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第445話

 おまけにマチは実家に戻るのが億劫そうだ。言われてみればマチが里帰りをしているのを見たことが無い。勇の実家には喜んで行くのに。

「案外、そんなものなのかしら」

 両親と離れるのを寂しいと感じている自分の方がおかしいのだろうか? 思わず呟くと、勇とマチは笑う。

「案外そんなもんだ。自分だけの家族を持つとな、それどころじゃなくなる。毎日が楽しくて嬉しくて、たまに思い出す程度になるもんだ。そりゃ寂しく思う時もあるぞ? でもそれよりも喜びの方が勝るんだよ。お前にもそのうち分かる」

「そうよ。そして居心地が良すぎて帰るのが面倒になるの」

「こら! お前はもう少し帰りなさい!」

 笑いながらマチを叱る勇にとうとう菫は笑ってしまった。

 そう言えばこの二人には新婚時代がほとんど無いのだから、早く二人きりにしてやるのだと以前鈴に言った事を思い出す。

「分かった。ちゃんと伝えるわ」

「そうしなさい。楽くんはきっと待ってるぞ」

「そうよ。早くね」

「うん」

 そんな約束をしたと言うのに、連絡をしないまま気付けば卒業式の前日になっていた。

 ただ一つだけ言い訳をさせてほしい。別に忘れていた訳ではなくて、今更何て伝えれば良いのか分からなかったからである。

 もしも楽に卒業式の日を伝えたりなんかしたら、それはまるで迎えに来て欲しいと自分から催促しているようだと言う事に気付いてしまったのだ。

「で、出来ない! そんな事!」

 鈴であれば、きっと卒業式の日が分かり次第すぐに素直に千尋に伝えたりするのだろうが、菫にはそんな素直さはない。

 この一年の間に楽とはほぼ毎日連絡を取ったけれど、そんな話題にすらならなかった。むしろ楽とは今まで通りまるで友だちの延長のようなやりとりばかりで、鈴と千尋のように甘いやり取りをする事すら無かったのだ。

「はしたないって思ってたんだけどなぁ」

 菫は布団の中でぽつりと呟いた。思い出したのはもちろん鈴と千尋だ。

 あの二人は何時でも戯けようとして、それをあんなにも恥ずかしいと思っていたのに今はそれが少し羨ましい。

 もともと少女小説が大好きな菫だ。鈴達のような関係に憧れるのは当然なのだ。

「はぁ……楽、怒るかなぁ」

 楽が怒った所なんて見たことが無いけれど、とても強いと鈴が言っていた。

 確かに鈴のお披露目会の時に蘭に脅されて襲ってきた暴漢達を楽はたったの一蹴りで倒していた。

 楽がくれた龍の加護が菫を守ってくれた事も一度や二度じゃない。

 こんなにも好きなのに、どうして最後の最後でいつも素直になれないのだろう。

「卒業式、迎えに来てほしかったな」

 自分で蒔いた種だと言うのに、じんわりと涙が浮かんできた。菫はその涙を乱暴に拭ってようやく目を閉じる。明日は待ちに待った卒業式だ。それなのに全然楽しみじゃなかった。

 翌朝、両親に送り出されて菫はノロノロと支度をして家を出ると、慣れた学校までの道のりを感慨深い気持ちで辿った。

 女高師でずっと勉強に明け暮れていたのは全て都の龍に復讐する為だと皆には言っていたが、それはただの口実だ。

 本当はただ楽の側に居たかったからだ。そしていつも何の取り柄もないと嘆く楽を自分がしっかり支えてやりたかったからである。

 楽は自分に自信が無いようだが、鈴のような素直さと優しさを持っている。自分勝手な行いはせず、いつだって誰かの為に全力になるような人だ。

 菫は楽のそういう部分が何よりも好きだった。

 学校に到着しても菫には特定の友人など居ない。理由は簡単だ。的場家は一度落ちぶれた家で、ここへ進学出来たのは妹が嫁いだ先の家が援助してくれたからだという噂が最初の頃に出回ったのと、悪行の限りを尽くしていた佐伯家との繋がりを早々に暴かれてしまったからに過ぎない。

 クラスメイトは良家のお嬢様なので面と向かって何か言われる訳ではなかったが、皆の視線が物語っていた。結婚が出来ないから進学したのでしょう? と。

「今日でここともおさらばね」

 クラスメイトの別れを惜しむ声を聞きながら菫は窓の外を眺めていた。気分は清々しい。もう明日から皆に好奇の目を向けられる事もないのだから。

 けれど少しだけ後悔の残る卒業式になりそうだ。

 卒業式は思っていたよりもずっとあっさりしていた。

 もっと感極まるかと思ったのに、在学中のほとんどの時間を脇目もふらずに勉強に費やした菫からすれば、ここに思い出も何もない。

 ただ、学ぶ事はやはり楽しかった。千尋が菫に進学を勧めてくれた事は本当に感謝している。

 卒業式が終わり教室に戻ると、荷物を整理してお世話になった教室に一礼して外へ出たが、何やら外がやけに騒がしい。

 校舎に向かってはしたなく友人と声を上げながら駆けてくる女子の頬はまるでリンゴのように真っ赤だ。

 よく見ると校門の所には生徒たちが何やらそれぞれの塊になってキャーキャーと色めき立っている。

「なんなの、うるさいわね」

 こちとら楽に連絡が出来なかった事を後悔していて、こんなにも沈んだ気分だと言うのに。まぁ、完全に自業自得な訳だが。

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