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第411話

 鈴は千尋の手にそっと自分の手を重ねた。

「私はそんな千尋さまだったから、今の千尋さまがあるのだと思います。それにだからこそ龍神として振る舞えたのだと思いますよ」

「そうですか?」

「はい! だって対等だと思っていたら烏滸がましくて龍神なんて名乗れないと思いませんか?」

「それは確かに」

 鈴の言葉に千尋は噴き出した。

 千尋が地上の生物をお世話してやるぐらいの気持ちで居たから龍神を名乗れたのだし、地上の生物も千尋を祀る事に意義を唱えなかったに違いない。

 ひとしきり笑い終えた千尋は突然鈴の身体を抱き寄せて甘い声で言う。

「けれど、あなたに出会ってしまった。自分の気持ちに気付いた時、もう戻れないと覚悟しましたよ、色々と。そしてそれ以上に自分はやはり龍なのだという事を実感しました」

「実感、ですか?」

「はい。婚姻色もですし、あなたの為になら鬼にもなれるし、あなたを守るために何でもしようとしてしまう。あと抗えない発情期という物も知りました」

「それは私もです。自分の中にこんなにも強い思いがあるって事を知りませんでしたから。だからそこはあまり種族は関係ないのかもです」

「そうですか。ではお揃いですか?」

「はい! お揃いです」

 千尋はよくお揃いですか? と尋ねてくる。どうやら鈴と同じ気持ちだと知ると嬉しいようだ。

 けれどそれは鈴もだ。千尋も同じように思う事があるのだと知ると安心する。

「神森家にやってきて、ようやく私の人生は動き出した。そんな気がします」

 鈴が千尋の胸に頬を寄せて言うと、千尋は鈴の髪を撫でながら小さく笑う。

「それこそ私もですよ。あなたと出会い、私の人生に色がついた。動き出した。あなたと出会ってからの毎日はそれまで生きてきた年月など遥かに凌ぐほど尊い時間だと毎日思うのですから。何よりもこの私が毎朝あなたに早く会いたくて起きるぐらいですから相当ですよ」

「お揃いですね」

「ええ、お揃いです」

 まるで二人だけの合言葉のように囁き合うと、鈴はそっと目を閉じた。千尋のキスはいつも羽根のように軽く、澄んだ水のように心地よい。



 千尋は今まで都の誰にも自分を共有させなかった。いつも皆と一線を引き、穏やかな振りをして今いる世界をどこか遠い場所のように感じていた。

 誰にも自分の心を打ち明けなかったのは、誰とも共有など出来ないと知っていたからだ。所詮自分以外は全員他人だ。そんな風にずっと思っていた。

 あの日、自身を実の両親に競りにかけられた時からずっと。

 栄にだけは心の内を明かそうと思った事もあったが、結局それは出来なかった。千尋に近づきすぎた栄が標的にされたからだ。

 けれど今思えばあのとき栄に打ち明けたかったのは自分の心などではなく、ただ寂しさを紛らわせたかっただけだったのだと鈴に出会って思い知った。

「鈴さんは私にとって本当に女神なのですよ」

 腕の中で微睡む鈴に言うと、鈴はキョトンとした顔をして千尋を見上げてくる。

「私がですか?」

「ええ。あなただけが私の孤独に寄り添ってくれた。あなたは私よりもずっと神に相応しい。神はそういう存在であるべきだと教えてくれたのはあなたです」

 誰にも心を打ち明けなかったというのに、鈴だけは何も言わずともそんな千尋の心を慰め、癒やしてくれた。

 鈴は千尋にとって本当に救いの女神だったのだ。本人にはそんな自覚などまるで無いのだろうが、そんな所も千尋の理想とする神に相応しいと思っている。

 だから千尋は世界で唯一、鈴の事を尊敬しているのだ。

 千尋は鈴を抱き寄せてその小さな形の良い額にキスをした。

 これからもきっと色んな事があるだろうが、鈴とならその全てを乗り越えていけるという自信がある。

 いつの間にかそれほどまでに鈴は千尋のかけがえのない存在となっていた。



 鈴が千尋について都にやってきて一月ほどが経った頃。

 最初は慣れない都での生活に不安を覚えていた鈴だったが、千尋がこの一ヶ月ほど龍の姿で見学会と称して色んな所に鈴と千隼を連れ回してくれたおかげで、近所の事は少しだけ分かるようになってきた。

 いつもは屋敷の周りや都の中央部だけを見回って戻るのだが、今日は少し遠出をして千隼と三人だけの初めての旅行を兼ねた見学会だ。

 千尋は優雅に大空を泳ぎながら、ある一角を指さして珍しく緊張した声で言う。

「いいですか、鈴さん。何度も言いますが、あの塀の向こうはとても危険な区域です。あそこに近づかなければならない時は私か栄、もしくは雅を連れて行くのですよ」

 それを聞いて鈴は千尋の背中から顔を覗かせて地上を見下ろすと、ゴクリと息を呑んだ。

「あの塀は都の全てを囲っているのですか?」

 都に来てからずっと思っていたが、都は高い塀で仕切られている。千尋が指さしたのはその塀の外側だ。

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