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ファラ・トゥルーナ・フラガラッハ公爵令嬢の手刀がカリオペ男爵令嬢の細首を一撃で切断した。
彼女が撃ち放ったのはただの手刀ではない。
彼女の放った一撃はただ一振りのみ、己が手刀を不治の神剣と見立てる血統魔術“フラガラッハ”である。
この魔術により傷を付けられたならば、その傷は決して癒える事はない。
その余りの切れ味たるや!
地に落ちたカリオペ男爵令嬢の頭部は胴体と切り離されても目をぱちぱちと瞬かせ、怒り、焦燥、恐怖、絶望、諦念と次々に表情を変え、やがて一切の動きを止めた。
未だ立ったままのカリオペ男爵令嬢の胴体からはびゅうびゅうと血が噴出し始め、やがてばたんと倒れ伏した。
だが婚約血戦は終わってはいない。
ファラは鋭い視線でいまだ構えを解かない。
残心だ。
一端の貴族であるなら、首を切断されようと最後の魔力を振りしぼって敵手の喉を食いちぎるくらいはやって当然。
だが…審判であるアリクス王国王太子シルマールがカリオペ男爵令嬢の死体に近付き、その生死を確認し…フラガラッハ公爵令嬢の勝利を宣言した。
婚約血戦は終わった。
公爵令嬢が勝利し、男爵令嬢が敗北した。
だが、そもそもなぜ二人の令嬢が殺し合うという様な事になっているのだろうか?
■
それは婚約血戦1週間前に遡る。
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「ねえ、シルマール殿下?わたくしの事を好きでいらっしゃるのでしょう?」
男爵令嬢カリオペが王太子シルマールへ媚びる様な声で話しかけた。
「勿論だ。君の美しさは言葉にしようがない。私は君を心から好いているよ。願わくば君がフラガラッハ公爵令嬢より強者であって欲しいものだ」
(うふふふふ……やっぱり殿下は私の事を……ん?強者?まあいいか…空耳でしょう)
「ねえ殿下?ファラ様の事なのだけど…」
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「ファラ・トゥルーナ・フラガラッハ公爵令嬢。男爵令嬢カリオペは君の代わりに私の傍へ立ちたいそうだ。彼女が私の傍へ立つというのなら、婚約血戦をする必要がある。受けるか」
ファラは静かに頷き答えた。
「無論」
そして、恋敵であるカリオペを鋭い目で見据える。
カリオペはきょとんとしていた。
「婚約血戦……?なにそれ…」
と言っている様に聞こえるが空耳であろう。
この国の貴族で婚約血戦を知らない貴族令嬢なんて居ないからだ。
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そして血戦の場。
「では構えたまえ、カリオペ嬢。このシルマールが審判をやろう。ルールは1つ。相手を殺せ。どんな手を使っても構わない。では死合い開始」
王国魔導部隊の精鋭が総出で結界を張る。
血戦の円形闘技場に青いドームが形成された。
え?という表情のカリオペを見て、ファラ・トゥルーナ・フラガラッハ公爵令嬢は苛立った表情を見せる。
「カリオペさん、殺界は既に敷かれております。早く構えて下さい。わたくしと貴女で死合い、どちらがシルマール殿下を支えるに相応しいかを決めましょう」
殺界とは分かりやすく言えば結界である。
殺界に入った2人はどちらかの命が尽きるまで殺し合わねばならない。
「ちょちょちょ!ちょっとまって!どういう事!?殿下は私が好きなのよね!?」
「その通りだ」
「だったらなんでこんな事をするの!?普通に婚約破棄すればいいじゃないの!」
「カリオペさん!何を仰るのですか?我々貴族は魔王討滅の尖兵!我々が何の為に強大な魔力を、大きな権力を持っているかを貴女も貴族ならばご存知のはずです。貴女とて毎年ご自身の年齢の数だけの魔兵を殺しているでしょう?」
殺してなんていない。
なぜならカリオペはカリオペであってカリオペではないからだ。
だがそれをこの場で言うわけにはいかなかった。
「そ、それがなに!?」
「でしたら分かっているはずです。貴族とは強くあらねばならない事を。なぜ強くなければいけないのか。それは強くなければ魔軍から民を護ることが出来ないからです。そして、強い貴族を束ねるのが王であるならば、王とはこの国…アリクス王国最強でなければならないのです。当然、それを支える者にも相応の力が求められます。わたくしはこの手で98名の婚約者候補を殺して参りました。貴女が次期国王たるシルマール殿下の隣に立つ事を望むのならば、わたくしよりも強くなければなりません。さあ構えなさい」
カリオペは驚愕した。
なんだそれは!そんなモノ知らない!
そんなイベント聞いた事がない!
ここはゲームの世界じゃないの!?
慌てるカリオペに、ファラは見切りをつけた。
舌撃だと看破したからだ。
舌撃とは言葉にて相手を動揺させ、隙を突くという技術である。
「では先手は頂きます」
――我が手に集うは吹き荒ぶ暴風
―――其は報復の刃、フラガラッハ
ファラの手刀が深く青い光を放つ。
その青は目を奪われる様な美しさで、だがその青光に照らされたカリオペはまるで冥府に誘われている様に感じた。
そして──
◇◇◇
カリオペ男爵令嬢に憑依した誰かは不運だった。
転生してくる世界を致命的に間違えたのだ。
彼女には確かに魅了の権能があった。
アリクス王国王太子シルマールの精神防壁を貫くほどの強力な権能だ。
王太子シルマールは婚約者であったフラガラッハ公爵令嬢への恋心を上書きされ、カリオペ男爵令嬢へ心を寄せてしまったことは間違いない。
だが、それはそれ、これはこれなのだ。
第二次人魔大戦が勃発し、全世界が魔王率いる魔王軍と盛大に殺し合っている中、東方の覇者であるアリクス王国の貴族達に最も求められていた事は何か。
それは2つある。
すなわち、“強さ”と“魔族を殺す事”である。
アリクス王国において貴族が他国より大きな権力をもち好き勝手やらかすことを許されているのは、有事においては国と国民を護る為に生きた国防兵器と化す事を課せられるからである。
恐ろしいのは貴族の全てがこれを自身の意思で受け入れていると言う事だ。
アリクス王国にだって善良な貴族、悪辣な貴族と色々いるが、有事の際には例外なく全ての貴族が鉄砲玉と化す。
東方の覇者と言うにはささやかな国土のアリクス王国は、しかしその異常な精神性を以て覇者たる地位を維持し続けている。
カリオペ男爵令嬢(?)にとっては非常に不運だったといわざるを得ない。
いかに魅了をしようが、弱き貴族に価値はないという精神性がどうこうなるものではない。
個人の好意は貴族としての責務、在り方に優先するものではないからだ。
まあカリオペ男爵令嬢(?)とフラガラッハ公爵令嬢が互角であったなら王太子シルマールとて前者を選んだであろう。
カリオペ男爵令嬢(?)の魅了の権能は確かに効果を発揮してはいるのだから…。
◇◇◇
なお、現在のアリクス王国ではこの野蛮で残酷な慣例は行われていない。大分前に廃止されたのだ。
なぜならばこの慣例は余りに貴族が死にすぎる。
そのせいで第三次人魔大戦勃発時、貴族の数が足りないアリクス王国は魔王軍に押し込まれ、あわや陥落の憂き目に遭う所であった。