目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第44話 すべって転んでぶつかった

 かすかに硫黄の匂いをふくむ風が、ぼんやりとした灯に照らされた紅葉もみじを揺らす。

 木々に囲まれた岩風呂 ―― とろりと青みがかった白い湯にも、枝の影がゆらゆらと落ちる。枝の向こうには、満天の星。風情があるなあ……

 そしていまの俺は、なるべく夜空に意識を集中させたい。天文は前世ではさほど興味なかったが、嗚呼ああ…… なんて、美しいんだ……

 こうして温泉にのんびりとつかり、俺に密着しているスライムさん ―― スライムさんであって人間女性では断じて、ない ―― と、眺める星空は…… な、なんて…… ふ、ふつくし…… ぜいぜいぜい (一時的な気道狭窄きょうさくによる喘鳴ぜいめい) 


 そう。じつはいま、俺、死にかけてる。

 俺にぴっとりと人間女性にそっくりな裸体をくっつけて、なんか幸せそうなスライムさんの気持ちを傷つけないようにするために。

 一般には羨ましがられるシチュエーションであることは、百も承知だが…… くるし ―― いや、耐えろ、俺。

 なんたって今夜は、俺がスライムさんたちのために建てた高級温泉宿に滞在する、最後の夜だ。

 明日、俺とイリスは魔族の国アンティヴァ帝国への帰路につく予定 ―― いったん戻って、ソフィア公女やベルヴィル議員から次の情報が入るのを待つ。

 なので。

{ちょっとだけでいいので…… いえ、無理はダメですよね…… わたしったら、恩返ししないとですのに…… でも、できたら……} などと、もじもじしながらリクエストしてくれた一途でいじらしいスライムさんに、悪い思い出を残すわけにはいかない。

 耐え……


 ふいに、遠くから地響きが聞こえた。

 見れば、静かだったはずの湯面が、細かく震えてさざなみを立てている。どうしたんだ……?


ぷぴゅんっ ぷぴゅんっ ぷぴゅんっ ぷぴゅんっ


 なにがあったのか考える間もなく、露天の扉が開き、スライム少女たちが次々と飛び込んできた。


{失礼します!} {お邪魔します!} {すみません!} {こちらが最短なんで!}


 最後に、2体の銀色に光るスライムさん ―― イリスの両親が、岩風呂のうえを跳ねていった。


{あっ、リンタローさまは◎△$§>∞と、ごゆっくり!} {がんばってくださいね!}


 いや…… サムズアップされても。

 この状況で、ごゆっくりがんばるのは絶対に、無理だろ。


「俺たちも出よう、イリス」


{はいです! でも、あの……}


「ん? どうした?」


{また、一緒に温泉に入りたいのです……}


 恥じらいながらもお願いしてくれるイリスは、間違いなくかわいい。

 こんなかわいい生き物のお願いを断れるわけがない ―― 従って。

 俺に残された道は 『約束』 だけである。


「うん…… がんばる」


{リンタローさま! 嬉しいです!}


 ぷにゅん!

 やわらかな2つのボールが俺の顔に襲いかかってき…… あ…… 目の前がくらく……

 なってる場合じゃない!


「イリス…… すまん…… 麻袋に、なっで……」


{麻袋? 了解です!}


 ――心核ケルノ修復後のイリスは、熱・氷耐性がついただけじゃなかった。なんと、体内に入れたり錬成したりしたことがないものにも、変身できるようになったのだ (俺の修復用錬成陣がすごすぎた件)。


 ぷるんっ

 イリスは素早く麻袋になって、俺の頭にかぶさってくれた。

 ふううううう……

 俺は袋のなかで大きく息を吐く ―― たすかった。

 このペーパーバック法、過換気症候群 (過呼吸) の治療としてはリスクがあって推奨できない。だが、俺は習慣的に、これなんだよな。


{あう…… リンタローさま、無理させちゃったんですね。ごめんなさいです}


「大丈夫だ。イリスのおかげで助かったんだから、気にするなよ…… それより、外が心配だ。行こう」


{…… はいです!}


 急いで着替え、外に出て、俺は息をのんだ。


 どどどどどど……


 黒いのように見えるなにかが、すごい勢いで、こっちに向かって動いている ―― 最近、イールフォ周辺でしばしば起こっているとは聞いていた。だけど、ここまで来るのか……!?


 魔獣大暴走スタンピードだ。


 このままでは、ぶつかる。

 宿が、踏み潰されてしまう……!


「まずいな」


 錬金術で防御壁でも作るか? だが、このスピードで押し寄せられたら、ひとたまりもないような。なにか、いいアイテムは ―― まて。

 よく見たら、暗がりのなかに、いくつもの人影がある。 

 スライム少女たちだ……


{させない!} {ここは、私たちの家……} {守ってみせます} {絶対に……!}


 疾走するの進路に、少女たちは並んで立ちふさがっている ―― いや、それ、跳ねとばされる結果しか見えないんだが!?

 ―― いや。

 ごちゃごちゃ言ってる場合じゃ、ないな。

 宿を守る気満々のスライム少女たちまでちゃんと保護できるよう、大きめの防御壁を築くしかない。


「《錬成陣 {ちょっと待ってです、リンタローさま! 見てください!}


 イリスがスライム少女たちを指さす…… なんだ? みんな、ぷるぷる震えてる。

 こわがってる感じじゃないんだが…… もしや。


 ぷぽんっ

 ひとりが、黄色いなにかに変身してクタッと地面に落ちた。


 ぷぽんっ

 ついで、もうひとり。


 ぷぽんっ ぷぽんっ ぷぽんっ ぷぽんっ……


 スライム少女たちは次々と変身しては、地面に落ちていく。

 これは、あれだ。そういうことか……

 なら、俺は宿を囲むように防御壁を作ればいいな。

 大丈夫だ。このスライムさんたちならば、やってくれるはず ―― 俺はスライムさんたちを邪魔せず、宿を守るのに協力しよう。


「《錬成陣》 ―― 中心にバフォメット解析と統合アシュタルテロフォカレル……」


 防御壁を作るのは初めてだから、錬成陣スキップが使えない。

 地面に手を置き、要素をひとつひとつ唱えて錬成陣を描いていく。

 どっどっどっどっ……

 手を通して全身に伝わる、大地の震え。

 急速に、強くなっている…… 時間がない。急がねば。

 やがて、巨大な錬成陣が宿を囲むように広がった。


「防御壁、錬成開始…… 《超速 ―― 600倍》」


 ごごごごっ……

 《超速の時計》 の青い光に照らされた地面を突き破るように、白い壁が隆起する。けっこうな地面の揺れだが、宿はびくともしていない。さすが前世日本の建造物だな。

 同時に、その下からは温泉水がにじみでて、あっというまに壁の外に広がる土地をぬかるませる。

 そこらの地中に含まれる石灰岩や鉄を、壁の原料として使ったぶん、自動的に掘削してしまった結果だろう。この辺は、どこ掘っても温泉が出るんだ。


【スキルレベル、アップ! リンタローのスキルレベルが31になりました。MPが+116、技術が+150されました。特典能力 《神生の大渦》 の使用回数が16になりました。MPが全回復しました! 鍛冶スキルがlv.3になりました。《超速の時計》 の 《超速》 使用回数が1日4回になりました。称号 《建築術士》 が付与されました!】


 魔獣たちは、一匹一匹の見分けがつく距離まで迫っている…… 数十歩で、変身し地面に伏せるスライムさんたちにたどり着くはずだ。

 俺も備えておこう。


「《神生の大渦》」


 もはやお馴染み・液体窒素ボンベの特大ボトルをチート能力で取り出し、ぬかるんだ地面に吹きつける。

 硬く凍った、滑らかな鏡のようなアイスバーンの完成だ。

 さあ、こい……!


 魔獣の先頭が、スライムさんを踏んだ。


 つるっ

 どぉぉぉぉんっ……


 …… ぐぉぉぉぉぉっ


 先頭の数体が滑ってこけ、断末魔をあげる。

 スライムさん 《バナナの皮の姿》 、やはり、最強だな。


 どぉぉぉぉおんっ! ばんっっっ! どぉぉぉんっ!


 ぐがぁぁぁぁあっ…… ぎゃぁああああっ……!


 次の魔獣は、倒れた魔獣につまずいてこけ、後ろの魔獣を蹴飛ばし、飛ばされた魔獣がさらに次の魔獣にヒット……

 もともと暴走状態だったため、歯止めが効かないようだ。

 ドミノ的に次々と倒れていく魔獣たち。

 さらに後から来る連中に、踏み潰され、蹴飛ばされて、その命を終え、心核石コロケルノだけを残して散っていく……

 運良くスライムさん 《バナナの皮の姿》 のトラップを越えても、その先には俺の作ったアイスバーンと防御壁が待っている。


 つるっ

 ざぁぁぁぁぁっ…… どぉぉぉんっ


 …… ぐぅぅぅっ……


 突進してきた魔獣たちは、みな、かがやくなめらかな氷の道で滑って転び、大理石より固い壁にぶつかって倒れていく ――

 こうして、ほとんどの個体が心核石コロケルノだけの姿になり、あるいは正気に戻って逃げ帰ったあと……

 残ったのは、でかい魔獣モンスター1体だけだった。

 だからといって、なめてはかかれない。

 闇を凝らせた小山のような体躯に、燃える石炭のような目に、巨大な牙 ―― 王猪ロード・ボアだ……!

 王猪ロード・ボアは、1体だけでも危険な存在。かつては1体で小さな町を滅ぼしかけた王猪ロード・ボアもいたほどだ。

 ―― そいつは、立ち止まっていた。

 スライムさんたちが変身した、大量のバナナの皮の前で。

 暴走していたはずなのに…… これが罠だと見破り、踏みとどまるだけの知性が残っていた、とでもいうのか?

 とすると、もしや、暴走の指揮をしたのは、こいつ…… 


「イリス、気をつけろ」 {了解です!}


 俺とイリスは油断なく身構える ―― だが。


 いや、ちがったわ。

 単に、腹が減ってただけだったんだわ。


 空腹は暴走をも止める (名言)


 ―― とか言ってる場合じゃない。


 やつは、バナナの皮をご馳走とみなしたようだ。

 牙でしきりに、スライムさんたち 《バナナの皮の姿》 をすくいあげ、口に運ぼうとしている。


「イリス」


{なんですか、リンタローさま?}


「スライムって食われると、どうなるんだ……?」


{体内をお掃除して出てくるので、すっきり健康になれるのです!}


「いや、食ったほうじゃなくて、食われたほう……」


{ちゃんと出てこれるので、心配ないですよ?}


「うん。やっぱり、倒そう」


 スライムとしては、なんてことないんだろうが、みんながウ○コになるのは俺が嫌だ ――


「イリス。レーヴァテイン炎の剣、なれるか?」


{まかせるのです!}


 ぷぴゅんっ

 少女の姿から、太陽のプロミネンスを象った、白く輝く伝説の剣の姿に ―― イリスは変身しながら、俺の手にとびこんでくる。熱耐性がついて、ますます頼もしくなったな。


 俺はレーヴァテイン炎の剣の姿のイリスを携え、王猪ロードボアと大量のバナナの皮のあいだに身を滑らせた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?