに、こういうの興味ないと思ってた」だったのだが、この辺はもう脳内で悪い方向へと勝手に変換されてしまっている。
「へえ、ド偏見野郎じゃん」
「そうなの! 偏見なの。そういう偏った考え方の人とは仲良くなれないと思って」
もう一度大きくため息をつく。
京大に入ってから、いろんな意味で色眼鏡で見られたり今回のように偏見で自分という人間を判断されたりすることが増えた。相手からすればポジティブな考えのもとそう判断しているのだろうが、四角い枠の中に閉じ込められる側からすればいい迷惑だ。
「まあそうだろうね。あたしでもそんなこと言われたらやだもん」
「だよね。つばきはいいなあ。
「まあねえ。実際楽だよ。変に気を遣うこともないし、育ってきた環境も似てるし話が会うっていうか」
つばきは所属している国際交流サークルにて、薬学部の男の子——
「カナも手っ取り早く大学内で探しちゃいなよ」
「全然手っ取り早くないよ。四回生にもなって大学内で相手を見つけるのは至難の技なんだよ」
「んー、言われてみれば確かにそうかも」
つばきは肯きながらコーヒーを飲んだ。入学したての頃ならまだしも、もうすぐ卒業する身である私が今更新しい交友関係を築くのは至難の技だ。サークルや部活に入ることもできないし、卒業に必要な単位はほとんど取り終わっているため、授業中に隣の席の人と運命の恋に落ちることもない(これはそもそも期待すらしていない)。
「社会人になってからに賭けるしかないのかなぁ」
「社会人ね……」
つばきはそこで、なぜか少しだけ目を伏せた。あれ、どうしたんだろう? 普段なら「社会人になってからだと余計に出会いなんて少なくなるよ!」と吠えるところなんだけれど。
あ、そうか。社会人になったらつばきは神谷くんと離れ離れになるんだっけ。
「やっぱり寂しい?」
「え?」
「ほら、神谷くんって東京でしょ。つばきは東京戻らないんだっけ?」
「え、うん。今のところは
私もつばきも元々東京出身で大学に入ってから京都にやってきた。就職となれば東京に戻っても良さそうなものだが、つばきは関西本社の会社に就職する予定だから、異動がない限りは関西勤務とのこと。
「そっか〜。それじゃあ遠距離になっちゃうんだね。大丈夫?」
「はは、大丈夫大丈夫。あいつには浮気する甲斐性なんてないし」
笑いながらそう言う彼女の表情に、やっぱり少しだけ翳りが見える。面と向かって言葉にはしないけれど、やはり寂しいのだろう。そりゃそうだ。恋人と離れ離れになるのは悲しい。私は、高校時代に付き合っていた彼のことを思い出した。東京の大学に進学した彼。久しぶりに帰省した日、彼は私の知らない女の子と手を繋いで歩いていた。決定的な瞬間を見てしまった私は、絶望に打ちひしがれながら実家の自分の部屋に引きこもり一日中泣いた。泣き腫らしたあと、彼にお別れの電話をしたのだ。離れてからまだ一年も経っていないのに。高校を卒業する時には「絶対に奏だけを好きでいる」なんてクサい台詞で私を励ましてくれたくせに。不覚にもその言葉を信じ、大学に入ってから男性からの誘いを一切断り続けた私の純粋な気持ちを返して欲しい。
と、遠距離恋愛で散々辛酸を舐めた私は、これから遠距離恋愛を始めようとしているつばきに深く同情してしまった。
「それよりさ、カナは横浜だよね……?」
「うん」
「あたし的にはそっちの方が寂しいかも」
「つばき……」
私は来年から横浜に本社を構える不動産会社に就職することが決まっている。つばきとは大学を卒業すれば今みたいに会えなくなる。そのことを思うと私も鼻の奥がツンとした。
「YouTubeはもういいの?」
不意打ちだった。彼女は飲みかけのコーヒーを尻目に私の反応をしっかりと窺っている。今日の本題はこれだと言わんばかりの慎重な問いかけだった。
カフェでお茶をしている他の学生たちの話し声や、厨房でカチャカチャと食器を洗う音が急に聞こえなくなる。けれど遠くで鳴いている鳥の声はしんみりと耳に響いた。
「……YouTubeはもうやめたから」
「そっか」
それきり、彼女も私も口を開かなくなった。
YouTubeというワードはパンドラの箱そのものだ。わざわざ彼女が箱の蓋を開けようとしたことが、私にはちょっとだけ不可解に思えた。