「そうですね。私も千尋さまが愛してくれるおかげで、この傷を愛しいと思えるようになりました。この傷は菫ちゃんを守った証なのだという事にも気づけました。さっき千尋さまにどこにも行かないでと言われた時、とても嬉しかった。言葉には出来ない感動を知りました。そして私も思ったのです。どこにも行かないで、私だけを見ていて、と」
こんな気持を知ったのは生まれて初めてだ。菫が鈴によく言う「あんな旦那がいて不安じゃないの?」という言葉の意味を初めて理解した。
鈴の言葉に千尋は苦笑いして鈴を見下ろしてくる。
「今更ですか? 私は毎日そんな事を思っていますよ」
「そうなのですか?」
「ええ。あなたの事を皆に自慢したい。けれど誰にも見せたくない。そんな矛盾に毎日悩まされています」
そんな千尋の言葉を聞いて鈴は思わず笑ってしまったけれど、今ならその気持がよく分かる。
「これが独占欲というものですか?」
「そうですね。それは独占欲です。でもあなただけは私を独占する権利があるし、私はあなたになら独占されていたいです。それに栄や流星達が話す私の話はあなたに出会う前の事です。あなたに出会う前の私は、本当に何にも興味が無かったのですよ。だからこそどこまでも冷酷になれたし、どこまでも冷静で公平でいる事が出来ました。けれどあなたに出会ってからそれは出来なくなってしまいました。あなたの事に関してはいつも冷静でも公平でもいられない」
鈴を抱く千尋の手がまるで後悔しているかのように震えた。そんな千尋が愛しくて仕方なくて鈴は千尋に強く抱きつく。
「私もですよ、千尋さま。地上ではあれだけ離れていても平気だったのに、この二週間で私はどうにかなってしまったのかと思うほど、千尋さまが恋しくて仕方なかったんです。顔が見たくて触れたくて、お話しがしたくてどうしようもなかった。だから……ワガママを言ってもいいですか?」
鈴の言葉に千尋は優しく微笑んで頷く。きっと鈴が言おうとしている事をもう分かっているのではないだろうか。
「明日からは早く帰ってきてください。一緒にご飯を食べて、一緒に眠りたいです……前みたいに」
「もちろんです。私ももう寝ているあなたにキスをしたり髪を撫でたりするのでは我慢出来ません」
それだけ言って千尋はそっと鈴のおでこにキスしてきた。それはとても慎重で何かを推し量るようなキスだ。
きっとさっき鈴が千尋を拒んだ事を千尋はまだ気にしているに違いない。
だから鈴は顔を上げて千尋の顔を両手で挟むと、自分からその形の良い唇にキスをした。
そんな鈴の行動に千尋は一瞬驚いたような顔をしたかと思うと、すぐに恥ずかしそうに俯いてしまう。
「鈴さん、我慢が出来ないと言っている男にこんな事をしたら――」
千尋が言い終えるよりも先に鈴はそっと千尋の胸に頬を寄せて言う。
「私も我慢出来ません。お揃いです」
「っ!」
その言葉を聞くなり千尋は鈴を抱き上げ、早足で書斎から連れ出す。
途中で猫雅とすれ違ったのだが、雅はこちらを見てからかうように目を細め歯を見せて笑った。そしてそのまま廊下の奥に走り去っていく。
何だかその様子が明らかに何かを察していて思わず鈴が千尋を見上げると、千尋の顔には既に婚姻色が出ているし何なら角まで出ている。
「ち、千尋さま、既に角と婚姻色が……」
「あ、やっぱり出てますか?」
「……はい」
自分でも気付いていたのかと思いつつ頷くと、千尋は何故か微笑んだ。
「仕方ありませんね。何せ二週間ぶりの鈴さんですから。むしろ仕事中にあなたを思って出さないだけ褒めて欲しいです」
「とても……偉いと思います」
何故か得意げにそんな事を言う千尋に千隼っぽさを感じてしまいつつ鈴が褒めると、千尋はそれはもう嬉しそうに微笑んだ。やはり親子だ。
それから鈴は明け方までたっぷりと、二週間分の千尋からの愛情を注がれたのだった。
♤
職場への休暇の連絡と栄への寝坊宣言をした千尋は、腕の中で疲れ果てて眠る鈴の髪を撫でながら鈴との出会いを思い出していた。
あの時は鈴とこんな関係になるだなんて思ってもいなくて、今までの貴族の娘とは随分毛色の違う少女がやって来たなと思っただけだったのに、いつの間にか夫婦になり、子どもまで出来て都に連れ帰るまでの関係になった。
千尋は鈴の寝顔を見つめると、胸の奥の衝動を抑えるようにそっと鈴を抱きしめる。
すると鈴は一瞬顔を顰めたけれど、何かに気付いたように寝ていても千尋にすり寄ってきた。
「……どうしてこんな……」
「可愛いのだ」そんな言葉をどうにか飲み込んでふと時計を見ると、いつもならもうとっくに屋敷を出る時間になっている。
それでも千尋はもう一度目を閉じて鈴が起きるまで抱きしめていた。