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第430話

 庭に出ると、この寒い中で弥七が今日も植物の手入れをしていた。

 そんな弥七に千尋が声をかけると、やっぱり楽と同じように鈴の笑顔を見て安心したような顔をする。いつの間にか鈴はもうすっかり神森家の女主だ。

 弥七にも手伝ってもらいながら庭中の雪をかき集めて大きなかまくらが出来上がった頃、まるでタイミングを見計らったかのように屋敷の中から雅と喜兵衛、そして栄がやってくる。

「おー! 良いじゃねぇか。立派立派!」

「このクソ寒い中、よくこんなもん作ろうと思うね」

「皆さん、追加でおかずと味噌汁作ってきましたよー!」

 喜兵衛の言葉に楽と千隼が目を輝かせた。その姿はまるで本物の兄弟のようで思わず微笑んでしまう。

 隣でその光景を見た鈴もそう思ったのか千尋の着物の袖を掴んで笑っている。

 そんな鈴にほっこりしていると、突然雅が猫に戻って肩に飛び乗ってきた。

「良かったじゃないか。首の皮一枚繋がったねぇ?」

 耳元でからかうような雅の声に苦笑いをすると、その直後に雅が急に真剣な声で言う。

「でも次は無いからね。次同じ事したら、問答無用であたしは鈴達を連れてここを出て地上に戻るよ。よく覚えときな」

 あまりにもドスの利いた声に千尋は声を詰まらせて頷く。

「……心に刻みます」

「そうしな。ほらあんた達! 七輪持っといで! 昼飯食べたら餅焼くよ!」

 雅の声に弥七と楽が急いで七輪を取りに納屋に向かって走って行った。千隼も二人を追いかけようとしたが、鈴におにぎりを渡されて何やら迷っている。

「千隼、楽さん達が戻ってくる前に皆のおにぎり置かないと!」

 未だに葛藤していた千隼に鈴が声をかけた途端、千隼はハッとしてかまくらの中に入って雪で出来た机の上におにぎりを並べ始めた。

「お見事ですね、鈴さん」

 思わず千尋が褒めると、鈴は嬉しそうに微笑む。

「楽さんの名前を出すと大抵のお手伝いはしてくれるんです」

「なるほど。妬けますね」

 笑顔で頷きながら言うと、鈴はさらに微笑んだ。

「でも最近は寝る時に千尋さまが居ないってグズってたんです。パパのピアノ聞くーって」

「そうなのですか?」

「はい! だから後でピアノを聞かせてやってくださいますか?」

「それはもちろん。では久しぶりに演奏会をしましょうか」

 地上では千尋と鈴はよく演奏会と称して二人で楽しんでいたが、それはまだ都に来てからただの一度もした事がない。

 千尋の言葉に鈴は千隼と同じように顔を輝かせて何度も頷く。

「嬉しいです! あの、バ、バイオリンも弾いてもらえますか?」

「構いませんよ。どうしてです?」

「私、千尋さまのバイオリンが凄く好きなんです。じっと聞いてるのも好きだけど、何だか今日は思い切り歌いたいです」

 素直な鈴の言葉に千尋は思わず微笑んでしまった。相変わらず鈴は正直で素直だ。何でも千尋に伝えてくれる。

 そしてそこに今度から弱音や愚痴なども加わるのかと思うと、不思議と嬉しかった。


 昼食をかまくらの中で食べ終えると、千尋は屋敷からバイオリンを持ってきて弾き始めた。鈴は都に来てから千尋のバイオリンを聞くのは初めてだ。

 少しだけバイオリンを弾いた千尋はふと手を止めて苦笑いをする。

「やはり練習をサボると腕が落ちますね」

「そう……ですか?」

 全然そうは思わなかったが、千尋はどうやら納得いかないらしい。

 一方カマクラの中でお餅が焼けるのを待っていた千隼は、千尋のバイオリンの音に釣られたのか、カマクラから出てきて気がつけば鈴の膝の上にちょこんと座っている。

「ぱぱー! おうた! おうた!」

「私が歌うのですか?」

「うん!」

「バイオリンを弾きながら? 千隼は難しい事を言いますね」

 苦笑いを浮かべた千尋は千隼からの無理難題にどう答えようか迷っている様子だったので、鈴は千隼の頭を撫でて言う。

「ママが歌っても良い? ママね、パパのバイオリンで歌うの大好きなの」

「いいよ!」

 鈴を見上げて謎の上から目線に笑いつつ千尋を見ると、千尋もおかしそうに肩を揺らしている。

「どうやらお許しが出たようです」

 そう言って千尋はもう一度調弦をして鈴に目配せしてきた。それに気付いた鈴は千隼を椅子に下ろして大きく息を吸い込む。

 雪が積もり辺りはとても静かだ。こんな風に外で千尋のバイオリンで歌うのは随分と久しぶりな気がする。

 鈴はこの二週間分の思いを込めて千尋と千隼が大好きなアメイジング・グレイスを歌い始めた。

 どこまでも響き渡りそうな千尋のバイオリンに、鈴の歌が溶け込んでいく。それはまるで一つの楽器のようだ。

 ふと千隼を見ると、千隼は呆然とした様子で千尋と鈴を見つめている。その頬は興奮からか赤く染まっていた。

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