鉄製の扉を開け、アハトは室内に入る。
コンクリート造りの無機質な個室だ。扉を開けてすぐのところに収納があるが、窓は一つのみ、右側の壁に質素なベッド、左側の壁に白いシンプルなデスクと椅子だけの殺風景な部屋だ。
アハト=ディソナンツは、扉を閉めて施錠すると、収納を開けて戦闘服から、白いタンクトップと黒いレギンスに着替える。そうしてデスクに向かうと、彼女の唯一の趣向品である、音楽再生用の携帯端末を引き出しから取り出し、ワイヤレスイヤフォンを装着してベッドに寝転んだ。
彼女の耳に、クラシック音楽が響く。
もっとも、クラシックに詳しいわけではない。単なる暇つぶしとリラックスを目的としているだけだ。
(あぁそうだわ。スヴェンヤからもらったクッキーを食べようかしらね)
気だるい身体を起こすと、デスクに置いた荷物の中から、スヴェンヤ手作りのクッキーを取り出す。スヴェンヤ曰く、ショートブレッドという種類のクッキーらしい。贅沢品のバターや砂糖などで作られているとの事で、ほんのり甘い香りがする。
透明な袋にピンクのリボンで梱包された、三個入りのショートブレッドを一つ取り出し、頬張る。
(甘くて……美味しい)
(これを、母さんやカタリーナにも食べさせてあげたいものね)
カタリーナというのは、妹の名だ。別れる前は十歳だったが、あれから何年も経過している。
基本的に、人造吸血鬼となった者は、血縁者と二度と会う事は出来ない。
理由は簡単で、安全な地域に家族は移動し、ある意味隔離状態となる。外側から離れるため、自由はあるが行動が制限されるのだ。一方人造吸血鬼は狩るために、危険地帯に近い場所へと配属される。故に、物理的に会う事が出来ないのである。
さらに、人造吸血鬼達は藍き血者と直接接触するため、万が一の事を考慮し、安全地帯どころか、この休憩場以上の地域に立ち入る事を禁じられているのだ。
だから、人造吸血鬼となると決めた時、母も妹も泣いていた。
それでも、彼女は選んだ。
――藍き血者となり果て、行方知れずとなった父のような目に、残った家族をしたくない。
失いたくない。
それ故の決断だ。
後悔はない。だが、人間である事を捨て成長が止まった自分と違い、妹のカタリーナは成長している事だろう。
もしかしたら、恋人が出来たりしている時期かもしれない。
成長した姿をみたいとは思うが、規則を破り万が一があったら意味がない。
孤独に苛まれようとも、耐えるしかないのだ。
これが、人造吸血鬼……捕食者となった者の運命なのだから。