「あれは先日のことでございました……」
遠い目をして語り始める侍女。
「ソフィア様はお忍びで街へ出られたのです。婚約者へのお誕生日の贈り物を、ご自身でお探しになりたいと。ええ、もちろん、当日のデートコースの下見をしたいとの
「んで、そこで婚約者の浮気現場でも目撃したか?」
「錬金術師様とは……! そこまで、お見通しになられるものなのですか……!?」
「いや、なんとなく思っただけ」
侍女さん、話が長そうだからな……
「そうです! あのク◯でク◯のド腐れ野郎、よりにもよって、その辺にいそうな、だらしない乳でちんちくりんの幼児顔の、こういう女性は腹黒と決まっておりますのに殿方にはなぜか見抜けない類いの……!」
「身体的特徴で人柄を決めるのは、失礼だぞ?」
「ソフィアお嬢様を悲しませる原因なんですから、悪人に決まってます!」
「はあ…… で、そのド腐れ野郎の心を取り戻すために
「さようでございます! 当然、請け負っていただけますよね!?」
「いや、むしろ、浮気するようなやつは、浮気相手に廃品回収してもらったほうが良くない……?」
「そうするとソフィアお嬢様が悲しまれるんだから、しかたないでしょう! ええもちろん、当方で回収した
なんか、ド腐れ野郎に同情したくなってきた。
「…… そもそも、永久に効く
「リンタロー様は偉大な錬金術師でいらっしゃいますよね!? ならば、錬金術師としてのプライドを見せてくださいませんか? おできにならないのでしたら、こちらとしても、待遇の変更など検討せざるを得ませんが…… 御自ら不用品になられておいてご不満をおっしゃるほど、道理をわきまえていないおかたでは、いらっしゃいませんでしょう?」
「丁寧にパワハラ発言してみた」
「なんですって?」
「いや、なんでもないよ。つまり、ド腐れ野郎が浮気をやめればいいんだな?」
「さようでございます」
それなら、わざわざ
「まあ、考えておくが…… そうだな、できれば、ド腐れ野郎について、もう少し詳しく知りたい」
「では、資料をお持ちします」
「よろしく頼む」
―― 侍女が持ってきた資料によると。
ド腐れ野郎の名は、カイル・リー・ファリントン。ニシアナ帝国第三皇子だそうだ。
藍色の髪にくすんだ緑の瞳。18歳だというが、やや童顔ぎみで、ともすればソフィア公女のほうが年上に見えてしまう。
婚約の理由は、上流階級っぽく政略なのかな…… と思ったら、なんと恋愛が先らしい。資料には 『西エペルナ学院で知り合った』 とある。
それで、婚約者がド腐れ野郎になりさがっても、なかなか切れずに復縁を望んでしまうわけか…… いじらしいな、ソフィア公女。
事情を知ると、協力してあげたくなる。具体的な方法となるとまあ、 『
「永久に効く
思わずつぶやいたとき。
{永久に効く
ガビーン、とした調子の、懐かしい声が聞こえた。
―― 気のせいかな。
{そっ、そっ、それ……! 何に、いいえ、だだだだ、誰にっ……! 使うんでしょうか?}
いや、やっぱり聞こえてる……?
{いえっ、別に、リンタロー様が
次第に大きくなっていく泣き声とともに、俺の目の前の壁の
もし、彼女のことを知らなかったら、だけど。
「イリス? いるのか?」
{リンタロー様! うっうっうっうっ…… ごめんなさい、つい…… せっかく会えたのに、なんだか悲しくなってしまったのです…… うみゃぁぁぁ……}
ふにょん
壁の
「《神生の螺旋》」
俺はバケツを取り出し、涙を出しすぎて溶けたイリスを回収したのだった。
―― 数十分後。
{つまり、ソフィア公女か婚約者かを説得して、お互いに納得するようにしよう、ということなんですね!}
「うん。
やっと泣き止んで少女の姿に戻ったイリスと俺は、お互いに事情を説明しあっていた。
{まずは、アシュタルテ公爵からのご伝言をご覧ください!}
ぽぴゅんっ
イリスが変身しながら俺の手のなかに飛びこんでくる。虹色に光る、水晶の球のような形だ。
錬金釜…… じゃないな。入り口がないし、七大魔族の紋章も刻まれていない。
「? どっかで見たような気は、するんだが……」
{
「あー、あれか」
思い出した。前世のゲームにもあったな。
ゲームでは
かなり高価だったはずだが、持っているとセーブしたところからゲームをプレイできるから、上級ダンジョンの攻略者やリセマラする人には必須 ―― って、まさか、イリス……
「そんなものまで、体内錬成してたのか!?」
{たまに、武器のついでに発注されるんですよね。ウチはセットで1割引みたいなこともしていたので}
国いちばんの武具錬金術師が意外と商売人だった件。
{では、アシュタルテ様からの伝言です!}
イリス 《記録球の姿》 がチカチカと輝く。
―― 映像は、取り乱すイリスをなだめるアシュタルテ公爵のシーンから始まった……
『 イリス {ぃやあああっ! リンタロー様ぁぁぁ! わたしも連れてってぇぇぇ!}
アシュタルテ公爵 「落ち着くのだ、◎△$§>∞。そなたがいま一緒に行っても、即座に売られて、リンタローと引き離されるだけだぞ」
イリス {そんなの、ダメですぅぅぅ!}
(アシュタルテ公爵、ア○フォンをイリスに見せる)
アシュタルテ 「これがリンタローと奴隷狩の所在範囲だ。現在、移動中…… 移動が止まれば、そこが落ち着き先であろう。わかってのち、追いかけるが良い」
イリス {かしこまりました……}
(イリス、めちゃくちゃ不満そう)
イリス {では、リンタロー様をさらった奴隷狩は、見つけしだい、この世に生まれてきたことを後悔していただいても、いいですよね?}
アシュタルテ 「ダメだ。末端を潰しても、本体は逃げ切るであろう? 泳がせよ」
イリス {かしこまりました…… けど、彼らがウッカリ事故にでもあえば、その限りではないですよね?}
アシュタルテ 「ウッカリ事故にあわせるのは、禁止する」
イリス {ですが…… わたし、たぶん、あのひとたち見たらキレて殺戮兵器に変身しちゃうと思うんですよね。殺されても自業自得な人たちだけに、そのときのわたしの行動が、とっても心配です……}
アシュタルテ 「そうか……」
(アシュタルテ公爵、やや疲れたカメラ目線)
アシュタルテ 「―― というわけだ、リンタロー…… そなたと◎△$§>∞を合流させるが、間違っても殺戮兵器に引っ張られて奴隷狩を殺すなよ。泳がせて、根を断つ。よいな」
アシュタルテ 「では、頼むぞ。健闘を祈る」 』
ぽぴゅんっ
イリスが少女の姿に戻り、ほんのり赤く染まったグリッターをまきちらしながら、もじもじと俺を見上げる。
{あのあのあのっ、いまのは…… ほんのちょっと、キレちゃってましただけで……}
「わかってるって。心配してくれて、ありがとな、イリス」
{リンタロー様っ……}
「それに、俺を探してくれたのも…… 大変だったろ?」
{いえ、大丈夫です。錬金術師を買えるほどお金持ちの家を、探しただけなのです}
「そっか……」
いくら錬金釜として人間の国に居たことがあるとはいえ、スライム少女としては初めてだ。心細かっただろうな。
「イリスが頑張って、ここまできてくれて、すごく助かるよ」
{わたしも、リンタロー様に会えて良かったです}
イリスの全身を、キラキラしたグリッターが覆う。
ぷにゅっ
イリスは、俺を過呼吸にならない素早さでハグしたあと、両手で俺の腕をひっぱった。
{では、とりあえず逃げましょう!}
「いや、ちょっと待って。とりあえず、この案件だけは片付けたいんだ」
{? どうしてですか?}
「ソフィア公女の信頼を得られれば、センレガー公爵の調査もしやすくなるだろ? ソフィア公女も、このままだと気の毒だしな。せっかく、俺を頼ってくれてるんだから、協力しようかと」
{やややっぱり、浮気…… ぴえ…… いえ、浮気だなんて別に…… ふみゅううう……}
イリスの目から涙があふれ、全身の境界がぶれてくる…… とりあえず、バケツをもう1回、スタンバイしとくか。
―― たしかにイリスの言うとおり、逃げたほうが安全かもしれない。だが、ソフィア公女を放っておくのは、かわいそうな気がするし…… それに、センレガー公爵とォロティア義勇軍との関係を調べる、という本来の目的を考えると、現状、なかなか良い形で潜入できてるんだよな。
安易に逃げたら、後悔するかもしれない。
―― とすると、ここはイリスを説得して協力してもらうべき…… そうだ。
「それが、ソフィア公女は俺を、
{……ふみゃ。ソフィア公女が、ううっ、リンタロー様を……?}
「うん。だから 『
イリスの境界のブレが、止まった。バケツ、使わなくて大丈夫そうだ。
{リンタロー様の恩返しなら、わたしにとっても恩返しです!}
「そっか、ありがとう」
{では、さっそく、その浮気ド腐れクズさんを、リサーチしてきますね!}
ぷるんっ
イリスの服装が、一瞬で変わる。
いつもの青のノースリーブと白いスカートから、センレガー公爵邸の使用人の制服 ―― すなわち、フリルエプロンのメイドさん姿に。髪もそれらしく、すっきりまとめていて、ちょっと新鮮だな。
{では、いってきます!}
いや、話が早すぎるよ、イリス! 助かるけど!
俺はあわてて、イリスを呼び止めた。
「待って、イリス。これ、つけてって」
俺は自分の腕から 《不屈の腕輪》 を外して、イリスの腕につけた。
「たぶん、いまは俺より、イリスのほうがこれ、要るだろ」
{リンタロー様……! いいんですか?}
「うん。というか、俺が全然動けなくて、ごめん」
{そんなの! これも、恩返しですから!}
「うん、ありがとう…… イリス。もし危なくなったら、とにかく逃げろよ。調査は後日でも、なんとかなるんだから」
{リンタロー様……!}
グリッターをキラキラ散らしながら、イリスがぎゅうっと抱きついてくる…… え。ちょっと待って。
{リンタロー様、大好き!}
そんな15秒以上もメイドさん姿で抱きつかれたら、俺の呼吸が…… ああ、やっぱり、苦しく…… いや、だが、身の危険をおかして頑張ってくれるイリスのためにも、耐えないと…… 大丈夫…… 死ぬわけ、じゃ、ない…… 空気…… もっと、空気を……
{では、リンタロー様…… あれ? もしかして、わたし、抱きつきすぎちゃったんですか?}
「いいや…… しんぱい…… ないから…… ほんと……」
{え…… でも、でも、リンタローさま、苦しそうです!}
「…… いや…… 調査を、先にして…… 俺は、大丈夫……」
{ほんとうにほんとうに、ほんとうに大丈夫ですね?}
「お…… いって、らっしゃ……」
イリスは、気がかりそうに何度も俺を振り返りながら、出ていく ―― そんなイリスに、なんとか手を振ってみせてから、俺は……
ぱたん
ドアが閉まると同時に、気絶したのだった。