目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第40話 分解したら土下座された

 ぶっ……

 茶色く濁った粘液が勢いよく、俺たち向けて吐き出される。


「おっと」 〈いややわぁ!〉


 かろうじて避ける、俺とゼファー。

 びちゃっ……

 粘液は、ガムテープで縛られ身動きの取りにくい研究員の顔面に直撃した。

 生乾きのぞうきんのような腐臭が、漂う。


「………… くっさぁぁぁ!」


 研究員が叫ぶ。開いた口に、もう1撃。


「ぐぅ…… げほっ、ぐぉおおぇええええ……」


 白目をむいて研究員が膝から崩れる。床に両ヒジをつく研究員に、ネバネバした巨体には似合わぬ素早さでにじりよるアメーバ。

 あっというまに研究員の背にのり、白衣のなかに触手を伸ばす。


「ひぃぇっ…… ぐさっ…… ひゃんっ…… やめ、ああっ…… ぐぅっ…… やめなさい! んんっ……! だから、あっ、やめなさい! ひゃう……」


 身をよじる研究員。眼鏡がずれて、床に落ちる。

 ―― 両腕を身体ごとガムテープで封じられているから、立ち上がれないんだな。


〈……って、リンタローはん! 助けてあげまへんのん?〉


 そういうゼファーも、天井付近に飛び上がったまま、降りてきてないよな?


「正直いって、さわりたくない」


〈わかりますわ……〉


 だが、ひとしきり研究員の身体をまさぐると、巨大アメーバは矛先を俺に向けてきた。

 ぶっ…… ぶっ…… ぶっ……

 (おそらくは、あまりの臭さに) 気を失った研究員から離れ、粘液を飛ばしながら、ずるずると迫ってくる。

 けっこう、速い。

 走って逃げられないわけじゃないが、アイテムを取り出す余裕がない……!

 時間が経つほどに、実験室は巨大アメーバの粘液でまみれ、なまぐさい臭気が満ち溢れる。

 俺は鼻をつまみ巨大アメーバの攻撃を避けながら、鳥人の少女に頼んだ。


ずばすまん、ゼファー! どひはへずとりあえずごのハベーバこのアメーバ止ふぇでぐへとめてくれ


〈なんぼ出します?〉


はどでゆっふひあとでゆっくりはだじあぼうはなしあおう


〈しゃあないなあ〉


 ゼファーは天井付近を飛びながら、アイテムボックスから十数本の投げ槍を引き抜いた。モンスターを仕留めるときに使う、先端を尖らせた細身のものだ。

 振りかぶり、一斉に手から放つ。


〈東洋秘技・影縫……!〉


 どすどすどすどすどすどすっ……

 すべての槍が、アメーバに突き刺さる。

 ネバネバのボディーが槍にからまってしまったようだ。

 抜けようともがくものの、巨大アメーバは、そこから動けなくなってしまった。


「ゼファー、ずごひすごいな! よぐやっでぐへだよくやってくれた


〈お礼は、リンタローはんのトンデモ道具、ちらっと貸してくれるだけで、ええで〉


ぞえはだべそれはだめだ…… 《分解》」


 俺は、うごめく巨大アメーバに手をかざし、スキルを使った。

 中心のバフォメット解析と統合が半分欠けた特殊錬成陣が、アメーバの表面に浮かびあがる。

 アメーバの動きが、ぴたり、と止まった。


 ―― 数分後。


{ごめいわくをおかけしたのです!} {申し訳ありませんのです!}


〈ほんまやで〉


「ゼファー、やめて ―― いいから、頭を上げてください」


 俺たちの前では、ふたりの銀髪美女がスライディング土下座を披露していた。俺のスキルにより分解されたアメーバは、汚水と夢見薬ドゥオピオの水たまりと、ふたりのスライム少女になったのだ。

 もしかして…… とは思っていたが、やはり。

 巨大アメーバの正体は、中毒の末期状態にあるスライムだったのだ。きっと、さらなる薬を求めて、さまよっていたんだろう。分解したらきれいさっぱり治ったのは、ラッキーだったな。


 ふたりの銀髪美女はどちらも、どことなくイリスに雰囲気や面差しが似ている。 

 ひとりはショートボブで、ひとりはウェーブのかかったロングヘアだ。ショートボブのほうはイリスによく似た青紫の瞳で、ロングヘアは、イリスみたいなふわっとした雰囲気。


「おふたりが、イリスのお父さんとお母さんですね?」


 俺が確認すると、ふたりはやっと土下座をやめてくれた。きょとんとして首をかしげている。


{イリス……?}


{……っ! ◎△$§>∞じゃないですか、あなた!?}


{まさか…… その子は…… 世界で一番かわいくて、我々のような髪で、妻のような青紫の瞳で}


{世界で一番かわいくて、夫によく似た顔立ちの……?}


「そうだ」


 やっと、イリスの両親にたどり着いた ――

 うなずきながら俺は、涙腺が緩むのを感じた。

 なんでここで、泣きたくなるんだ…… これまでこんなこと、なかったのに。

 そもそも泣いてる場合じゃない。

 震えそうな口元を制御し、俺はなんとか言葉をつむぐ。


「世界で一番の、スライムさんだ」


{{◎△$§>∞!}}


 イリスの名前を同時に叫び、抱き合う銀髪美女たち。


{生きていたのですね……} {よく、無事で……}


「あーそれが…… まことに申し訳ないが、無事じゃないんだ」


{……へ!?} {どういうことですか……!?}


「まことに、申し訳ない」


 今度は俺が、イリスの両親に頭を下げる番だった。

 ―― イリスが俺を銃弾からかばって心核ケルノを損傷し、動けない状態であることを説明し、クーラーボックスを取り出す。

 ふたを開けると、そこにはポーションのなかで眠るイリス 《スライムの姿》 。


{{◎△$§>∞!}}


 くいいるようにイリスを見つめる、ふたり。


{ああ…… 大きくなって} {でも、小さいころの面影もあるのです……} {わたしたちがいなくても、立派に育ったんですねえ} {頑張ったのですね、◎△$§>∞は……}


 10年ぶりくらいの再会になるか……

 そう思うと、ふたりを邪魔できないよな。

 俺としては、一刻も早くイリスの目を覚まさせてあげたいんだが……

 と、迷う俺のかわりに、ふたりをさえぎってくれたのはゼファーだった。


〈あんな、おふたりさん。感動の再会は、イリスはんを起こしてからにしまへんか?〉


{あっ……} {そうでした}


 ぷぴょんっ ぷぴょんっ

 跳ねるようにしてスライム美女たちが俺のほうに向きなおる。


「サンキュー、ゼファー」


〈かまへんよって…… それよりなんか、表が、さわがしいな?〉


「そうか……? 俺には、聞こえないが」


〈うち、ちょっと見てきますわ〉


「助かる。気をつけろよ」


 ぱたぱたと軽く羽ばたくゼファーを見送り、俺は、イリスの両親に尋ねる。


「―― で。イリスの心核ケルノの修復には、シュリーモ村秘伝の特殊錬成陣が必要らしいんだが、御両親に、お心あたりは?」


{いえ……} {ごめんなさい……}


 ふたりは、顔を見合せて首を横に振った。


{わたしたちは、◎△$§>∞を生むための触媒を提供して、新個体の生成を見守っただけで……} {錬成陣を知っているのは、おそらく、開発担当者か村長だけだと思うのです}


「そっか…… まいったな」


 なら、イリスを救うためには、やはりシュリーモ村まで戻らねばならんのか…… いや、ちょっと待てよ。

 たったいま、イリスのお父さん、なんて言った?


「ひとつ確認したいんだが、スライム族の繁殖方法って?」


{子どもを作ると決めたら、まず、よき日を占い村の生誕堂を予約し……}


 イリスの両親の話を要約すると ―― なんと、スライムたちは昔からずっと村にある錬成陣を使って次代のスライムを錬成しているらしい。

 必要な材料は、純度の高い魔素マナとカップルそれぞれのスライム触媒…… まじか。

 予想外すぎてびっくりの繁殖方法だが、ひとつ、希望が見えた。

 つまり、秘伝とまったく同じでなくても、それらしい錬成陣さえ描ければ、イリスの心核ケルノも修復可能かもしれない。


「ご両親に相談なんだが…… いま、俺が錬成陣を作ってみるから、修復に協力してもらえないか?」


{修復?} {できるのですか?}


「俺の錬金術師としての知識と技術で、試してみる。ただし、ダメだった場合は反応がまったく起こらず、ご両親をがっかりさせることになるが……」


{やってみましょう!} {早いほうがいいですから!}


 ぷぴょんっ ぷぴょんっ

 イリスの両親は、跳ねながら賛成してくれた…… ほっ。

 俺はふたりに礼を言い、床を清めて手をかざす。

 さっそく、錬成陣の構成を始めよう。


 ―― 理論上、生命を錬成できるのは、地火風水の四大元素にバフォメット解析と統合ルキアを加えた6重以上の錬成陣。いまこの世界では、これで人間の皮膚の再生ができるまでに研究が進んでいるらしい。

 スライムの繁殖に使う錬成陣は、おそらくこれと同じような造りだろう。

 さらにイリスは 『錬金釜になれる』 という特性を持つため、6重錬成陣に加えて、4大元素のそれぞれと片割れずつのバフォメット解析と統合、そしてルキアを外縁に重ねる必要があるはず。

 とすると、計13重の錬成陣か…… いまの俺の実力では、かなりの集中とMPマジックポイントが必要になりそうだ ―― よし、やろう。

 ひとつひとつの要素を、俺は慎重に唱えていった。


「中心にバフォメット解析と統合マルドゥークレプト。第1縁、レプト。第2縁、アシュタルテ。第3縁、バアル……」


 そのとき。

 バサバサと慌てたような羽ばたきが聞こえた。ゼファー、戻ってきたのか…… だが、錬成陣に集中だ。


〈大変でっせ! ドブラ野郎が、向かってきまっせ! ベルヴィルはんとソフィアはんが、つかまって……〉


 くそ……! どこかに内通者でも、いたのか? 先に、ここから脱出すれば良かった。早くイリスを助けてあげたくて、冷静な判断ができていなかった……


{とめてきます!} {わたしも!}


 ぷぴょんっ、ぷぴょんっ

 イリスの両親が、跳ねながら実験室のドアに向かう。


〈うちも!〉


 ゼファーがその、あとを追う。

 しかたない…… 先に、ドブラ議員をなんとかするか…… イリス、ごめん。また、遅くなる。

 俺が錬成陣を構成する手を、おろそうとしたとき。


 ぷぴゅんっ、ぷぴゅんっ


 イリスの両親が、すごい速さで戻ってきた。俺の手に、試験管を押し付ける。


{リンタローさま、◎△$§>∞をよろしくお願いします!} {わたしたちの触媒です! どうぞ!}


「…… わかった」


{あちらは、くいとめますから!} {◎△$§>∞の修復、成功させてください!}


〈はよ、イリスはん、起こしたってや!〉


 遠くから、ゼファーも叫んでいる…… そうか。

 ここでイリスを救うのが、俺の役割なんだな。


「まかせろ!」


 叫び返して、俺は再び、錬成陣に向かった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?