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第446話

 菫は足早に校門を通り過ぎようと速歩きで歩き出した。その時に皆の声が聞こえてくる。

「誰のお迎えなの?」

「背が高いのね! 洋装も素敵だわ」

「まるで少女小説に出てきそうな方!」

「まぁ……美青年ね。それに立派なお召物に白馬! どちらの御子息かしら?」

 あちこちからそんな声が聞こえてくる。どうやら誰かが学生を迎えに来ているらしい。

 菫は下唇を噛み締めて俯くと、さらに歩調を速めて校門をくぐろうとしたその時。

「菫!」

 よく聞き慣れた声がしたような気がして菫はゆっくりと視線を上げた。

 声の主の足元には高級そうな磨き上げられた黒い靴がキラキラと光っている。そこからさらに視線を上げると、スラリとした体躯の男性が立っている。

 まさか。そう思うけれどまだ顔は見えない。どうやらとても背が高いらしい。

 ハッとして顔を上げると、そこに立っていたのは大きな花束を抱えた楽だった。

「なん……で」

 菫は持っていた荷物をドサリと落とし、思わず両手で口を押さえた。今日が卒業式だという事は楽には伝えなかったはずだ。

 それなのに、どうして楽がここにいるのだ。

 その場で震えてとうとうしゃがみこんでしまった菫を見て、楽が花束を馬車に置いてゆっくりと女学生の合間を縫ってこちらにやってきた。

 そして菫の目の前に片膝をついてしゃがみこみ、菫の顔を覗きこんでいつものように笑う。

「おい、あの台詞言わねぇのかよ?」

 初めて出会った時よりも随分男らしくなった低い声に菫は気がつけば楽に抱きついていた。

「なんで知ってるの!」

 こんな事を言いたい訳ではないのに、口が勝手にいつものように嫌味を言う。それでも楽はそんな菫に怒った事など一度もない。それどころか——。

「婚約者の事だ。当たり前だろ」

 そう言って楽は菫を軽々と抱き上げ、周りに聞こえるように大げさに言う。

「菫、卒業おめでとう。俺はずっとこの日を待ってたんだぞ。もう遠慮はしない。これでようやくお前は俺のだ。だろ?」

 最後だけは声を潜めて言う楽に、菫は抱きついたまま頷いた。涙がさっきから溢れて止まらないのだ。

 楽はそんな菫を片腕で抱き、もう片方の手でハンカチを取り出して涙を拭ってくれる。その仕草がやけに手慣れていて菫は思わず笑ってしまった。

「千隼くんで慣れた?」

「まぁなぁ。あいつ、ちょっと前まで毎日泣き喚いてたから」

「早く逢いたいわ。皆に」

「分かってる。皆もそう思ってる。でも俺はもうちょっとだけお前と二人が良い」

「……うん、私も。大好きよ、楽」

 珍しく素直に頷いた菫が楽の耳元でそんな事を囁くと、楽は体を一瞬強張らせて菫を見つめてくる。

「おい、止めろよ。角と婚姻色が出たらどうすんだ」

「ふふ、それは大騒動だわ。きっと節子さん達が慌てて飛んでくるわよ」

「節子叔母か。明日から皆に挨拶周りに行かねぇと。お前、世話になったんだろ?」

「ええ。皆にちゃんと、挨拶しないとね」

 それが済んだら、とうとう菫は都に行く。鈴と同じように龍に嫁ぐのだ。

 菫はもう一度楽に強く抱きつき念を押すように言う。

「人前で私がこんな事をしたのは、誰にも内緒よ」

 それを聞いて楽が声を出して笑った。

「それはどうかな。嬉しくて皆に言っちまうかも」

「だ、駄目よ! 内緒だから!」

 背中に同級生たちの悲鳴を聞きながら、菫は楽と共に真っ白な白馬が引く馬車に乗り込む。まるで大好きな少女小説の主人公にでもなった気分だ。

 あんなにも鬱々としていた気持ちは、まるで霧が晴れ渡ったかのようだった。



 楽が菫を迎えに行っている間、千尋は都に新しく教育部署というのを立ち上げた。

「ここの部署に菫さんを入れるという事?」

「ええ。彼女は人間ですが、息吹や雅に匹敵する逸材だと私は思っています。そんな彼女が先日師範学校を卒業したのですよ」

 千尋は羽鳥の執務室で流星と息吹を集めて予め作っておいた資料を皆に配る。

「これ見る限り、確かに教育の分野は龍は大分遅れてる。あっても良いとは思うけどさ、流石に初っ端から人間を入れるのは危険じゃない?」

「私は良いと思うけどな。菫ってあれだろ? 楽の番だよな? あんたらのお披露目会の時に来てた、あのツリ目の美人さん」

「そうです。今、楽が迎えに行っていますよ」

「僕は会ったこと無いんだけど、その菫ちゃんは息吹的にはありなんだ?」

「私は好きだよ。千尋にもはっきり意見するし、正義感の強さはなかなかのもんだと思う。龍とか人間とかそういうのは考慮しなさそうなとこは好感が持てるよ」

 息吹は人を見る目がある。常に犯罪者を見ているからか、その人の本質を見抜く能力に長けていると言ってもいい。

「そしてその部署を桃紀に任せるのが良いかと」

 桃紀というのは千尋の部下の元上司だ。元々は商人の出身で、あの戦争の後に高官に大抜擢された異色の人物だった。

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