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第408話

「欅通りに新しい装飾品のお店が出来たそうなの。女1人でそんな所に行けないでしょう?」

「そうですか? 別に女性1人で行っても誰も気にしませんよ。何せあなたは姫ですから」

「姫だから、よ。相応しい人と行かないと笑われてしまうわ。そういう訳だから千尋、付き合ってくれない?」

 それを聞いて千尋は肩を竦めた。どうやっても帰る気はないらしい。それならばさっさとその用事に付き合って早く帰って来るほうが合理的だ。

 千尋はそのまま踵を返してまだお茶を飲んでいる初を振り返った。

「何してるんです? 行きますよ」

「まだお茶を飲んでいるのに。あなたも飲まない?」

「飲みません。先程も言いましたが、私には休日の間にすべき事がありますから」

 淡々と抑揚のない声で言うと、ようやく初は立ち上がる。そんな様子を栄が一人ハラハラした様子で見ていた。

 久しぶりに家を出ると通りにズラリと大小様々な藁葺き屋根が並んでいる。そんな一般的な家とは違い、高官達の屋敷は赤い柱に白い壁。そして屋根はそれぞれの高官の色を表す藁がふかれている。

「地上は確か奈良時代でしたか。次の文化はどんな物が入ってくるのか楽しみですね」

 ぽつりと千尋が言うと、初はそれが聞こえなかったかのように発展途上の町並みに目もくれずに言う。

「見て、千尋。あそこの丘はもうあんなにも花が咲いているわ」

「そうですね」

 未だかつて初と何かを共有した事などただの一度もない。根本的に合わない。それでも周りは水龍である千尋の番は初だと信じて止まない。

 もうほぼ確定している千尋の番だが、千尋にそのつもりは一切なく、何ならこのまま一生、番などいらないと思っている事は誰にも内緒だ。

 新しく出来た宝飾店に辿り着くと、翡翠や瑪瑙で出来た簪が並べられている。

 そのどれも美しいとは思うが、それだけだ。

「さあ、お買い物をしてきてください。私はここら辺を調査してきます」

「え? ちょっと千尋!」

 宝飾店まで初についてきた。これで千尋の役目は終わりだと言わんばかりに千尋は踵を返し、丁度良い機会だと近くにあった書物店を覗くとそこには新しい地上の書物が入荷していた。

「管理人はしっかり仕事をしているようですね」

 この頃は地上の見張りは管理人と呼ばれる者たちがしていた。龍神が最後に地上に居たのはもう随分と前だ。千尋は初めて地上で生まれた三冊の本を手に取った。『古事記』『日本書紀』『万葉集』の初版だ。

 それを迷うこと無く購入すると、書物店の脇にあった石段に腰掛けて巻子本を解く。

 しばらくするとようやく買い物を終えた初がやってきて千尋の手元を見て呆れたような声を上げた。

「また本なの? 家にある本を終わらないうちに買うからどんどん貯まるのよ」

「それは仕方ありません。魅力的な本が次から次へと出るのですから。それにこれは初めての地上からの本。買わない訳にはいきません」

「地上の本? 冗談でしょ? そんな物を読んで何になるの?」

「特に何にも。ただ地上の暮らしを垣間見る事が出来ますね」

 この頃の千尋は人間に対して興味も無かった。ただ新しい文化をどんどん作り上げるという点だけは一目置いていた。

 けれど初はこの頃から一貫して人間を嫌っていて、千尋が地上の事に触れる事を嫌がった。

「返してらっしゃいよ、汚らわしい。無駄な事を学んでも何にもならないわ」

「無駄になる知識などありませんよ。どれほど憎い相手の事でも、相手を知らずに非難するのはただの我儘です」

「そうかしら。どうせ放っておいても滅ぶ生物の事なんて知らなくても良いと思うけど。あんな傲慢で思いやりも能力も無い生物は他には居ないわ」

 それは龍もでは。そう思ったが、千尋はそれは言わずに適当に頷くと、初が持っている風呂敷を見て立ち上がる。

「買い物は終わりましたか?」

「ええ、おかげさまで。あなたは本当についてきてくれただけだったわね」

 苦い顔をしてそんな事を言う初に千尋は当然だと頷く。

「そういうお願いでしたからね。それでは私はこれで失礼します。ああ、それから――休みはもう二度と屋敷から出ないのでよろしくお願いします」

「また籠るの? いいわ。あなたがその気なら私は勝手に毎日尋ねるから。それなら構わないでしょう?」

「どうぞご自由に。それでは」

 初はきっとこれから毎日屋敷にやってきては好き勝手していくのだろう。毎回休みの度にこんな事をされるのは本当に良い迷惑だ。

 けれど無下には出来ない。初は姫で、千尋よりも立場がずっと上だから。

「面倒ですね……いっそ地上に逃げたいですよ」

 家路を歩きながら、千尋はぽつりと呟いた。


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