確かに二人の言うように都ではまだ誰も洋装を着ていない。だとしたら男性の洋装のイメージが出来ないのも当然だ。
鈴はそんな二人に良い案が思いついたとばかりに言った。
「では千尋さまに着てみてもらいましょう! 男性の洋装もとても素敵なんですよ! 少し待っていてくださいね!」
そう言って鈴は二人が呆気に取られて言葉を失っている隙に部屋を出て千尋が居るであろう温室に向かった。
温室に行くと、案の定千尋は蓄音機をかけながらゆったりと読書をしていた。
そんな千尋を見つけて鈴は柱の影からそっと千尋に声をかける。
「千尋さま」
「おや、鈴さん。どうされました?」
千尋はすぐに鈴に気付いて笑顔を浮かべてくれた。
「読書のお邪魔をしてしまって申し訳ありません。少しだけお願いがあるのですが、お時間を頂いても良いですか?」
「もちろん。何かありましたか?」
千尋はそう言って読んでいた本に栞を挟んでこちらへやってきた。
「何かという事はないのですが、その、少しだけ洋服を着て欲しいのです」
「洋服を? どうしてまた」
「実は——」
鈴はあの二人の龍について説明をすると、千尋はにこやかに頷く。
「なるほど、事情は分かりました。そういう事なら一肌脱ぎましょう。ついでに楽も参加させますか?」
「手伝ってくれるでしょうか?」
「手伝ってくれますよ。私が言えば」
イタズラに笑ってそんな事を言う千尋に鈴は困ったように笑いながら、千尋と一緒に温室を出た。
それから鈴はすっかり洋装に着替えた千尋と楽を連れて部屋へ戻ると、そこにはいつの間にか雅が参戦している。
「それじゃあ、あんた達はお人形さんの服をずーっと作ってたのかい?」
「ええ、そうなんです! それがもう楽しくて!」
「だから私達、絶対に仕立て屋になろう……って……!」
鈴達が部屋に入ると、それまで雅と楽しそうに話していた絹と吉乃がこちらを向いて固まった。
「お待たせしました! これが男性の洋装です! ……あ、あれ?」
鈴が身体をズラして千尋と楽を部屋に招き入れた途端、二人はポカンと口を開けたまま固まっていたかと思うと、次の瞬間には顔を真っ赤に染める。
「随分と楽しそうな声が温室にまで聞こえてきていましたよ。良ければ私達も混ぜてください」
千尋が言うと、二人は固まったままゴクリと息を飲んで頷く。そんな様子を見て楽が苦笑いを浮かべた。
「や、千尋さまが居ると多分、話が進まないと思う」
「どうしてです? 私だけ仲間外れですか?」
「千尋、あんた自分の都での立場にもう少し興味を持ちな。大丈夫だよ、あんた達。あの凶暴で凶悪で性格の悪い水龍は鈴を与えておけば大人しくしてるよ」
「み、雅さん!」
「相変わらず私には辛辣ですねぇ、雅は」
そう言って千尋は二人の正面に長い脚を組んで座ると、二人に向かって微笑みかけた。
「大丈夫ですよ、お二人とも。言い方はともかく雅の言ったことは概ね当たっています。そんなに緊張しないで楽にしてください」
「それ余計に恐怖ですよ……千尋さま」
楽が言いながら居心地悪そうに頭をかくが、二人の視線はさっきからずっと楽に向けられている。
「あなたはあの裁判の時の子よね?」
「あ、はい。そうです……」
「大きくなったのね。ところでちょっとぐるりとそこで回ってみてくれないかしら?」
「え、はい。こうですか」
絹に言われて楽が素直にその場でぐるりと回ると、それを見て二人は目を輝かせる。
「私も回りましょうか?」
どうしても参加したいのか、千尋が言うと二人はすぐさま青ざめて首を振った。
「と、とんでもありません! 千尋さまの洋装を見ることが出来たというだけで倒れてしまいそうなのに、そんな事をされたら私達は呼吸が止まってしまいます!」
「おや、それは残念」
肩を竦めて千尋は鈴が今しがた入れたお茶を飲んで目を細める。
それから二人は楽に色んなポーズを取らせては千尋に恐縮し、夕方に大量の型紙と鈴の作ったお菓子を持ってホクホクした様子で帰って行った。
二人を玄関先まで見送り屋敷に入ると、何故か千尋はまだ洋装だ。
「千尋さま、今日はありがとうございました」
「私は部屋の隅でお茶を飲んでいただけでしたけどね」
苦笑いを浮かべてそんな事を言う千尋に鈴はすぐさま頭を下げる。
「す、すみません! 読書の邪魔をしてしまっただけでは飽き足らず、お暇でしたよね?」
「ああ、いえ。そういう意味ではなくて、何の役にも立てなくて申し訳なかったなと思ったのです。でも楽しそうな鈴さんを見ることが出来たので良しとしましょう。何よりもこれで都にも洋装が流行るかも知れませんし」
「だと嬉しいです! いつか千尋さまと洋装でお出かけがしたいです」
そんな未来を想像して鈴が微笑むと、千尋も嬉しそうに微笑んで頷いてくれる。