「……千尋さま」
「それにその気持は正常ですよ。きっとあなたのお母様もその気持ちを何度も味わったと思います。けれどその度に気持ちを飲み込み、あなたに愛情を注ぐことで紛らわせていたに違いありません。そして夜あなたが寝静まった後にはお父様に甘えていたかもしれませんね?」
そう言って微笑む千尋に鈴は体重を預けた。
「こんな風にですか?」
「ええ、こんな風に。そして日本での暮らしを二人で思い出し、語り合ったのではないでしょうか。出会い、思い出の場所、家族、友人達の事を」
「そうかもしれません……いえ、きっとそうだと思います」
鈴はそう言って千尋に抱きついてその胸に顔を埋めた。いつも仲の良かった両親を思い出すと鼻の奥がツンとする。そんな鈴を千尋も強く抱きしめて背中を撫でてくれた。
「これからは淋しくなったり懐かしくなったら一緒にここに登りましょう。その代わり、その気持を飲み込んで放置しないでください。一人で飲み込もうとしないで。あなたを慰め、あなたの気持ちを汲むのはいつでも私だけで良い」
「……はい」
龍は独占欲が強いと龍の生態の本には書いてあったけれど、千尋の独占欲は鈴にはいつだって心地良い。他の人からしたら重いのかもしれないが、鈴には丁度良いのだ。
鈴は千尋の首に腕を回すと、自分からキスのおねだりした。
そんな鈴を見て千尋は驚いたような嬉しそうな顔をして、優しくて温かいキスをしてくれる。
都に来てからずっとあった心の中の小さなしこりが、ようやく消えた気がした。
♧
地上から一切合切を持ってきたあの日から一年ほどが過ぎた頃、都では水面下で何やら不穏な動きがあるものの、比較的穏やかに時が流れていた。
そんなある日の事、その日は朝から神森家は大騒ぎだった。
「行かせてください! 俺は、俺は約束したんです!」
楽はそう言って皆の制止を振り切って着の身着のまま屋敷を飛び出そうとしていた。
「分かった分かった! 分かったからちょっと落ち着け! おい千尋! まだ申請通らないのか!?」
そんな楽を羽交い締めにして必死で取り押さえてくるのは栄だ。そんな楽達を他所に千尋は淡々と鏡を使い、流星に連絡を取っている。
「もう少し待ってくださいね。ああ、ようやく繋がりました」
千尋がそう言って鏡を覗き込んだ。その後ろから鏡を覗き込むと、そこにはまだ眠そうな流星が映し出されている。
この一年間の間に流星は息吹とようやく念願の婚姻を結び、王の威厳も出てきたように思う。仲間内の前以外では。
「おはようございます、流星」
『ん……はよ。なに』
「今すぐ地上に楽を送る書類に署名してください。送るので」
『は? なんで』
「菫さんが明日、卒業式なんだそうです」
そう、明日とうとう菫が学校を卒業するのだ。楽はそれを昨日、菫からではなく勇とマチから聞かされた。
『それはまた急だね……で、何日下りるの?』
「それは分かりません。一月ほど申請したいのですが」
「そ、そんなに良いんですか!?」
それを聞いて楽は栄に羽交い締めにされながらも千尋の方に身を乗り出した。
「仕方ないでしょう。菫さんも流石にゆっくりご家族と過ごされたいでしょうし、隣町に嫁ぐとかそういう話ではないのですから」
一度嫁いできてしまえばそう簡単に地上に下りる事はできない。
楽はそれを思い出して神妙な顔をして頷いた。
『一ヶ月か……理由は何にする? 皆が納得しないと承認は出来ないよ』
「理由はそうですね……ああ、新しく設立される教育の分野において地上への視察と見聞収拾というのはどうです?」
『良いね。それなら長期滞在も仕方ない。良いよ、行っといで。千尋くんは書類送っておいて』
「ええ。ありがとうございます」
千尋は鏡を閉じてすぐさま書類に理由を書き込むと、そのまま皿に乗せて流星に送った。それから10分も経たないうちに羽鳥から連絡があり、その日のうちに楽が地上に下りる準備が整った。
「よ、洋装の方が良いと思うか?」
「どちらでも素敵だと思います! ああ、菫ちゃんますます綺麗になってるんじゃないかなぁ」
楽が緊張した面持ちで鈴に問いかけたが、鈴は菫がもうすぐやってくるという事で頭が一杯のようで全く参考にならない。
そんな鈴に呆れたように雅が言う。
「あんたほぼ毎日菫と連絡取ってんだろ? そんな変わりゃしないよ。それよりも楽、花とかそういうのは用意しないのかい?」
「は、花!?」
雅の言葉に楽はハッとした。そう言えば前に菫に借りた少女小説にそんな男主人公が居た事を思い出す。そして菫は大量の花を抱えて学校まで迎えに来るという描写に憧れると言っていた事も。