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第8話 心の形

 俺は思い通りに空間魔法を使えなくなっていた。正確には、いちばん好きな光景でその威力を発揮できなくなった。

 なぜかはわからない。だが、これはミネルバさんと同じ問題が発生しているということか?

 ミネルバさんも、あの美しい空間魔法で的を壊せなくなっていた。

 それで、あのおぞましさを感じる空間魔法で的を破壊した。

 そうなると、俺も別の光景でないと高い威力が出せなくなっているのか。


 何が影響してこんな事態になっているのだろう。

 そういえば、失恋してから空間魔法を使っていなかったな。

 もしかして、ミネルバさんに嫌われたことが影響している?

 わからない。検証もできない。その場で空間魔法を使えていたのならば、はっきりしていたのだが。

 だからといって、今すぐなにかきっかけを得たいと考えたところで無理だろう。


 とはいえ、今思いつくことはこれしか無い。この方向性で考えてみるか。

 失恋が原因だとすると、ミネルバさんを好きでなくなったからか?

 今でもミネルバさんを尊敬している気持ちは変わらない。

 それでも、嫌われたと思ったまま好きでいることは難しい。だから、ありえない話ではないな。


 そうなると、恋心が空間魔法を使うために必要な要素なのか?

 いや、そんなはずはない。それならば、今俺が空間魔法を使えていることに説明がつかない。

 まてよ。俺がまだミネルバさんを想っている可能性は?

 そんなことが自分でわかるのならば、俺が失恋してから自分の思いに気がつくことはなかった。

 行き詰まってしまったな。他になにか原因はあるか?


 そういえば、ミネルバさんの顔を思い浮かべたことがきっかけでいちばん好きな光景にたどり着いた。

 つまり、あの光景は俺のミネルバさんへの気持ちが形になったもの?

 それが正しいとするならば、今はミネルバさんへの思いは変わっていることになる。

 とはいえ、それを自分で考察してもわからないだろうな。

 まあ、可能性の一つとしてはある。ミネルバさんが好きだという気持ちが一番大きかったから、あの光景が一番強い威力を出せた。


 そうだとすると、ミネルバさんが初め美しい光景で空間魔法を使っていたのは、美しいものが心を占めていたから。

 おぞましい空間になってしまったのは、おぞましいものが心の中心だったから。

 恐ろしい可能性に思い当たってしまったが、これなら辻褄が合ってしまう。


 ミヤビ先生が空間魔法を俺に見せることを恥ずかしがったこと。

 ミネルバさんの空間魔法が歪んでから、ミネルバさんが避けられるようになったこと。

 先輩が、俺が空間魔法を使えるのならば、ミネルバさんが避けられる原因が分かると言っていたこと。

 ミヤビ先生が、同じ女性として、ミネルバさんの現状を調べないでほしいと言っていたこと。

 全てがつながってしまう。もしかして、感情が空間魔法の威力に関わっている?


 待て、まだ決まったわけじゃない。俺が結論と決めたいばかりに全てを繋げている可能性だってあるんだ。

 だが、これ以上無いくらいしっくり来るのも事実。

 慌てるな。結論を急ぐな。見たいものだけを見るのは魔法使いとして失格だ。

 今の考えが正しい可能性、間違っている可能性、どうすれば検証できる?

 他者に聞くのは問題があることは俺にだって分かる。ならば、己の心をどれだけ理解できるかだ。


 できるのか、俺にそんなことが?

 俺はミネルバさんへの想いすら、すべてが終わったあとに気づいた人間なんだぞ?

 だが、あの空間魔法がミネルバさんの心の形だというのなら、ミネルバさんはきっと苦しんでいたはずなんだ。

 そして、初めてミネルバさんの空間魔法が歪んだのは俺が空間魔法を使えるようになった直後。

 俺が何も考えずにミネルバさんに空間魔法を見せびらかしていたから。その可能性は十分にある。

 言っていたじゃないか。ミネルバさんは相当な努力を重ねて空間魔法を使えるようになったって。

 俺がその成果を横から掠め取ったのを、ミネルバさんはどんな気持ちで見ていたんだ?


 わからない。俺の想像が正しいのか、単なる邪推なのか。

 でも、ミネルバさんが苦しんでいたことはきっと事実だ。

 つらそうな顔をしていたこともある。俺を拒絶したときにも、そのようなことを言っていた。

 そうはいっても、俺に何ができる? 結局、ミネルバさんの心はまるで分からなかった。

 いや、ミネルバさんに何かをするのが正解かはわからない。それでも、空間魔法を追求することは無駄にはならないはずだ。


 分かっているはずだ。俺にできることは魔法だけだって。

 ならば、その魔法を追求し続けるしか無い。結果的に、それでミネルバさんの心が上向きになってくれたら上出来だと思え。

 俺がミネルバさんを慰めようとしても、勇気づけようとしても、きっと逆効果なのだから。


 方針は決まった。まずは、今の俺が威力を出せる空間魔法の光景を探る。

 それから、その景色が俺の今の心と一致しているか考える。

 そんなところだろう。やることははっきりしたのだから、あとは実践だけだ。


 それから、様々な形で空間魔法を使ってみた。

 きれいな光景、汚い光景、いろいろな形で試してみたが、どれも強い威力にはならなかった。

 もう俺には強力な空間魔法は使えないのかと諦めかけた頃、ふと頭の中に幾何学模様的な空間が浮かぶ。

 そして、その景色を形にして空間魔法を使った。すると、とても高い出力になっていた。


 なるほど、幾何学模様。無機質さを感じるし、冷たさのようなものもある。

 失恋の直後の感情としては、納得できるものだ。感覚が消え失せたように思えたこともあったからな。

 そうなると、やはり空間魔法の威力は心の状態と連動しているのか?

 はっきりとした結論は出ないにしろ、ある程度の正しさは感じていた。

 答え合わせは誰かに聞けばできるのかもしれないが。でも、ミヤビ先生には聞けないからな。

 聞いてほしくないとはっきり言われた以上、そこは守るべきだろう。


 ひとまずは、一段落ついたといったところか。さて、これからどうしたものかな。

 俺の心を変えるというのは難しいだろうから、すぐには答えをはっきりさせられない。

 まあ、素直に魔法の訓練をしておくか。今度は単一属性を試してみよう。


 それから、魔法の練習をしながら何日間か過ごしていた。

 その中で、空間魔法が最適な実技の授業があった。

 だから、俺は空間魔法を使って実技の回答とした。幾何学的な模様の空間魔法だった。

 すると、強い視線を感じた気がして、そちらを向いた。


 そこには、なぜかとてもきれいな笑顔をしているミネルバさんがいた。

 美しくて可愛いはずの表情から、俺は底知れない恐怖を感じていた。

 理由はわからない。それでも、本能から寒気を感じていると言っても良かった。

 ミネルバさんの感情は計り知れないが、もしかして、恐ろしいことを考えているのか?

 いや、俺の気のせいだという可能性だってある。そう思っていると、目が合った。


 ミネルバさんはこちらを真顔でじっと見た後、また笑顔になった。

 そして、また俺は背筋が凍る様な感覚を味わっていた。

 なんだ? 俺は蛇に睨まれた蛙かのように、まるで動けないでいた。


 それから授業は特に問題もなく過ぎていき、放課後。

 俺はミネルバさんから話しかけられていた。相変わらずきれいな笑顔をしているのに、本能からの怯えを感じるようだった。


「ルイスさん、空間魔法をうまく使えなくなったんですか?」


「そうかもしれないな。以前最も威力を出せていた光景では、俺の望んだ強さを発揮できなかった」


「そうなんですね。きっかけとして思いつくものはありますか?」


 俺の答えははっきりとしていたが、ミネルバさんに直接言うことは躊躇われた。

 言葉に詰まっていると、何故かミネルバさんは笑顔を深めていた。


「そうですか、そうですか。よくわかりました。そういえば、あれからルイスさんは空間魔法を使っていませんでしたね?」


 あれからというのは、ミネルバさんに拒絶されてからという意味だろうか。

 わからない。わからないが、なにか嫌な予感がする。

 何故こんなにもミネルバさんを恐れているのだろう。こんな感覚は初めてだから、どうしていいのか何も思いつかない。

 そもそも、どういう意図でこの質問をしているんだ。俺をどうしたいんだ?

 いや、俺の感覚が正しいとは限らない。なにか俺の調子がおかしいだけで、ミネルバさんは普通かもしれない。

 でも、この質問に素直に答えるのは怖い。なので、話をそらしておきたい。


「ミネルバさんは今日空間魔法を使っていなかったよな? 今回の課題は、空間魔法が最適だと思ったのだが」


「ふふっ、そうですね。ルイスさんが見たいのなら、私の空間魔法を見せてあげますよ?」


 質問した瞬間に失敗したと思ったが、ミネルバさんは笑顔のままだ。

 正直、機嫌を損ねられてもおかしくはないと思っていたが。

 それよりも、俺はこの問いに対して、どう返答すればいいんだ?

 俺はミネルバさんが使う、きれいだった頃の空間魔法が見たい。

 とはいえ、流石にそれを直接伝えるほど愚かにはなれなかった。


 だが、見たくないと答えるのはどうなんだ? あのおぞましい空間魔法を嫌っていると思われないか?

 俺はあの空間魔法を不気味だとは思っているが、それがダメなことだと言うつもりはない。

 ミネルバさんに気を使っているわけではなく、それでも魔法として成立しているからだ。

 そんな魔法を否定してしまえば、俺は魔法使いとして終わりだろう。

 だから、おぞましさを感じながらも、あの魔法を嫌いにはなれない。


「ミネルバさんが使いたくないのに、無理に使ってくれとは言えないさ。ミネルバさんが使いたいと思っているのなら、見せてほしい」


 この回答は正解なのだろうか。わからないが、ミネルバさんは笑みを深めた。

 見た目だけなら惹きつけられそうなくらいきれいなのに、どうしても恐怖が拭いきれない。

 一体どうして俺はこんな感情を抱いているんだ。何を感じているんだ?


「ふふっ、なら、存分に見ていってください。ルイスさんになら、好きなだけ見せてあげますから」


 そしてミネルバさんが見せてくれた空間魔法は、以前と変わらなかった。

 毒々しい色、淀んだ空間、反発し合う景色。やはりおぞましさを感じるが、もう慣れてしまったとも思う。

 それよりも、ミネルバさんの空間魔法は、以前より洗練されているように思えた。

 魔力がうまく調和しているし、ぶれてもいない。

 ミネルバさんの魔法使いとしての実力はさらに向上しているように見えた。


「どうでしたか? なにか、感じ取れることはありましたか?」


 ミネルバさんは何を聞きたいのだろう。俺はなんと答えればいいんだ。

 だが、俺が気づいたことといえば、ミネルバさんの魔力制御がよりうまくなっていることくらいだ。

 なら、それを口にするしか無い。ごまかすような答えならば、ミネルバさんほどの魔法使いが気づかないはずがないからな。

 俺だって、自分の魔法のどこが優れているか、どこが劣っているかくらいは分かるのだから。


「以前より魔法使いとしての実力が上がっているな。スムーズな魔力制御、すばらしかった」


「ふふっ、それだけですか?」


 俺がその言葉に頭を悩ませていると、ミネルバさんは微笑んでから、もう一度空間魔法を使った。

 すると、ミネルバさんが使った空間魔法は、俺の目には威力を出せないもののように見えた。

 俺が今日検証していたときと同じ様な感覚がある。

 つまり、ミネルバさんの心はなにかが変わっているということか?

 だから、この景色では威力が出せない。

 そうだとして、いったいなぜ? そもそも、ミネルバさんはどういう理由で俺に話しかけてきた?

 いや、それを考えても俺にはわからないか。素直にミネルバさんの質問に答えよう。


「その空間魔法、大した効力を発揮できないな? 空間魔法の性質が変わったのか?」


 俺がそう回答すると、ミネルバさんは声を上げて笑い出した。

 そして、楽しくて仕方がないといったような顔で、もう一度空間魔法を使う。

 その光景は、繭や蛹が大量にいるというものだった。

 何かが起こっているということはわかった。ただ、それが好ましいものではないと感じた。

 なぜかはわからない。それでも、今の状態はまずいのではないかと思えた。


「ふふっ、ルイスさん。私の空間魔法、どう見えますか?」


 俺は答えに詰まっていた。

 ミネルバさんから感じる恐怖が深まったような感覚。

 そして、今の空間魔法の景色から伝わってくる、謎の直感のようなものが原因だった。

 俺はミネルバさんの空間魔法を見ながら、このまま放っておくと、ミネルバさんが大きく変質してしまうのだと認識していた。

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