悪夢は、不眠症の症状のひとつだから、見ること自体はおかしくない…… しかし、その原因は、使用人への不信感から生まれる緊張や、たまりまくった仕事へのストレスであるべきだ。
どこからか湧いて出た、下半身と耳が馬の顔だけイケメンが原因など。理不尽きわまりない。
俺は念のために声をなるべく抑えて、ソフィア公女とゼファーに質問してみた。
「―― 1、集団幻覚、あるいは俺の目がおかしくなった。2、スライム的な技術により侵入。3、この世の理屈を超えた現象。どれだと思う?」
〈え?〉 「どうして、幻覚などと?」
きょとんとする少女ふたりも、ひそひそ声だ。
〈というか、普通に
「どう見ても
「理不尽!」
ソフィア公女とゼファーによると、
そういえば、前世のゲームでは、NPCが 『昨晩は夢見が悪くてよお』 などと言うことはあった…… いや、やっぱストレスだろ。
―― ともかくも。
ベルヴィル議員の体調を崩す
ベルヴィル議員には早く健康になってもらいたい。
くわえて、魔族全体の方針はいまや 『人間に危害を加えるべからず』 だ。
よし、倒そう。
「イリス、じゃなくて 《神生の螺旋》 ―― 液体窒素ボンベ!」
そう。
気化できないよう、超低温で凍らせたうえ、密閉容器に入れてしまえばいい。
さて、その密閉容器だが……
「《錬成陣スキップ ―― ガラス装飾》」
俺の足元に錬成陣が現れる。
俺はアイテムボックスからガラス細工用の原料 ―― 石英、塩、方解石をありったけ取り出して錬成陣の中に置いた。
さて。これから行う錬成のために必要な材料は、あとひとつ……
俺は、液体窒素ボンベを
ベルヴィル議員には絶対に当たらないよう、角度を調整。さいわい、
ソフィア公女とゼファーに音をたてないよう合図しながら、俺は、そっと
あと、1歩……
カランッ
〈あっ、すんまへん!〉
思わず振り返ると、ゼファーが慌てて、みそ汁の空き缶を拾い上げているところだった。さっき飲んだの、まだ持ってたのか。
「リンタローっ……!」
ソフィア公女の、緊迫した声…… しまった。
ベルヴィル議員にまたがっていた半身馬のイケメンの姿が、急激にぼやけ、黒い霧と化す。
逃げる…… 暇がない。
俺の目の前が、闇に閉ざされる。だめだ、踏みとどまらなくては…… だめだ。
悪夢のなかに、引きずりこまれる ――
…………
…………
………… 〈リンタローはん!〉
「リンタロー、大丈夫ですか!?」
大切な人たちが次々と死んでいく。必死で蘇生させようとしているのに、間に合わない。そのなかに、前世の母親と父親もいる。イリスも…… 焦れば焦るほど、身体がこわばって動かなくなる。ヤメテクレ、俺は声にならない悲鳴をあげる。母親につながった計器が音をたて、父親が目を見開いたまま動かなくなり、イリスが溶けて消えていく…… ダメダ、ダメダダメダダメダ…… ふいに、腹に衝撃。見れば、ストーカー女が俺に包丁を突き立てている…… これで終われ…… 終われない。目の前には、また……
ループする悪夢は、ゼファーとソフィア公女の声で途切れた。
〈リンタローはん! はよ、起きぃや〉
「リンタロー! 起きてくださらないと、この錬成をどうしたら良いのか、続きがわかりませんわ?」
―― ふわふわスベスベの、あたたかな羽毛に包まれる感触。そして、丸みのある弾力……
「…… ぅっわ!」
目をさました俺は、思わず叫びつつ、ゼファーの胸元から身を離す。
〈なんやのん。失礼なやっちゃな〉
「いや、かばってくれたのは、わかるんだが。いかんせん、女性アレルギーがだな 〈ったくもう。種族が
「そういう問題じゃないんだ」
軽く言い合う俺とゼファーの向こうでは、ソフィア公女がなにやら、どす黒い灰色のカタマリをかかえて首をかしげている。
「ねえ、リンタロー。この
「ああ。頼む…… そいつ、ソフィア公女が凍らせてくれたのか?」
「ええ。ピンときましたの」
「? ピンと……?」
「あの大きなスプレー、前にリンタローが父を凍らせるのに使ったのと、同じものでしょう?」
「う…… あのときは、すまん」
「父を止めてくださったのですもの。謝る必要はありませんわ…… それより、早くしませんと。溶けてしまいましてよ」
「わかった」
俺は錬成陣に近づき、手をかざす。錬成陣が光を放ち始めた。
「スノードーム、錬成開始…… 《超速 ―― 200倍》」
錬成陣のなかが目まぐるしく動く。 《超速の時計》 を使ったのは、
数秒後、巨大なスノードームが完成。
なかでは解凍が進んだらしい
ゼファーがこわごわとスノードームをのぞきこんだ。
〈これ、どうしますのん?〉
「このままベルヴィル議員に引渡しだろ」
〈ああ、そうでんな、というか…… よく
「そうね。問答無用で処刑されても、しかたなくてよ?」
〈あ。もしかして、知らなかったんやないかな…… ん?〉
ゼファーがふいに、耳をすます仕草をした。耳がいいのは、鳥人ならではだ。
口元に指をあててスノードームに目配せしながら、ゼファーは唇を動かす。
ゼンブ ハナスカラ タスケテ
―― どうやらゼファーは、俺たちに
「俺たちに言われても、勝手に約束はできないし、ここから出してやるのは論外だが」
「そのとおりですわね」
〈あ。泣き出した。また、なんか言うてるみたいやわ……〉
ケイヤク マホウ ソムケナイ
メイレイ サレテ シカタナカッタ
「へーえ……」
ふいに、背後から怒りを含んだ声がした ―― ベルヴィル議員、起きたのか。
「もう少し寝てたら、どうだ?」
「そのとおりよ、ベルヴィル。ずっと寝ていなかったのですから、ゆっくりしてらして」
「お言葉に甘えるには、状況が、ちょっとね?」
ベルヴィル議員は苦笑し、ベッドから降りて、こっちにきた…… ネグリジェ姿のまま、スノードームに詰め寄る。
「で? 誰の命令だった、っていうの? とっとと吐きなさい」
イエナイ ケイヤク マホウ アル
マホウ トケタラ イエル
「ふざけないでね? いま 『全部話す』 と、自分で言ったわよね?」
ベルヴィル議員のかまえた拳銃の先が、強化ガラスにあたって冷たい音をたてる ――
ヒィッ……!
ケイヤク マホウ トイテ ソシタラ ハナス
「でたらめを言うわね。そもそも 『契約魔法』 など、聞いたこともないわよ?」
ケイヤク マホウ
「待ってくださいな、ベルヴィル」
ソフィア公女が進み出た。顔が少しばかり青ざめている。
「わたくし 『契約魔法』 に心当たりが、少々…… 解いてみても、よろしくて?」
「できるの? なら、お願い、ソフィア」
ひとつうなずくと、ソフィア公女は右手の指輪に左手を重ね、神聖魔法の呪文らしきものを唱えはじめた。
「……〔
ソフィア公女の祈りにより、いったんその指輪に集まった力は、白い光となってガラスドームを
「〔
しばしの沈黙。それから俺たちの耳に、深く息を吐く音がかすかに届いた。
…… ハァァァ……
ソフィア公女が、ガラスドームのなかの黒い
「調子は、いかがかしら?」
…… アノ クソヤロウ サンド シネ
ワア! ケイヤク マホウ トケテル!
「三度死ぬのは無理でしょうけど…… いまごろは、解呪された契約魔法が跳ね返って、
アリガトウ アリガトウ テンシサマ
「いいえ。こちらこそ、ごめんなさいね……」
ソフィア公女の最後のつぶやきは、俺には聞こえなかったが鳥人には拾えたらしい。
ゼファーが、首をかしげる。
〈お父はん? なんで、ソフィアはんのお父はんが出てきまんの?〉
「えっ…… 父だなんて、わたくし…… ええ、もう! ごめんなさい!」
妙にあわてて変に謝ったあと、ソフィア公女が説明したところによると。
契約魔法というのは、センレガー公爵家特有の神聖魔法であるらしい。つまりこの件には明らかに、ソフィア公女のお父さん ――
余談だが、モンスターを使役リングで操る使役魔法は契約魔法から派生したのだという。
だから、センレガー公爵領ではモンスターの使役がさかんなんだな……
「契約魔法は、使役魔法とは違い、双方の合意が必要なのですわ。そのぶん強力に契約者を縛ることができますの」
「あら。では、
ベルヴィル議員がまたしても、銃口をガラスドームに向けた。黒い
ダッテ ケイヤクシタラ カイホウシテ クレルッテ イウカラ ツイ
「解放? つかまってたのか?」
事情を聞くと、
ソフィア公女とベルヴィル議員が、ガラスドームに詰め寄る。
「なら和平協定がなされた時点で、
「明らかに条約違反ね! 誰なのよ、それ?」
そいつが、ベルヴィル議員に
俺たちは口をつぐみ、
そして語られた、名は ――
アンスヴァルト ブラント フォン ドブラ