スライムさんは、ぷるんと揺れた。
{死なないでください!}
スライムがしゃべった?
…… いや。スライムと人間では、発声機関の構造がまず、違う。
しゃべるわけないよな。
【スライム族は全身の粘膜を細かく震わせることにより、人間に近い発声をすることが可能です。というか、あなた、水たまりとはしゃべったくせに】
俺の常識は、AIが突きつける事実に負けた。
しばらく歩くと、三つ辻についた。
大きな木がギラギラの太陽をさえぎっている。
立てられた看板は、右が 『レンタデリポゾ村』 で左が 『シュリーモ村』 『フラダ河』 。
真ん中が 『ピエデリポゾ村』 ―― この道をまっすぐ、か…… ひとまず、木陰で休憩してからだな。
「《神生の螺旋》!」
緑茶と経口保水液のボトル…… 取り出せたのはいいが、さっきより疲れるような?
【あww 特典能力 《神生の螺旋》 の、スキルレベル1での無料提供個数は、商品10個までとなっておりますww】
コンビニ店員か!
【10個を超えますと、商品1個につき、HPが3減りますので、ご注意ください。ちなみに、あなたの残りHPで取り出せるのは、あと5個です】
いや、俺のライフを削る気はないよ。
スキルレベルとは、職業の技能レベルのこと。たとえば錬金術師なら、錬金を繰り返すことでスキルレベルが上がっていく ―― レベルアップが急務だな。
ともかくも、水分補給だ。
クーラーボックスのふたをあけ、スライムさんに経口補水液を注ぐ。俺は緑茶だ…… ふう。落ち着く。
「そういえばスライムさんの家はどこだ? ピエデリポゾ…… じゃないよな? あれはゴブリンやコボルトの村だそうだし」
{シュリーモ村です。けど……}
「ん? なにか問題が?」
{助けていただいたご恩をお返しをするまでは、村には帰りません!}
ぷぴゅん!
スライムさんがクーラーボックスから飛び出した。なんだ急に!
スライムさんは空中でくるくる、回転しながら姿を変え……
俺の膝に着地。
なんでだか、少女の姿になっている。
青のノースリーブと白いスカートからのびる、すらっとした手足。透き通るような肌に、サラサラの銀髪。
長い睫毛の奥ではくりっとした青紫の瞳が、夢見がちに濡れている。
―― あの、ちょっと待て!?
どうやったら、剣に変身できるスライムが人にもなれるわけ!? 物理的にも生物学的にもおかしいだろ!?
あと、そんなに見つめられると、緊張するからやめて…… 接近! 接近しすぎ!
「あ、と、その…… なんにでもなれるんだね、スライムさん…… こんなスライムさんは、初めてだよ」
{はい! スライムのなかでも、特殊なほうです!}
「そうなんだ…… すごいね、スライムさん」
{それほどでも…… ともかく、恩返しを始めますね、ご主人さま}
「い、いや、もっと自分を大切にしよう、な?」
{大丈夫です。人間の男性への恩返しは、これが一番、とシュリーモ村の先祖代々より伝わる書で、学んでいます}
「ただし例外あり、って追記しといてくれ、その秘伝書」
{はい、ご主人さま。では! 初めてですが、精一杯、つとめさせていただきます……}
スライムさん 《少女の姿》 が、からだを密着させてきた。うーん弾力。
―― 本来は、喜ぶべきシチュエーションのはずだ…… なのに。
なぜか、寒気がする。
心臓がドキバクと早鐘を打つ。恋愛的なそれじゃなく、いまにも、包丁ぶっ刺されそうな危機感で。
―― おかしいな。実際にストーカー女に刺されたときには、なんとも思わなかったはずなのに。
今になって、女性に迫られて、こんなにも恐怖するとか…… いや、なくないか!?
だって、この子はあの、ストーカー女じゃないよ? というか、まず人間ですら、ないんだよ!? わかってるよな、俺!?
―― どうにも、ダメみたいだ……
心臓が、締め付けられるように痛む。
苦しい。息ができない…… ちがう。
せいいっぱい、息を吸い込んでるのに、どんどん空気が薄くなっていく…… 苦しい。
もっと、空気を……
とおくで、スライムさんの慌てた声が聞こえた。
{どうしよう…… ご主人さま、ご主人さま、しっかりしてください! 大丈夫ですか!?}
大丈夫、って言ってあげたいんたが…… 苦しすぎて、しゃべれん。
たぶん、ただの過換気症候群なんだがな。
【いわゆる、過呼吸ですね】
正解だ、AI。
原因は精神的なもの (どんだけ増える俺のトラウマ) だから、安静にして、ゆっくり息を吐けば…… あ、だめだ。
目の前が暗く……
{死なないでください!}
悲鳴とともに、めちゃくちゃ揺すぶられた。
いや、そっとしといて……
{そうだ、ポーション! ポーション錬成……! 錬成、終了! 錬成、成功! はい、どうぞ、ご主人さま!}
いちご味の液体が口のなかに流れこんでくる…… いや、その角度はダメ! 気道に入…… げほっ!
ゲホゲホッゲホッ…… 息ができないのに、咳が止まらん……! なんかもう涙出てきた…… あれ。
「…… なおった……」
いやまあ、なおるか。過呼吸だしな。
{良かった! ご主人さま!}
スライムさん 《少女の姿》 に抱きつかれ、俺は再び、意識を失いかけたのだった。
{恩返しは、別の方法にします……}
ポーション注入むせ返り治療で、2度めの過呼吸から俺が、なんとか立ち直ったあと。
スライムさんは、しょんぼりと頭を垂れた。
{迷惑かけて、ごめんなさい}
「いや、そもそも、そこまで恩返しにこだわらなくていいよ。気にしすぎ」
{うっ、うっ、うっ}
スライムさんが、泣き出した。
{うわぁぁぁぁん! ぴえええええ! ふみゅううううううう……}
大粒の涙を流しながら、溶けていくスライムさん。恩返しを断った程度で、なんで?
まさか…… あの噂は、ほんとうなのか……?
―― 昔、このゲームで 『スライムを逃がしてやると恩返しにやってくる』 という噂が流れたことがあった。
当時は、真偽を確かめたことなどなかったが…… なにしろ、魔族は人間の敵だったからな。
それもスライムなんて、冒険者レベルアップのために倒されまくるだけの最弱モンスター。
もし助けても、恩返ししてもらう前に、誰かに潰されていただろう。
「もしかして、スライムさんって、めちゃくちゃ義理固かったりする?」
{ふみゅう…… 『恩を受けたら3倍返し』 が、
クーラーボックスのなか (溶けきる前に戻した) でスライムさんは、まだ泣いている。
{恩返しさせてもらえなかったら、罪悪感が半端なくて…… もう生きていけません……}
「思い詰めすぎだろ!」
{ぴええええええ……}
【ちなみに、それ本当ですよ】
AIの説明によると。
【今のように泣きすぎて溶けたり、罪悪感でなにもやる気が起こらなくなり、水分をも摂れなくなって干からびたり…… 眠れなくなってお肌がボロボロになり、歩くたびに垂れたりも、しますね】
「うつ病っぽいな」
{うみゃぁぁぁぁぁあん……}
「わかった、わかった。恩返ししてもらうまで一緒にいよう」
{ふみゅ…… いいんですか!?}
「うん…… うつ病のつらさは、俺にもわかるからな」
{ありがとうございます!}
ぷぴゅん!
スライムさんがクーラーボックスから飛び出した。今度は、よけた。
そのとき。
背後のしげみが、ガサッと音をたてた。
なんだろう……?
ガサガサッ ガサッ……
しげみのなかで、なにかが動いている…… が、出てくる気配はない。
「動物……?」 「蛇でしょうか?」
俺とスライムさんは、おそるおそる、しげみに近寄った。
ガサガサッ……
かたまりになって生えている草木が、音がするたび、
これは……
俺は、適当な草をまとめてつかみ、引き上げてみた。思ったとおりだ。
落とし穴 ―― なかで子犬が、こちらをにらみつけながら、うなっている。
足にケガしてるな。もじゃもじゃの茶色い毛に、血がついている…… 落ちるとき、折れた木で擦ったのか?
「くるなよ! 噛みつくぞ!」
「…… なんで犬が、しゃべるんだ?」
{コボルト族ですよ、ご主人さま}
「理不尽だな…… いや、こっちの話」
AIに聞いてみてもいいが、どうせ 『身体の構造は人間に近い』 とか言い出すんだろう。
【正解ですww】
ほらな。
俺は、子犬に話しかけた。
「とりあえず、助けるから、じっとしてろよ」
「噛みつくって、言ってるだろ! くるな!」
めちゃくちゃ警戒されてるな。
{最近、この辺りは奴隷狩が多いんです…… だから、怖がってるんだと思います}
「奴隷狩?」
{魔族や人間をつかまえて、奴隷として売る人たちですよ。さっきの2人組も、そうです}
「ああ、それでスライムさんも 『オレのもの』 扱いされてたのか」
{失礼ですよね! わたしはご主人さまのものなのに}
「いや、それは違うだろ」
落とし穴は、俺の背丈の半分くらいの高さだ。
なかに入ると子犬が、あしに噛みついてきた…… 甘噛みだな。ま、あとで消毒しとけば問題ないだろう。
子犬を抱えあげて外におろし、俺も落とし穴から出る。
子犬は逃げようとしたが、すぐに、悲鳴をあげてうずくまってしまった。
裂傷が痛むのか…… うわ。けっこう、ひどいな。まだ血がにじみ出てる。縫えるといいんだが…… あ、無理だわ。
考えるだけで、手が震えてきてる。情けない。
とすると、使えるのは接着剤か ―― 水で洗って
そうだ。傷口をくっつけたあと、ポーションで患者の体力回復させれば、傷、治るんじゃないか!?
ものは試しだ。やってみよう。
「スライムさん。さっき俺に使ってくれてたポーション、もう1回、作れるか?」
{お安いご用です!}
ぷるんっ!
スライムさんが、半透明の宝珠に変化した。
この宝珠は……
「錬金釜!?」
{はい!}
―― 錬金釜は、錬金術師なら誰もが欲しがるアイテム。これがあれば、錬成陣を使わなくても簡単に物質の錬成ができる。
ただし、
そして、スライムが錬金釜に変身するなんて、噂でも聞いたことがない。
「あのさ…… スライム族って、みんな、こうだったっけ?」
{いえ? お恥ずかしながら、わたしだけかと……}
スライムさん 《錬金釜の姿》 が、虹色の光を放ちながら、ぷにゅぷにゅと揺れた。
テれとドヤりが50%ずつ、って感じだな。
―― いろいろとツッコみたいが、まずは患者の子犬くんが優先だ。
「じゃあ、とりあえず、3本ほど作れるか?」
{了解。ポーション3本の錬成を、開始します}
スライムさん 《錬金釜の姿》 が、まぶしいほどに輝きだした。