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第444話

 そして翌日の卒業日当日。

「楽さん、これ、お弁当です! Fightです!」

「おう!」

「楽兄どこ行くの? 千隼も行くよ」

「千隼、いいかい? 楽はこれから男の一世一代の舞台に上がるんだ。邪魔してやるんじゃないよ。それに成功したら菫がここに来るんだ。我慢しな」

 雅に抱かれて真顔でそんな事を言われた千隼も流石に何かを察したのか、こくりと頷く。

「姉さん、変な圧かけないで。緊張するから」

 そんな風に期待をかけられると途端に勇気が萎みそうになるので、あまり過度な期待はかけないで欲しい。

「楽、力を抜いて。いいですか? 花束は大きすぎてもいけませんよ。そして片手は常に空けておきなさい。万が一菫さんが感極まって抱きついてくる可能性もあります。その時に抱きしめられないのでは格好がつきませんからね。それから菫さんを迎えに行くときはマシロに馬車を引かせなさい。私からあちらの神社に連絡を入れておきます」

「は、はい!」

 やけに的確な千尋の指示に思わず頷いたが、菫は果たしてそんな事で感極まって人前で抱きついてくるような娘だろうか? 違う気がする。

 皆に地上へ繋がる扉まで見送られた楽は、腕時計を確認してゴクリと息を飲んだ。菫が卒業式を終えるまでまだ時間がある。その間に楽は花束を買い、勇とマチに挨拶に行かなければならない。

 龍に戻り始めた楽に、鈴が一歩近寄ってきた。

「楽さん、これを叔父様と叔母様に渡してもらえますか?」

 そう言って渡されたのは大きめの風呂敷だ。

「構わないけど何だよ、これ」

「アルバムです。昨夜、千尋さまと一緒に作りました!」

「なるほどな。分かった。それじゃあ……行ってきます!」

 皆に見送られて楽は扉をくぐって地上の空に飛び出した。



 時間は少しだけ遡り、菫は鏡を取り出しては仕舞い、また取り出しては仕舞うという事をかれこれ二時間ほどしていた。

 どうしてこんな事をしているかと言うと、いよいよ卒業する日が近づいてきたからだ。それを楽に告げようかどうしようかここ数日ずっと迷っている。

 その夜、菫が食事をしているとふと勇が口を開いた。

「そう言えば菫、お前、楽くんには卒業式の事言ったんだよな?」

「んぐっ!」

 あまりにも唐突な勇の言葉に菫は米を喉に詰まらせた。そんな菫を見てマチが怪訝な顔をする。

「まさかまだ言ってない……とかじゃないわよね?」

「だ、だってあの約束がまだ生きているかどうか分からないのだもの」

 楽とは試験の時以外はほぼ毎日連絡をするが、そういう話になることは滅多にない。それに菫は少しだけ拗ねていた。

 そんな菫の性格を良く知っている勇は箸を置いて菫に怒鳴ってくる。

「お、お前こんな時にまで意地張ってどうするんだ! 今すぐ楽くんに連絡取りなさい!」

「そうよ! 菫ちゃん、母親の私が言うのも何だけど、本当に楽さんだけよ? あなたが良いって言ってくれるのは。もちろん私達にとってあなたは本当に愛しくて可愛くて利発な娘で、どこへ出しても恥ずかしくないわ。でも世間はそうじゃない。地上はまだ賢い女よりも良妻を求めてる」

「知ってる」

「だったらそんなあなたが良いって言ってくれる楽さんがとても貴重な存在だって事も知ってるのよね?」

「……」

 もちろんそれも知っている。菫の気の強い所も我儘な所も家事が出来ない所も全部引っくるめて「お前だから仕方ねぇな」と笑って許してくれるのは楽だけだ。

「菫、楽くんはお前が思っているよりもずっと、お前の事を考えてくれてるんだぞ」

「どういう意味?」

「お前が試験で勉強してる間、楽くんは俺達にいつも連絡をくれてたんだ。菫の様子はどうだ? 無茶してないか? 何か必要な物はないかって。お前は夢中になるとすぐにのめり込むから、いい加減な所で無理やりにでも明かりは落とした方が良いってな」

「……」

 それは知らなかった。思わず黙り込んだ菫にさらに勇は言う。

「楽くん達が地上を去ってお前も居なくなると思うと俺達も寂しいよ。でも、お前を幸せにするのはあの子しか居ない。楽くんにならお前を安心して預けられる。鈴を千尋さまに預けられたようにな」

「……うん」

 拗ねていたのもあるが、もう一つ懸念していたのは両親達の事だ。楽や鈴からの情報では、まだ都と地上は自由に行き来が出来ないという。

 里帰りをするのも申請が必要で、それらしい理由がないとまだ下りてこられないそうだ。現に鈴達はこの一年間の間に里帰りをしたのはたったの2回だけだった。

「父様と母様は鈴達が全然帰って来ないの嫌じゃないの?」

「全然って……2回も帰ってきたじゃないか」

「そうよ。普通、近所に嫁いだんじゃなきゃそんなしょっちゅう里帰りなんてしないわよ? 年に2回はむしろ多いわよねぇ?」

「そうだな。お前、マチが実家に何年戻ってないと思ってる? 流石に今年は顔を出してこいよ」

「そうは言うけど、遠くてね……面倒なのよねぇ。誰も私の趣味を理解してくれないし」

「……」

 そうか。年に2回は多いのか。全然帰って来ないと怒っていたのは菫だけか。

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