都は変わりつつある。最近はそれを肌で感じる事が出来るようにまでなってきた。
「でも僕が何より嬉しいのは洋食屋と和食屋、それから洋菓子屋が一気に増えて来たって事だよ。鈴さんや喜兵衛さんの料理には及ばないものの、これはかなり嬉しい」
「そうですか? それは良かったです。実際、鈴さんと喜兵衛が書いたレシピ本は飛ぶように売れているそうですから」
「そうだろうと思うよ。鈴さんはもしかしたら君の庇護が無くても十分暮らしていけるぐらいの資産を築くかもしれないね」
それを聞いて千尋は苦笑いして肩を竦める。
「それは避けたいですね。鈴さんを守るのはこれからもずっと、私だけでありたいですから」
「流石、愛の重い水龍は言う事が違う。何にしても都は今、追い風に乗ってる。大分地上に近づいたんじゃないかな」
「そうですね。ですが、こんな時だからこそ気を抜くわけにはいきません。私達にはまだ一つ、懸念している事があります」
千尋が頭の中で思い出しているのはあの石事件だ。もう数年前の事だが、千尋はあの時の事をまだ懸念している。
あの事件自体は大きな騒ぎにもならなかったが、その裏で暗躍していた人物達はまだ都の外で生きているのだから。
何よりも千尋が心配しているのは逆鱗を攻撃して眠らせた初の存在だ。
千尋はそこにあった椅子に腰掛けると、じっと羽鳥を見た。
「初は諦めたと思いますか?」
単刀直入に尋ねる千尋に羽鳥もまた神妙な顔をして首を振る。やはり羽鳥も初の事は懸念しているようだ。
「やはりそうですか。五月さんや千眼の想い人もまだ都の外に居るのに、ここで初が万が一でも目覚めたらより厄介です。あの二人を都の牢に移した方が良いでしょうか?」
「それこそ厄介だよ。都の牢は年々改善されていて、自由時間というものが設けられた。そこで他の服役者達に声をかけて回るかもしれない」
「……そうでしたね。かと言ってあちらが動かない事にはこちらも何も出来ませんし、今のところその二人は模範的なのですよね?」
「そうだね。何の問題もないみたいだよ。鏡も皿も無いし外への連絡は難しいだろうと思うけど、牢の中で誰かを抱き込んでいたりしたら分からないな。流石に僕の目も耳も牢の中には居ない」
羽鳥の言葉に千尋は腕を組んで考え込んだ。あと一歩。あと一歩で何の憂いもなく暮らす事が出来る。
もちろん焦ってはいけないという事も分かっているのだが、千尋は相変わらず年々美しくなる鈴に思いが募るばかりで、もしも今そんな鈴に何かあったらと思うと怖くて仕方がない。
きっと自制心も何もかも吹き飛んでしまうだろう。自分でもそれが分かっているだけに、余計に気持ちが逸るのかも知れない。
「あの石事件の犯人の気持ちが今は痛いほど良く分かりますよ」
「どういう事?」
「いえね、鈴さんが愛しすぎて、もし彼女に何かあったら私は絶対に病むだろうなと思うんです」
「……うん」
「あの風龍はむしろとても理性的でした。何せ嫌がらせが小石程度だったのですから。ですが、恐らく私はそうじゃないだろうなという自覚があるのですよ」
「……ごめん、それ以上はあんまり聞きたくないかもしれない。あと、僕達に千尋を討伐させるような事はしないでね。精神的にじゃなくて物理的に無理だから。それから本当に君は隙さえあれば惚気てくるね」
困ったように笑う羽鳥に千尋は笑顔で頷いておいた。
それから二人で他愛もない話(主に鈴の惚気)をして執務室に戻ると、いつの間に来ていたのか、楽と栄が梨苑と子どもたちと共に楽しげにお茶をしていた。
「声をかけてくだされば良かったのに」
執務室に入るなり声をかけると、机の上には鈴のハーブティーと鈴のクッキー、そして鈴のマカルーンが置いてある。
「……」
それを見て思わず黙り込んだ千尋を見て、栄が慌てて立ち上がり千尋に近寄ってきた。
「ち、千尋! これはだな、鈴が出掛けに梨苑にってくれた物なんだ! それを梨苑がどうせなら皆で食べようって出してくれただけでな!? おい! 今のうちに全部隠せ!」
「え!? か、隠せったってもう見つかってる——」
「皆? 皆とは誰の事です? 私はその皆のうちには入れてもらえないのですか? そうですか」
楽の言葉を遮って俯いて静かに言うと、栄が千尋の肩を掴んでくる。
「何も言ってねぇ! まだ否定も肯定もしてないんだから角しまえ! こんなとこで龍に戻ろうとするな!」
「そうは言っても、自分ではどうにも出来ないのですよ、困った事に」
そう言って微笑んだ千尋の袖を千隼が引っ張った。
「なんです? 千隼」
「これ、ママからパパに」
「ママから?」
視線を落とすと、千隼は千尋の手の平に何かを押し付けてきた。