{飛んだのです!}
「うん、飛んだな」
{速かったのです!}
「うん、速かったな」
イリスは翼竜が気に入ったみたいだ。ゲストハウスの屋上におろされて、真っ先の感想がこれ…… 和む。
だが、遊園地に初めて来た子みたいになっていたイリスの表情は、すぐに変わった。
―― ソフィア公女の婚約者、カイル皇子が息を切らしつつ、走ってきたからだ。
「ソフィア! どうしたんです、急に!?」
「カイル様に、情報提供者を連れてきましたの」
「…………っ」
カイル皇子、驚いたみたいだな。いやまあ、俺もちょっとびっくりしたけど。
単刀直入なのは、それだけカイル皇子を信じているってことなのか…… ソフィア公女はまっすぐに、婚約者を見ていた。
「―― 隠されていたこと、いまさら、責めるつもりはありません。少し、悲しいですけど」
「ごめん、ソフィア…… ありがとう」
「べっ、別に! わたくしとて、領民に対して貴族としての責務を考えた結果というだけですから……!」
このやりとりで、わかりあえるあたりが学生時代からの仲、ってことか…… なんだか羨ましいな。
「情報を提供してくれるのは、あなたがたですね」
カイル皇子が俺とイリスのほうを向いた。
「ニシアナ帝国第三皇子、カイル・リー・ファリントンです」
「俺はリンタローだ」 {イリスです!}
俺たちは握手をかわす。皇子といっても偉そうなところがなく、穏やかで感じの良い男だ。
「さて、せっかく来ていただいて失礼ですが、話はこの場で聞かせてもらっても、かまいませんか? 室内では、ちょっと……」
カイル皇子は、あたりをうかがうような仕草をした。
小声で素早く説明されたことによると、カイル皇子は学院を卒業して以来ずっと、『将来のために領政を学ぶ』 目的で、この地にいるそうだ。
カイル皇子が、いずれソフィア公女と結婚して公爵位を継ぐ立場であればこそ ―― だがセンレガー公爵にはまだその気はなく、カイル皇子は文化事業の一部を任されているだけだという。
「センレガー公爵は、私を信用しておられません。私の護衛や使用人はすべて、センレガー公爵が手配した者なんですよ」
「皇家から連れてきたりはしなかったのか?」
「全員、追い返されました」
「なんてキッパリした態度なんだ」
つまり、センレガー公爵は皇家の者にそうできるだけの立場なんだな。権力としては皇家と同等…… か。
「センレガー公爵は独立心が旺盛なかたです。ニシアナ帝国としては、私とソフィア公女の婚約をもって、センレガー公爵に手綱をつけたかったようですが……」
「その手綱をセンレガー公爵は、やろうと思えばいつでもチョッキンできる現状、と。いま皇子の計画がバレるとまずいから、ここで話そう、ということだな?」
「はい…… もっとも、この屋上も100%安全とは言えませんので、話は小声でお願いします」
「えーと、きみたちは……」
つい、おっさんくさくツッコんでしまう、俺。
「若さのエネルギーが爆発したアポ無しデートとか、いっさい、しないんだ?」
「「あ」」
―― 数分後、俺たちはふたたび、空の上にいた。風が涼しく、遠くに海が光っている。
「俺が言うのもなんだが、本当に抜けて大丈夫か?」
「問題ありませんよ」 と、カイル皇子が笑った。童顔なせいもあって、ふっきれた表情は中学生くらいにしか見えないな。
「このあとは 『ございません会議』 だけですから」
「なんだ、それは?」
「なにを提案しても、なにを尋ねても、延々と頭を下げられるだけで進捗のない会議です。
『予算がございません。時間がございません。公爵からの許可が、まだ降りてございません。ご期待に添えず、誠に申し訳ございません』 と」
「お互いに地獄なやつだな。言うほうも言われるほうも」
{ほんとう、人間って怖いのです!} と、イリスがぷるぷるする。まあ、
「そんなの、わたくしがお父様に直接言って差し上げますのに!」
ぷんぷん怒ってる口調のソフィア公女。だが、その顔は楽しそうだ。
なんでも、カイル皇子と外出するのは学院卒業以来らしい…… 俺、いい提案したな。
「これから、どこに行くつもりなんだ?」
「適当に飛びながら、話しましょう。ついでにリンタローとイリスさんにセンレガー領を案内してあげますわ」
{わあい! ずっとクウクウちゃんに乗れるんですね!}
イリスはグリッターをキラキラ出して喜んでるが…… 俺は、確認せずにはいられない。
「それでいいのか?」
「あら? なにか、おかしかったかしら?」
「いや、まあ、いい……」
せっかくのデートの意味…… と思うおっさんが、おせっかいなんだろう、たぶん。
―― それから俺たちは、センレガー公爵領を見おろして飛びながら、情報のすり合わせを行った。
予想どおり、カイル皇子が調査していたのは、奴隷狩が関わっている危ない薬について。
俺が、オークたちを狂わせた
「センレガー公爵は、魔族に
「じゃあポーション、まだ流通はしていないんだな?」
「試作品が作られただけですね。その試作品も、諜報員が普通のポーションに、すり替えてくれていますよ」
「そっか、助かった……」
どうやら、俺が作ったポーションは悪用されずに済むみたいだ。
「じゃあもうひとつ 『夢』 っていうのは?」
「
「ふーん…… どんな薬かは、わからないか。いずれにせよ、警戒したほうがいいやつには、違いないな」
「ええ。私は、どちらの薬も広まる前に、センレガー公爵ともども叩き潰すのが……」
言いかけて、気まずそうな表情をするカイル皇子。
「ごめん、ソフィア……」
「いえ。遠慮はいりませんわ」
ソフィア公女は俺たちに向かって拳をつきあげてみせる。
「むしろ、潰しましょう! ええもう、徹底的に!」
「しかし……」
「いえ! だって、そんな親キモい…… いえその、道義に反する行いは、いけませんもの」
なんかわかりやすい本音がちら見えた感。
―― この調子なら、こっちの本音を出しても大丈夫だろう。
「俺は、現段階でセンレガー公爵を徹底的に潰すのは、どうかと思うが」
「どういうことですか?」 「わたくしに遠慮は、いりませんよ?」
カイル皇子とソフィア公女は、
「もう少し、いろいろ調べたい。
そもそも、センレガー公爵はどうして、誰も知らなかった新しい薬物の存在を知ったんだ? 奴隷狩りに薬物を託したのは、なぜだ?」
「奴隷狩り……」 と、ソフィア公女が息をのんだ。
「お父様に取締りを厳しくするよう、何度も進言しましたわ。聞いてもらえませんでしたが……」
「つまり…… ォロティア義勇軍とセンレガー公爵がつながっている、と言いたいんですね、リンタローさんは」
「可能性は高いだろ」
カイル皇子はうなずき、眉を寄せて考え込んだ。
「ならば、センレガー公爵は別件でとらえ、薬物については拷問でさらに情報を引き出したほうが、いいですね……」
「そうだな。もし
「別件となると、奴隷狩の容認か…… リンタローさん、必要があれば、証言してもらえますか?」
「俺が奴隷狩りにつかまり、センレガー公爵に売られたことを、だよな? かまわんが」
「えっ」 と、またソフィア公女が声をあげる。
「借金がかさんで、みずから身売りしたのでは、なかったのですか!?」
{そんなはず、ないですよ! わたしたち、奴隷狩りさんに無理やり、引き離されたんですから!}
「お父様、なんてことを! どうしましょう、わたくしったら……」
{あのひとたち、今度あったら、ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに……}
「あーまあ、復讐はゆっくり考えればいいだろ、イリス ―― ソフィア公女も、気にするなよ」
{はい、です……}
イリスが不満そうにぷくっと膨れながらうなずき、ソフィア公女が目を潤ませて 「優しいのですね、リンタローは」 とコメント。
そんなソフィア公女と俺を交互に眺めて、カイル皇子がなぜか 「えっ、ちょっと!?」 と叫んだ。
センレガー公爵の告発は奴隷狩りとの取引を罪状として行ういっぽう、水面下では引き続き危ない薬物についての情報を集め、かつ、これ以上の流通を阻止する ――
そんな方向で話し合いがまとまったあとの帰り道は、ソフィア公女がセンレガー領のあれこれを指さしながら教えてくれた。
センレガー領は三方を海に囲まれており、南にはピトロ高地。領のどこを飛んでも海と緑の木々が見える。特産品は海産物なんだとか。そういえば、こっちきてから魚モンスターの料理が多かった。
クゥゥゥゥゥゥ、クゥゥゥゥ……
やがて、クウクウちゃんがスピードを落とし鳴きながら旋回を始めた。
カイル皇子のゲストハウスに戻ったのだ。
だが ――
「だめっ、クウクウちゃん! 離れて!」
ソフィア公女の悲鳴のような声とほぼ同時に、複数の矢が、うなりをあげて飛んできた。
クウクウちゃん、すんでのところで避け…… たのは良かったんだが!
傾きすぎ! あと、動く方向が変わりすぎ、かつ速すぎ! 仕方ないけど!
振り落とされる! 慣性の法則、つまりは反動で……!
{リンタローさまっ!}
イリスがとっさにスライム化し、俺を包んでくれる。
一瞬後には、俺とイリスは屋上の煉瓦に叩きつけられていた。
ぽにょっ……
ワンバウンドして、転がる。
「イリス、ありがとう…… イリスは痛くなかったか?」
{大丈夫です!
「まじか」
予想外のところで新たな事実を知った。
さて、クウクウちゃんは…… よかった。矢の届かない上空に逃れている。怪我はなさそうだな。
「無礼者! 近寄るな!」
この声はバーバラだ。
みると、ソフィア公女とカイル皇子が倒れているそばに、バーバラが短剣を抜いて立ちはだかっている。その前には、センレガー公爵軍の分隊だろうか。10名ほどの兵と騎士。
ソフィア公女とカイル皇子は ―― 怪我をしてるようだ。カイル皇子は、気を失っている。
ソフィア公女のほうは、かすり傷だったみたいだな。すぐに立ち上がり、バーバラの前に出ると、騎士をにらみつけた。
「わたくしの翼竜に矢を射かけるとは、どのような了見でしょうか」
「はっ、まことに失礼いたしました! しかし、センレガー公爵閣下の命令で……」
「お父様が!? なぜ……?」
「そこのカイル皇子は、センレガー公爵領の掌握に野心をいだき、モンスターを使役してソフィア公女殿下を襲わせ、錬金術師も一緒にさらって逃げ去った、と……」
「お父様!? 言ってることがめちゃくちゃよ!?」
「我々もそう思います…… ですが、公爵はお嬢様がモンスターに襲われたことに、激怒されていまして」
「カイル様が、わたくしをモンスターに襲わせるなど…… あり得ません!」
「しかし、現にカイル皇子の使役リングが現場より見つかっており…… 」
そういえば、俺のゲストハウスに置きっぱなしだったな、あの金のリング…… だが。
わざとらしすぎるぞ、センレガー公爵。
まるで、最初から狙っていたみたいだ ―― よし、逃げよう。
「《神生の螺旋》」
「うわっ……!」 「なんだ……!?」
兵たちが驚愕の声をあげ、バーバラの口は半開きになっている。目が点だ。
ソフィア公女が 「
「残念ながら、違うんだよな」
俺は空に溶け込みそうな青いボディーをなでた。幅広のフロントガラスに、しゅっとしたテール、大きく力強いプロペラ ―― 日本の警察ヘリコプター、引退して航空博物館のシュミレーター搭載機になってた機種……!
―― 飛ぶのか?
まあ、ともかく、やってみなきゃな。
俺はカイル皇子を後部座席にのせ、イリスとコックピットに乗り込んだ。