{イリス…… イ、リ、ス…… イ、リ、ス……}
俺が提案した名前を念入りに呟きながら、クーラーボックス内でぽちょぽちょと跳ね続けるスライムさん。
動くたび、星の光みたいなグリッターが全身から散らされる。
これは…… 気に入った、ってことでいいのか?
「ちなみに、俺がいた
ぷぴゅんっ
スライムさんがクーラーボックスから、とびだした。少女の姿になっている。
俺に素早くハグしてぱっと離れ、またハグしてきて離れ、また…… 速すぎて、過呼吸を起こす暇もない。親愛のしるしなのか?
よくわからんが、喜んでくれてはいるみたいだ…… よかった。
{では、これからは、イリスと呼んでくださいね、ご主人さま!}
「うん。じゃ、俺のことは、リンタローでいいよ」
{は、はい……! ご主、じゃなくて、り、りっ…… リンタロー、さま}
イリスはほんのり赤く染まったグリッターを散らしながら、照れたように笑った。
ピエデリポゾ村に向かう道 ――
「どうも、俺はこの世界に転生してきた、ってことになるらしい」
{まあっ、転生ですの!? もしかして、リンタローさまは、あの洞窟から生まれたのです?}
「…… そうなるのかな」
{そんなひとは、リンタローさまが初めてです!}
俺はクーラーボックスのなかのイリス 《スライムの姿》 と話しながら歩いていた。背中では、
イリスによると、俺が出てきた洞窟は昔から 『異界とつながっている』 と言われてきたそうだ。もしかしたら過去にも、転生者が出てきたのかもしれないな。
{転生者だから、変わったものを取り出せたんですね、リンタローさま!}
「あれは、俺がもといた世界では、普通にあったものなんだ」
{すごいです……! そんな世界なら、スライムでも安心ですね!}
青紫の瞳が、クーラーボックスのなかで輝いている。
俺はイリスにねだられるままに、もといた世界の話をし、イリスはこの世界のことを教えてくれた。
15年ほど前までは魔族と人間が戦争をしていたが、いまでは協定を結んで平和を維持しているという。素晴らしい。
しかし、完全な平和というのは、なかなか難しい。
なにごとにも負の部分はあるもの ―― それが、奴隷狩なんだそうだ。
戦争がなくなるということは、敵の捕虜を使えなくなるということ。安価な労働力の供給源が、軍から奴隷狩になってしまったんである。
{平和協定のときに、奴隷狩も全面禁止されたはずなんですけど…… いまのほうが戦争中より増えてるかも、です}
「大問題じゃないか。とすると、奴隷狩はもと軍の関係者か」
{わかりません。けど彼らは 『ォロティア義勇軍』 を名乗っているんだそうです}
「義勇軍? 正義の押しつけ感が半端ないな!?」
{ですよね!}
クーラーボックスのなかがプルプルと震えた。
{領主さまも、取締りを強化されてるんですが…… だいたいの人間の個体は、魔族の何倍も弱いので、難しいみたいです}
「?」
{ウッカリで死なせちゃうので。人間は、同胞がやられると容赦しない性格なので、平和協定が崩れちゃうのです}
「そっか…… 魔族って、強すぎてごめん、なんだな」
しゃべりながら進んでいると 「§¤・§≒!」 と声がした。
茶色の毛玉が、全速力でこっちに向かってくる ――
くるくるした長い毛と、ピンと立った耳、つぶらな黒い瞳が、俺の背中で寝てる子にそっくりだ。ウッウのお父さんかな。とりあえず、ウッウパパと呼ぼう。
「この奴隷狩め! うちの子を返せ!」
ビンゴ。ウッウパパは、俺の前に立ちはだかって、牙を剥き出した。
「うちの子を返さないと、噛みつくぞ!」
「いま寝てるので。起こすと、かわいそうじゃないですか」
ぐぉぉぉっ…… ウッウパパが、吠える。
いったん四つ這いになり、こっちに向かってジャンプ。
尖った牙が、目の前に迫る。
いや避けれませんよ!? 俺、両手塞がってるんだよ!? あなたのお子さん、おんぶしてるから!
俺は、覚悟を決めて目を閉じる ―― この世界に来てから、たった半日の運命か。短い人生だったな。せめて、スライムが錬金釜や武器になれる理由を聞いておけばよかった……
しかし。
いくら待っても、その瞬間、来ないんだが……!?
「…………?」
そろりと目を開けると、ウッウパパは、半透明のゼリーに顔面を塞がれてひっくり返っていた。
のたうちまわってて苦しそうだ。が、半透明ゼリーは容赦ない。
{わたしの恩人に手を出そうとするひとは、たとえお祖父ちゃんでも許しません!}
「うぐぅぅぅっ……」
{お祖父ちゃんでないなら、なおさらです!}
イリス、助けてくれたのか。
「ありがとう、イリス。けど、もう、その辺でいいよ」
{リンタローさま! ご無事でなによりです!}
ぷっぴゅん
イリスはウッウパパの顔面から離れると、少女の姿になり、俺に背を向けて立ちはだかった。
夕焼けに染まる横顔は、まだ、ウッウパパをきっとにらみつけている。
{このひとは、わたしの恩人です!}
「…… 奴隷狩でない、だと? 人間なのに?」
{人間も、悪いひとばかりじゃないんですよ! そもそも、悪いひとなら、攻撃されたら背中のお子さんを放り出すでしょ!}
「うっ……」
そこんとこ、はじめて気づいてくれたらしい。ウッウパパは、困った顔で固まった。
そのとき。俺の背中で温かなモフモフがもぞもぞと動いた。
「ここ、どこ……?」
寝ぼけた声だった。
数分後 ――
俺の足元にはウッウパパの、くるくるした茶色の毛に覆われた頭と背中があった。見事なスライディング土下座だ。
「まことに、申し訳ない……! こら§¤・§≒、おまえも謝りなさい!」
「うん! おじちゃん。さっきは、助けてくれたのに噛んじゃって、ごめんなさい!」
「きみたち、なんで、そんなに土下座うまいの……?」
2人には、とりあえず起きてもらう。
俺が転生してきたばかりであることを説明すると、ウッウ父子は、めちゃくちゃ驚いていた。
「もし行き先が決まらないのなら、しばらくウチの村に滞在しては? というか、ぜひ! 滞在していただきたい! あんたのような錬金術師が村にいれば、心強い!」
「スキルレベル的には、まだ見習いなんだが」
「謙遜するな! ケガを一瞬で治したんだろ!?」
{そのとおりです! リンタローさまは、すごいんですよ}
「ちょ、イリス」
「心配ないよ、大将!」
ウッウパパが俺の背中を、ばしばしと叩く。
「そんなすごいポーションを作れるやつは、この辺にはいないんだから!」
「それ、イリスのおかげ…… ぐふぉっ」
突如スライム化したイリスが、全身で俺の口をふさいだ。
{あのことは、内緒ですよ!}
そ、そっか……
「ひとまず、今夜はウチに泊まるといい。明日、村長に言って、家を世話してもらおう」
「ありがたいな」
ウッウパパのおかげで、ピエデリポゾ村に到着後、すぐに落ち着き先が決まった。
これで当面の生活は、安心だ。
しばらくは錬金術の練習をして、スキルレベルを磨こう。最初は、ひたすらポーション作りだな。
―― 村のみんながポーションを作れるんだそうだから、売るのは厳しいだろうが……
まあ、お金がなくても、自作ポーションで体力回復させつつ 《神生の螺旋》 を使いまくって便利に暮らす、という道もある。気楽にいこう。
ウッウの家は、両親、弟、妹の5人家族だった。
急な来訪だったのに、ウッウママはこころよく俺たちを迎えてくれた。
ウッウの弟と妹は、ウッウとよく似たモフモフのちびっこたちだ。人間が珍しいのか、俺とイリスにまとわりついては、話しかけてくる。
「おじちゃん、なんで人間の形してるの?」
「人間だからだ」
「あたしのこと、ゆーかいする?」
{しないですよ}
「おまえら、いいかげんにしろよ! おじさんもイリスさんも、疲れてるんだから」
弟や妹と並ぶと、ウッウもしっかりして見えるもんだな。
夕食は、俺たちの歓迎会だった。
ウッウパパの宣伝で、近所のひとたちが食べ物を持ち寄ってきてくれたのだ。
広い空き地で急きょ開かれたパーティー。
参加者は、
「錬金術師のリンタローさんと、嫁のイリスさんに、乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
いや嫁じゃない、という俺のツッコミは、みんなの声にかき消される。
{いいじゃないですか。みなさん、楽しそうですし}
「誤解されたら、イリスが困るだろ」
{へ? なんでですか?}
「いやまあ、いいなら、いいが」
宴は終始、和やかで、賑やかだった。
奴隷狩が横行している現状では、人間は、敵視されても仕方ない ――
なのに、ピエデリポゾのみんなは、俺を信用し、受け入れてくれようとしているのだ。
「はやく、錬金術で、いろいろ作れるようにならないとな」
{わたしも、お手伝いしますね}
「ボクも!」
俺とイリスとウッウは、3人でもう1度、乾杯した。
―― 夜更け。
寝苦しい夢から覚めると、俺は、ひんやりプルプルのゼリー状ボディーに包まれていた。
ウッウの家での宿泊は、イリスと同室だったが、スライムの姿であれば問題ない。
それもイリスは、ベッドではなくウッウ家の鍋3つを貸してもらって、分割して入ってたはず (落ち着くらしい) だが……
「いつのまに、こんな」
{あっ、リンタローさま? ごめんなさい、うなされてらっしゃったので、勝手に……}
「いや、いいよ。ありがとう」
おかげで、包丁持った顔だけ親父のストーカー女に延々と追いかけられる悪夢から抜けだせた。
「イリスが、止めてくれたんだな……」
{?}
「うん、包丁ぶっさされる直前でスライム化して、刺されても平気だと安心したところで目が覚め…… ん!?」
窓の外が、夜中にしては、やたらと明るい…… というか、赤い。
―― 火事だ。