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第432話

「無事ならそれで良いです。私達も戻りましょう」

「……はい」

 千尋に諭されて鈴は歩き出した千尋の手にそっと自分の手を触れさせた。いつものように手を取らなかったのは、怖かったからだ。

 そんな鈴の心を汲んだかのように千尋は鈴の手を掴んで指を絡ませてくる。

「怒ってませんよ。そんな顔をしないで」

「でも……」

 千尋を悲しませてしまった。心配させてしまった。そんな考えが頭を過るが、ふと千尋は立ち止まり鈴を見下ろしてくる。

「あなたはもう二度とあんな事をしない。そうでしょう?」

「っ! はい」

「だと思います。だから怒りません。心配をしただけです。それから、知っていて欲しかっただけ」

「……はい」

 いつも通りの穏やかな千尋の声に胸を締め付けられるかと思った。

 そして気づく。千尋は本当に鈴を心から愛してくれていて、常に鈴の心配をしてくれている。

 それは鈴を失う事を何よりも恐れているからなのだという事に。

 鈴は千尋の手を強く握ると、この数日に起きたことをしっかりと胸に刻み込んだ。



 鈴に石を投げつけた男は、やはりあの風龍だった。

 男はあの日、鈴から受け取った冷たくなったおにぎりと餅が乗った皿を持って息吹の元に訪れたそうだ。

「息吹が尋問したんだけどさ、その前にこれを食べたいって言っておにぎり食べだしたって。それ食べて突然号泣しだして、全部自白したらしいよ」

 千尋の執務室にやってきた羽鳥は、鈴のハーブティーを飲みながら深い息を吐いた。

「彼ね、千尋の事を奥さんがずっと好きだったのは知ってたんだって。小さい頃から。でもやっと番になる事が出来て奥さんとも上手くいってたらしい。でもある日、誰かから誘われてあの集会に顔を出すようになったんだと思うって」

「思う? どういう事です?」

 その言い方ではまるで彼は妻が千尋の親衛隊に身を置いて居たことを知らなかったようではないか。

 千尋の質問に羽鳥は苦い顔をして頷く。

「多分君の思っている通りだ。彼は毎日が忙しくて奥さんが君の親衛隊に居る事を知らなかった。でもあの日の前夜、奥さんの様子がおかしかったらしい。彼曰く抜けられなかったんだと思うって。あの集団はもしかしたら僕達が思ってたよりもずっと酷い集団だったのかもしれない」

 真剣な顔をしてそんな事を言う羽鳥に千尋は書類からようやく顔を上げ、自分の分のお茶を入れて羽鳥の正面に腰を下ろした。

「詳しく教えてください」

「あの日の前夜、奥さんは彼にこう言ったらしい。『もし私に何かあったら、軽い気持ちでこんな事に手を出した私に罰が当たったんだと思って、私を遠慮なく忘れて他の人と幸せになって』って。それを聞いて彼は一体何の事だろうって思ったらしい。で、あの事件だよ」

「……なるほど。ではあの時の数少ない反省組の中の誰かなのでしょうか」

 あの事件の後、親衛隊に参加した者達は全員が捕まった。そのほとんどは高官の身内であの戦争の引き金を引こうとした者達による策略だったが、中には一般の龍も居て、その者達は酷く後悔をしていた。

「恐らくね」

「彼女達は全員無事なのですか?」

「もちろん。今回の事ですぐさま収容していた場所から移したよ。彼女たちの刑期は50年ほどだ。すぐに戻ってくる」

「……なら良いのですが、都の牢に移しておいて方が良いような気がしますね」

 もしもあの事件が戦争の引き金を引くためだったとしたら、もしも今は亡き謙信達の意志を継ぐものがまだ居たとしたら、彼女たちはまた利用されかねない。

 千尋は鈴のハーブティーを飲みながら地上を攻撃して鈴の加護に貫かれた風龍を思い出していた。

 王が流星に変わってから都の外に追放された全ての者達に刑期が定めらられた。

 今までは高官しか都に戻る事は許されなかったが、それでは不公平だと千尋が進言したからだ。

 犯した罪の程度にもよるが、鈴が今も毎朝手を合わせに行くあの風龍のような者は今後出てはならない。都から追放されたというだけで自ら死を選ぶような事があってはならないのだ。

「そこまで必要かな?」

「分かりませんが、保険はかけておいた方が良いかと。今回の風龍の証言を理由に彼女たちを都に移す事が可能であれば、そうした方が良いかと思いますね」

 何がどこに繋がるか分からないのは世の常だ。

 何よりも万が一にでもあの風龍の番が外で殺されるような事があれば、風龍は今度こそ本気で鈴に襲いかかるかもしれない。

 そういう可能性は限りなく低くしておきたいというのが千尋の本音だ。

「ま、君の勘も大概良く当たるからね。息吹がさ、同じことを言ってたよ。普段犯罪者ばっか見てるからだろうけど、あの風龍はギリギリの所に居るってさ。だから番を戻して少しでも落ち着かせた方が良いんじゃないかってさ」

 息吹の言う通りだ。あの様子を見ても彼がギリギリなのは良く分かる。

「それから息吹が鈴さんにお礼言ってたよ」

「お礼? 鈴さんにですか?」

「そ。あの風龍におにぎりと餅やってくれてありがとうってさ。ちょっとした優しさが彼を思いとどまらせたんだろうってさ。彼は随分思い詰めてたんじゃないかな。何せおにぎり食べて泣くぐらいなんだから」

「……伝えておきます」

 鈴のした事は正しかったのか。

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