それがもし今になって本当の両親が現れて戻って来いなんて事になったら、きっと鈴は嫌だと駄々をこねてしまうだろう。
身勝手だと分かっているので視線を伏せた鈴の頭を楽がポンポンと叩いた。顔を上げると、楽は怒るどころか照れたようなはにかんだ笑顔を浮かべている。
「俺もそう思ってる。俺はもう神森家の一員だ。お前と千隼の兄だし、千尋さまの長男だ」
「はい! あ、でも千尋さまの長男なら私の息子……」
「いや、それだけは無理だから。お前の事を母親とかは全然思えないから」
「何故!?」
「どう見たって無理に決まってんだろ! まぁ、だから俺は運が相当良かったんだよ。でもそうじゃない奴らもいる。そういうのを壊したいって菫は言ってた」
「菫ちゃん……」
鈴の従姉妹の菫は鈴にとって姉のような存在で、今この都に怒鳴り込みをする為に地上で一生懸命に勉強をしている。そして卒業したら楽の元に嫁ぎ、龍の都に殴り込みをかけるのだと息巻いていた。やはり菫は頼もしい。
「話戻すが、だから羽鳥さまってのはすげぇんだ。混血でも高官にまでなったんだからな。何のコネもなく、本当に自力でのし上がった龍の中でも異例の方なんだ。俺なんかはずっと一目置いてた。千尋もだな。あの滅多に人の名前を覚えない千尋が羽鳥さまが高官になる前から覚えて帰ってきたから相当だぞ」
「それは凄い。俺なんかは羽鳥さまの存在すら知らなかったんだ。初さまとかしょっちゅうここに来て千尋さまの話ししてたけど、羽鳥さまの名前なんて聞いた事もなかった。でもあの裁判の時に思ったんだ。この人すげぇって。あと、龍になった時に二色なのがかっけぇ!」
楽はそう言って鼻息を荒くした。どうやら楽にとって羽鳥もまた憧れの人のようだ。
鈴はそれを聞いて深く頷いた。
以前は羽鳥ですら酷い扱いを受けていたようだが、王が流星に代わり羽鳥の地位も上がった事によって都は随分変わったと千尋も言っていた。
「でも私、なんだかんだ言いながら都で表立って罵倒を受けたりした事はないのです。そりゃ気安く話しかけてもらえたりはしませんが、龍の皆さんは案外人間に寛容な気がします」
今回は確かに石を投げられたりしたが、それ以外で別に何かをされたりした事はない。ただ遠巻きに皆ヒソヒソと話すだけだ。そんな事は地上に居てもそうだったので、もう特に気にもならない。
「まぁ、あんたは地上に居た頃からそんな目に遭ってるもんねぇ。今更か!」
「はい!」
雅の言葉に鈴が笑顔を浮かべて頷くと、皆が顔を引きつらせる。
「何ならもっと酷かったです!」
「そうだね。何せ佐伯家に8年も閉じ込められてたんだ。ははは! それに比べりゃ石ころなんてどって事ないね」
「そうです! お腹いっぱいご飯が食べられて殺されかけなければどうという事はありません!」
笑い合う鈴と雅に他の皆は青ざめているが、本当の事だ。地上での暮らしはそれはもう本当に色々あった。
「いやお前……それ、笑って話すような事じゃない……」
「俺も大概図太い方だが、鈴に比べりゃ小物だな」
「自分もだよ。そんな境遇だったらもっと悲観してる……」
「千尋の嫁は見た目に反して強いな! 何となく千尋が惹かれたのが分かる気がする。あいつ精神は案外脆いからなぁ」
「そうかい? あいつは精神も図太いよ。そりゃ子どもの頃はそこそこ繊細だったかもしれないけど、だんだん性格の悪さを隠さなくなったからね。ありゃ絶対に生まれつきだ」
相変わらず千尋に辛辣な雅に鈴は苦笑いを浮かべるが、何故か喜兵衛と弥七は深く頷いている。千尋の周りで千尋にこんな事を言うのは雅達ぐらいだ。
「まぁそれはそうかもしれんな。鈴に会ってからあいつは随分と変わった」
感慨深そうにそう言って栄は大声で笑いながら炊事場を出て行く。その後を千隼と楽が追っていってしまった。
「栄の言う通り千尋があんなにも感情を表に出すようになったのはあんたが来てからだ。だから鈴は胸張ってな。千尋の花嫁は、あんたでないと務まらない」
「はい!」
雅の言葉を胸に刻んで鈴は大きく頷いた。
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「……今日のは濃いねぇ」
職場に行くと朝一番に流星にそんな事を言われた。その口調は半分呆れて半分はおかしさを堪えているようだ。
「仕方ありません。鈴さんが可愛すぎるのがいけないんです」
「番にだけ万年発情期って言うのも面白くて良いけど、流石に結婚してそこそこ経つんだからいい加減落ち着かない?」
「私だって別に好きで出している訳じゃないですよ」
「3日間休む? って言いたいとこだけど、それしたら君は一生出てこれないよね、きっと」
「ええ、恐らく」
婚姻色は3日で消えると言われているが、消える前にまた新しい婚姻色が出てしまう千尋だ。