「桃紀か……で、その下に菫さんを置く?」
「ええ。表向きには何も問題ないでしょう? 桃紀は市井の事に詳しいので、学校を作るにしても何を重点的に学ばせるべきかを熟知しているのではないでしょうか」
「それはそうだね。市井の事は彼女に聞くのが一番だ。でも肝心の教師はどうする?」
「それこそが菫さんの役目です。彼女には教師を育ててもらいます」
師範学校に通っていた菫はその術を熟知しているはずだ。都には今まで寺小屋のようなものしか無く、教師と言っても教えられるのは文字や簡単な計算ぐらいだった。
けれどそれではいつまで経っても優秀な人材が都では育たず、いつまでも地上の真似事しか出来ない。
千尋の作った資料を読み終えた流星は伸びをしたついでに机を叩いた。
「分かった。これを次の会議にかける。そろそろ人間の知恵と倫理を龍にも教えよう」
「ええ。鈴さんのおかげで洋装も取り入れられるようになりましたし、丁度良い機会です」
鈴が前に渡した型紙もあの後、絹と吉乃によって型紙集として販売され今ではあちらこちらで洋装が流行りつつある。
「そう言えば洋装が流行った事で知り合いの宝石商が喜んでたよ。装飾品が一気に発展を遂げそうだってさ。やっぱり宝飾は洋装の方が似合うからね。あと千尋にその指輪について詳しく聞きたいとも言ってたよ」
そう言って羽鳥が指さしたのは千尋がしている結婚指輪だ。
「結婚指輪ですか? もちろん、喜んで」
「ありがとう。それじゃあ伝えておくよ」
足を組み直しながら羽鳥は優雅にお茶を飲んでいるが、その側では流星がこれ見よがしに千尋の指輪を指さして息吹におねだりをしている。
「俺も欲しいな。息吹、お揃いでつけようよ」
「えー……まぁ、別に良いけど」
嫌そうな顔をしながら渋々頷く息吹を見て流星は顔を引きつらせているが、これでこの夫婦は仲が良い。
その後、会議にかけて皆で思案した結果、満場一致で管理者は桃紀が良いだろうという話になったのだが、菫の事は——。
「——と、言うわけなのですよ」
屋敷に戻った千尋は風呂上がりに髪を乾かしながら今日の出来事を鈴に話した。
あの一件から千尋も鈴も、その日に起こった出来事をどんなに遅くなってもきちんと話そうと決めた。
どれだけ想っていても伝わらなければ意味がない。それに気付いたからだ。
鈴は千尋の話を聞きながら深く頷く。
「菫ちゃんまでは流石に承認されなかったのですね」
「そういう事です。ですが、彼女の他に教師の何たるかを教えられる人は居ないと思いませんか? 謙信や千眼のような人が教員を育てるような事があってはならないのです」
「それはそうですね……先生と呼ばれる人を教える人が偏っていては大変な事になりますから」
「そうなのです。ですが、今回通らなかった一番の原因はあくまでも菫さんの人となりを皆、知らないからという事です。何せ彼女はまだ都に来ていませんから」
「千尋さまは発言されなかったのですか?」
「私ですか? ええ。私が言えば皆は従うかもしれませんが……」
それでは意味がない。そう考えて千尋は今回の件に関しては発言はしなかった。 その事について鈴の気持ちを害さないかと心配したが、それを聞いて鈴が何故か顔を輝かせる。
「それを聞いて安心しました!」
「安心、ですか? 菫さんを推さなかったのに?」
「はい。菫ちゃんはそんな事をされても喜びません。もちろん私もです。それに私は菫ちゃんを信じています。必ずその地位を自分の力で勝ち取ると。だから千尋さま、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ! 千尋さまは正しい事をされたと思います」
鈴はそう言ってニコニコしながら千尋の顔を覗き込む。そんな鈴を見て千尋もようやく心の中の引っかかりが消えた。
「私、皆が千尋さまがとても公平で冷静だって言ってた理由が、都に来てからようやく分かった気がします」
「どういう意味ですか?」
「地上に居た時は千尋さまは神様で、私達は守られる存在だったからそんな風にあまり感じた事が無かったのですが、こうやって毎日千尋さまのお仕事ぶりを聞いていると、あなたはやっぱり正しくて公平で冷静な方なんだなと感じます。そういう所を、私は本当に尊敬しています!」
「……ですが切り捨てる時もあっさりしているので、怖がられてしまいますけどね」
思わず苦笑いを浮かべた千尋に鈴は首を傾げる。
「ですが、それもまた公正さ故ですよね? 千尋さまが駄目だと思ったと言うことは、何かが足りない。もしくは根本的に皆の為に考えていないという事です! 怖がる理由など何もないはずです! やっぱりお仕事をされる千尋さまは格好良かったです」
「鈴さん……あなたと言う人は本当に、どこまで……」
鈴はこうしていつも千尋の中の些細な迷いを払拭してくれる。その度に千尋は心を揺さぶられる。
「私の旦那さまは世界一格好良いのだと、いつか両親に自慢しようと思います」
そう言って微笑んだ鈴はどこまでも美しかった。