鈴が途方に暮れていると、千隼の声を聞きつけたのか弥七と栄がやってきた。
「どうした!? またか!」
「どうしたんだ~? ちーちゃんは~」
そう言って弥七が千隼に手を伸ばしたその時、龍に戻った千隼の爪が弥七の腕を傷つけた。それを見て鈴はすぐさま千隼を起き上がらせて眉を釣り上げる。
「千隼! 駄目でしょう!? 龍に戻ったら暴れたら駄目! 爪が痛い痛いだよ!」
強く言うと、千隼は驚いたような顔をして鈴を凝視して、弥七の腕から血が出ているのを見るなりさらに泣き叫んだ。
「千隼!」
もうどうしたら良いのか分からない。千隼がどうして泣いているのかも分からない。本当は怒鳴ったりしたくないのに、どうしてこんなにも余裕が無いのだろう。
思わず零れそうになった涙を袖で拭うと、そんな鈴を見て弥七がそっと鈴の頭を撫でてくれた。
「姉御のとこに行ってこい、鈴。俺は大丈夫だし、千隼は俺達に任せとけ」
「で、でも」
「弥七の言う通りだ。あんたも千隼も限界だ。分かるだろ?」
「……はい」
弥七と栄に言われて鈴は唖然として鈴を見上げている千隼を抱きしめ、頬にキスをして小さな声で「Sorry」と呟いてそのまま部屋を出て駆け出した。
何も上手く出来ない。こんな事ではいつか千尋にも皆にも愛想をつかされてしまうかもしれない。
鈴は雅の所へは行かずに自室に戻ると、ベッドにうつ伏せて枕に顔を押し付けて叫んだ。
こんな事でイライラしていたら母親失格だ。そう思うのにあの金切り声が、あの理不尽だと訴えてくる瞳が鈴を追い詰める。
枕に顔を押し付けて思う存分叫んだ鈴は、そのままベッドにうつ伏せになって泣いた。
「千尋さま……どうしたら良いの……? 会いたい……抱きしめて欲しいよ……いっつもみたいに一緒にご飯食べて一緒に寝たいのに……千隼の事も聞いて……私だけじゃもう無理だよ……」
千尋はあの日から朝早くに出かけて夜も遅い。互いの時間が合わなくて、キスやハグすら出来ていない。
この日から鈴はあまり眠れなくなってしまった。
千隼は相変わらず定期的に泣くけれど、鈴の心を察したように暴れる事は無くなった。
けれどそれが良かったのかどうかは分からない。ただ我慢させているだけなのだから。
千隼は本当は以前のように外に出て転げ回り、街に買い物に出掛けたり一緒にあの大木の上で歌を歌いたいはずなのだ。それが分かっているから余計に辛い。
そんな事を毎晩考えてしまって、とうとう鈴は日課だった日記すらつける事を止めてしまった。そしてその事を雅や千尋が気付かない訳がなかったのだ。
ある日のこと、いつものように千隼と千尋のお弁当を作っていると、ふと雅が猫に戻って鈴の顔を覗き込んできた。
「鈴、あんた大丈夫かい?」
「え?」
予想もしていなかった雅からの質問に鈴は内心ビクついたが、すぐに無理やり笑顔を浮かべて頷いた。
「……そうかい? 何か悩みでもあるんじゃないか?」
「悩みなんて……しいて言えば、今日の千隼の機嫌をどうとろうかなって思ってるぐらいですよ!」
出来るだけ軽く言うが、少しだけ声が震えてしまった。そんな鈴の言葉を聞いて雅が人型に戻って無言で鈴を抱きしめてくる。
「悪いね、千尋じゃなくて」
「……いえ……嬉しいです。ありがと……ございます」
雅はいつもこうだ。先回りするみたいに鈴の心に気付いてくれる。こうやっていつも側にいてくれる。
鈴は雅に抱きついて声も無く泣いた。そんな鈴の背中を雅はずっと撫でていてくれる。
「千尋がね、心配してたよ。あんたの日記が途絶えてるって。何かあったのかって」
「! それは……」
「別に言わなくてもいいさ。言わないって事は、書かないって事は言いたくないんだろうさって言っておいたよ。それから、そういう時はあんたが察しな、とも」
いかにも雅らしい言葉に鈴は少しだけ笑ってしまった。
「何だか最近、全然駄目なんです……心が不安定というか、千隼の泣き声を聞くと苦しくなってきて泣きそうになっちゃうんです。でも私が泣いたら千隼は賢いから泣き止んじゃう。びっくりして、言いたい事全部飲みこんじゃって……駄目だって分かってるのに。そんな事させてたら、絶対に千隼に良くないって分かってるのに……」
一旦口を開くと不安がボロボロと出てくる。それでも雅は辛抱強く鈴の話しを聞いてくれる。
「こんな事言われても、雅さんも困るって……だから、私……」
「菫には相談しなかったのかい?」
「菫ちゃん、今試験勉強で忙しいんです。楽さんですら今は連絡とってないのに、こんな事相談出来ないです」
鼻をすすりながら言うと、雅の笑い声が聞こえる。