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第440話

「あ、あの……記念日と言う事なので、その、こちらはどうでしょうか?」

 千尋達の会話に耐えかねたかのように店主がガラスのケースに仕舞われている首飾りを指差す。

「これが記念日に相応しいのですか?」

「はい。この石はクンツァイトと言って石言葉に「無償の愛」「無限の愛」「純粋さ」「可憐」などの意味があるのです」

「石言葉?」

 千尋と鈴が首を傾げると、店主は頷く。

「地上から伝わってきた、石の波動を元に考えられたと言われる鉱石に付けられた言葉です。私達宝石商はその石言葉をとても大切にしているのですが、お二人を見ていてこの石がぴったりなのではないかと思いまして……その……先程は失礼な事を言ってしまい、申し訳ありませんでした」

「いいえ。こちらこそ嫌味で応酬してしまって申し訳ありません。ですが、その石言葉というのは素晴らしいですね」

「はい! 私もそう思います。あの、もしかして他の石にも色んな石言葉があるのですか?」

 目を輝かせて身を乗り出した鈴を見て、店主は少し戸惑ったように微笑む。

「もちろんです。全ての石にその言葉は当てられています。中には怖いものも」

「怖いもの! そういうのが書いてある本はありますか!?」

「そうですねぇ。我々宝石商は一通りまとめてありますが……よろしければお貸ししましょうか?」

「良いのですか!? あ、でもそれがないと困るのでは……」

 やたら石言葉に食いつく鈴がおかしくなってきたのか、とうとう店主の顔から戸惑いが消えた。

「大丈夫です。我々は全て覚えているので。ああ、何でしたら書き写してさしあげましょう」

「oh! Thank you so much!」

 笑顔を浮かべてそんな事を言う店主の手を取り、とうとう鈴が英語でお礼を言う。そんな鈴の言葉に店主が首を捻っているので千尋は苦笑いしながら通訳した。

「本当にありがとうございます、という意味です。鈴さんは感動や驚きが振り切ると母国語が出てしまうのですよ」

「母国語ですか?」

「ええ。彼女は幼い頃に両親を亡くし、単身でイギリスから日本へ渡ってきたのです。その後8年もの歳月を孤独に過ごし、私の元に嫁いできたのです。なので今でも時々英語が出てしまうのですよ」

 笑顔を浮かべて鈴の頭を撫でると、鈴は恥ずかしそうに頬を染めて店主に深く頭を下げている。

「すみません……つい」

 そんな鈴を見てとうとう店主が笑み崩れた。

 鈴の素直さは周りの人間の心を照らす。千尋に対して失望していた者の心でさえ、どうして千尋が鈴を選んだかをこうして知らしめる。その結果——。

「千尋さまは……とても良い縁に恵まれたのですね。その慧眼は流石です」

「ええ。そう思います。神に感謝してもしきれません」

 こうしていつも千尋の株さえも上げてしまう。

 鈴の子どものような無邪気さと素直さ、そして探究心や好奇心を抑えることをせず、誰かに教わることを恥だとは思わないこの純粋な心こそ千尋が愛した鈴だ。

 今すぐにでも鈴を抱きしめたい衝動に駆られつつ店主に勧められた商品を買って店を出ると、もうすっかり夜になっていた。



 千尋と手を繋いで食堂街を歩いていると周りの人達が皆、千尋を振り返った。

 そりゃそうだ。千尋は今、恐らく都では男性で初めての洋装で歩いているのだから。

「やはり皆さんも洋装が気になるのでしょうか?」

 流石の千尋も皆の視線が気になるようでそんな事を言うが、多分それは違う。皆、千尋のあまりのスタイルの良さと美しさに慄いているのだ。

「絹さんと吉乃さんがきっと流行らせてくれます! それにしても……」

 鈴はそう言って視線を上げると、そこには丁度蕎麦屋がある。

「お蕎麦美味しそうですね。良い匂いがします」

 出汁の香りが店の外にまで漂ってきていて思わず鈴が目を細めると、千尋は何とも言えない顔をして頷く。

「蕎麦ですか……まぁ、二階に上がらなければ……」

「千尋さま?」

 首を傾げた鈴を見て千尋は慌てたように鈴の手を引く。

「夕飯は蕎麦にしますか?」

「はい!」

 鈴は良い返事をして千尋について店に入った。すると、奥から店主がやってきたかと思うと、千尋を見て意味ありげに微笑む。

「これはこれは千尋さま。ご無沙汰しております。今日もお二階ですか? しかも今回は女性を連れているだなんて!」

「?」

 店主の微笑みが何を意味するのか分からなくて鈴が首を傾げていると、千尋は静かに首を振る。

「いいえ。あの時毎度一人で二階に上がったのは、彼女と話をする為でした。ですが私は無事に彼女を地上から連れて来る事に成功したので、もう二階に上がる必要はないのです。これからは思う存分自室で彼女を愛でる事が出来るので」

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