「あんたは根本的には何も変わらないねぇ。何だ、未だに皆に遠慮してんのかい? こんな事言っちゃなんだが、あんたは母親を大分良くやってる部類だと思うけどねぇ」
「そんな事――」
「あるさ。そんなね、最初の子で戸惑うのなんて皆そうだよ。あんただけじゃない。むしろあんは本当に良くやってる。だから千尋だって安心して犯人探しに没頭出来るんだよ」
それを聞いて鈴は小さく頷いてもう一度雅に抱きつく。
「でも千尋さま多分全然寝てないんです……体調とか崩してたらどうしよう……」
「それこそ鈴が心配する事じゃないよ。あいつはもう大人だ。自分の面倒ぐらい自分で見られる。むしろもっと気を配れぐらいに言ってやっていいぐらいだよ!」
「だ、駄目です! この事は千尋さまには……」
雅の言葉を聞いて慌てて鈴が顔を上げると、雅は口の端を上げて微笑んでいる。
「言うな、だろ? いいよ。千尋には言わない。けど、あたしにはちゃんと言いな。我慢も遠慮もなしだ。いいね?」
「……はい」
雅はもはや鈴の母親のような存在だ。鈴は頷いて雅に抱きついた。
♤
鈴の日記が止まってしまった。それには気付いたけれど、最近は鈴ともずっとすれ違いになってしまって何も伝える事が出来ないでいる。
「はぁ……」
千尋は流星の仕事場で弁当を広げて大きなため息を落とした。そんな千尋を見て正面に座っている羽鳥が肩を竦めた。
「すれ違っててもちゃんとお弁当は作ってくれてるんだからさ。嫌われた訳じゃないって」
「そうだよ。何をそんなに憂いてるの。皆、どこか体調悪いんじゃないかって心配してるけど?」
「それは私に婚姻色が出ていないからでしょうか?」
千尋の言葉に二人は声を詰まらせて黙り込む。
「二週間です。二週間もの間、起きている鈴さんに触れていないんですよ」
「……起きてる鈴さんってとこに恐怖を覚えるんだけど」
「僕も」
「寝ている鈴さんの髪を撫でたり、頬に口付ける事はあっても、反応が無いんです。たまに目尻に涙まで溜まってるし……絶対に何か抱え込んでると思うのです。おまけに屋敷の者達は皆、鈴さんの味方なので私に当たりがキツイし……」
前にもこんな事があったなと思いつつ鈴のハーブティーを飲むと、少しだけ心が落ち着く。
「屋敷の人間がお嫁さん大事にするのは良い事だよ。ていうかさ、千尋くんたまには休暇取りなよ、本当に。犯人探しで忙しいのは分かるけど、でないと本気で鈴さん誰かに取られるよ」
「な、なんて事を言うのですか!」
流星の言葉に思わずギョッとしておにぎりを落としてしまった。慌ててそれを拾って軽くはたくと、それを見て羽鳥が「食べるんだ」と笑う。当然である。
「だってさ、鈴さんが都に来てまだ一ヶ月とちょっとだよね? そりゃ色々不安にもなるでしょ。そこに誰か優しい奴が現れてみな? 俺ならうっかりそっち行くかも」
「息吹と付き合えてるんだからそれはないでしょ。ただまぁ、実際そういう時が一番付け入る隙ではあるよね。僕が言うのも何だけど」
「……」
羽鳥は遊び人だ。決まった番をいつまでも持たない。そんな羽鳥が言うのなら、そうかもしれない。
心の中では鈴は絶対にそんな事はしないと思うのに、自分のしている事に後ろめたさがあるからか、今回ばかりは妙に不安になってしまう。
千尋は最後のおにぎりを食べ終えると、風呂敷を丁寧に折って仕舞った。
「帰ります」
「お! そうしな。ちゃんと探しとくから」
「ええ、お願いします」
そのまま職場に戻り残っていた仕事を片付けるとそれらを全て部下に渡す。
「すみませんが、私は今日はこれで失礼します。何かあれば鏡を使ってください」
「はい。お疲れ様でした」
部下は書類を受け取ると、千尋が部屋から出るまで頭を下げていた。
それからすぐに鈴と千隼への土産を買って屋敷に戻ると、屋敷の外にまで千隼の叫び声が聞こえてきた。
千隼のそんな声を聞くのは初めてで驚きつつそっと窓から中を覗くと、鈴が泣き叫ぶ千隼を抱きしめて小さく蹲っている。
その姿が何かを堪えて怯えているようで胸を突く。
千尋は急いで屋敷に入ると、鈴達が居た部屋へ駆け込んだ。
「鈴さん! 千隼!」
千尋が声をかけると、千隼はピタリと泣き止み笑顔を見せてくれたが、鈴は千尋の声が聞こえなかったのか、まだ千隼を抱えて呆然としている。
様子がおかしい。そう思って鈴に近寄ると、鈴はふと顔を上げて涙を零す。
いつもの美しい青い目が、今日は酷い隈のせいで曇っていた。
「ど……して?」
「え?」
「もしかして職場まで千隼の泣き声が聞こえたのですか? ……千隼を泣かせてばっかりだって……私がちゃんと出来てないって……だから早く帰ってきたんですか?」
「鈴さん?」
鈴が何を言っているのかが分からなくて困惑していると、千隼が鈴の腕の中から抜け出してこちらに駆け寄ってきたので抱き上げる。