雅はシーツを干し終えて猫に戻ると、歯を出して笑う。そんな雅を抱き上げて鈴はその小さな後頭部に頬ずりをした。
「だったら嬉しいです。あの日の事はきっと一生忘れません」
「だろうね。ほれ、それじゃあそろそろ買い物に行くよ!」
「はい!」
鈴は雅を下ろして屋敷に戻ると、買い物へ行く準備を始める。それを見てそれまで楽と遊んでいた千隼が自分も行くと言い出した。
「お前、買い物好きだなぁ」
千隼が行くという事は楽もほぼ強制的に行くという事だ。そして今日は栄も一緒についてきてくれる。これには少しだけ理由があった。
「流石に立て続けには起こらんと思うが、一応用心しとかないとな」
栄はそう言って鈴の壁になるように鈴の隣に並んだ。
「ここ数日、鈴に石投げつけてくるバカがいるからね。栄、しっかり盾になるんだよ!」
「おう。任せときな」
栄は目に闘志を漲らせて頷いた。
この二人は出会ってからまだ一月ほどしか立っていないのに、既に数百年ぐらい一緒に居たのではないかと思わせるほど馬が合う。
皆に壁のようになってもらって恐縮しながら歩いていると、ふと千隼を抱いた楽が笑いかけてくれる。
「俺もいるから心配すんな」
「はい! 皆さん、ありがとうございます。やっぱり人間はまだまだ受け入れられにくいのでしょうか」
何だか皆に囲まれて申し訳なくなって言うと、雅と栄と楽が顔を見合わせた。
「いや~……そりゃ違うんじゃないかね。あんたがって言うより、千尋の嫁だからって感じじゃないかい?」
「そうだな……雅の言う通りだ。千尋の嫁なら人間だろうが龍だろうが石投げられてたと思うぞ」
「俺もそう思う。鈴が人間だって事はそんなに重要視してなさそう」
三人の言葉を聞いて鈴は笑顔を浮かべた。
「なら良かったです! もし人間だからと言う理由ならどうしようもありませんが、要は千尋さまの妻だと認められれば良いと言う事ですよね!? それなら自信があります!」
そう言って胸を叩いた鈴を見て栄が驚いたような顔をする。
「案外あんたは強いんだなぁ」
「そんな事はありません。私が強く見えるのは、神森家の皆が味方で居てくれるからです! 千尋さまもだから私は鬼になれるのですよって言ってましたし!」
鈴の言葉に何故か皆が顔を引きつらせた。
「いや、あの人は普段から割と鬼……」
「こら楽! 千尋に聞こえるかもしれん! それ以上はやめとけ!」
「別に本当の事じゃないか。あいつは鈴以外には大体鬼だよ。むしろその鬼も昔に比べりゃ大分優しくなったよ」
「それはそうだな。そもそもちゃんと毎朝起きてんのが偉い」
何か考え込むような仕草で腕を組む栄に皆の注目が集まった。栄はこの中で唯一の都に居た頃の千尋をよく知る人物だ。
「千尋さまは本当に毎朝起きてこなかったんですか?」
「おうよ。朝になっても昼になっても夜になっても、下手すりゃ次の日になっても起きなかったからな。布団の中でいつまでもグズグズして、布団の周りに本積み上げて――」
その時だ。突然頭上から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「栄」
その声を聞いて思わず嬉しさのあまり頭上を見上げると、そこには千尋がこちらを見下ろして空を泳いでいる。
けれど喜んだのは鈴だけで雅以外は一瞬で青ざめた。
千尋はゆっくりとこちらに下りてきたかと思うと、栄を押しのけて鈴の手を取って微笑んだ。
「鈴さん。栄の昔話は聞かなくて良いのですよ。何せ栄はお爺ちゃんですから、記憶が少々曖昧になってきているのです」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。それはもう。だからある事無い事言いますが、話半分に聞いていてくださいね」
にっこりと微笑む千尋の後ろで、栄がしきりに首を振っている。そんな栄を見て鈴はぽつりと言う。
「でも千尋さま、私はどんな些細な、たとえ大げさでも千尋さまのお話を聞くのが嬉しいのです。だって栄さんのお話に出てくる千尋さまもとても素敵だと思うので」
「……そうですか?」
「はい! 布団から出ずに本を読んでいたという事ですよね? それを聞いて私は流石千尋さまだなって思いました。だって布団から出る事よりも何か勉強したい事があったのだなと思うので。そしてそれを実行する千尋さまは素敵です!」
鈴に歌を教えてくれたお爺さんがよく言っていたのだ。「何でも良い。夢中になれる事がある奴は幸せだ」と。鈴もそう思う。だから本に囲まれて休みの日を過ごしていた千尋はきっとその時に幸せを噛み締めていたに違いない。
鈴の答えを聞いて千尋はパッと顔を輝かせる。
「鈴さん! あなたは本当に……どこまで私を肯定してくれるのですか! 聞きましたか? 栄。鈴さんはそんなだらしない私でも褒めてくれるような人なのですよ」
やけに饒舌に自慢げに言う千尋を見て雅と楽が肩を竦めて頭を抑えている。