「やはりそうだったのですね!」
「気づいていたのですか?」
「はい! 話しかけるといつも揺れてくれるのです。だからきっと見えない何かが沢山住んでいるのだろうなと勝手に思っていました!」
そんな事を言う鈴を見て千尋は柔らかく微笑んだ。
千尋の愛した少女は目に見えない者でも慈しみ、愛してくれる。だから精霊たちも彼女の愛に応えようとしてくれていたのだろう。
大きな根をつけたまま、あの大木がゆっくりと空に向かって昇っていくのを、千尋と鈴は固唾をのんで見守っていた。
やがて少しずつ神森家が失くなっていく。地上に降りて約千年。初めてこの地に降り立った時からずっと見守ってきた土地だ。ここに住む人々も発展した町並みも、全てが千尋の心に刻み込まれている。
そんな千尋の心に呼応したかのように鈴の手に力が籠もった。ふと見下ろすと、鈴は神森家を眺めながら静かに涙を零している。
「寂しいですか?」
思わず千尋が問いかけると、鈴は無言で頷いた。そしてぽつりぽつりと話し出す。
「私はここで生まれた訳ではありません。それなのに私の故郷はすっかりここになっていたんだなって。千尋さまの側に居られればどこでも構わないと思っていましたが、いざ離れるとなると急に切なくなってしまいました。もしかしたらmumも日本を離れる時、こんな思いを抱えながら船に乗ったのでしょうか」
「そうかもしれませんね。愛しい人と新しい土地へ行くのは嬉しくもあり、寂しくもあったでしょう。何せあなたのお母様は身内を全て置いていかなければならなかったのですから。ですが、あなたが生まれ新しい土地で生活をしているうちに、その思いはきっと寂しさから懐かしさに変わったに違いありません。たまに故郷を思い出し、あなたにその事を聞かせていくうちに寂しさや悲しさよりも愛おしさや喜びが溢れたと思いますよ。だからあなたはここをそんな風に思えるのですよ」
鈴がこの土地をそんな風に思える事が出来るのは、間違いなく両親のおかげだと千尋は思っている。
千尋の言葉に鈴はまた言葉無く頷いた。その眼差しはとても強く、この土地の事をまるで全て心に焼き付けようとしているかのようだ。
千尋は鈴の肩を抱いていつまでもその景色を眺めていた。
ここは千尋が守った土地だ。その事を千尋もまた心に焼き付けながら。
その後も続々と時間をかけて神森家の土地にあった物たちが都に運ばれていく。
そこへとうとう雅が疲れ果てた顔をして千隼を連れてやってきた。
「もう最後の仕上げだから千隼頼むよ。千隼、いいかい? 今から家が空を飛ぶからこっからしっかり見ときな」
「うん! パパ、だっこして」
「はいはい。雅、ありがとうございます」
「雅さん! 何か手伝う事はありますか?」
足元で抱っこをせがむ千隼を抱え上げた千尋のその隣で鈴がそんな事を言うが、そんな光景を見て目を細めていた雅が首を横に振った。
「別に何も無いよ。あたしたちだって特にやる事無いんだから。むしろあんた達が居たら皆が畏まってビクビクするからここに居な。特に千尋」
「それは申し訳ありません。それでは私達はここから高みの見物でもしていましょう」
「千尋さま!」
冗談を言う千尋を見て鈴は少しだけ眉を釣り上げる。そんな千尋達を見て雅は満足げに頷いて言った。
「ああ。それじゃあな! あたし達はあっちに先に行ってるからね!」
そう言って雅は猫に戻ってさっさと山を駆け下りていく。
それからしばらくして麓から一際大きな歓声が上がった。
「始まりましたよ、鈴さん」
「はい! 想像していたよりもずっと大掛かりなお引越しです!」
「すごいー! とんだ! おうちとんだよ!」
流星と羽鳥が張った結界の中を、屋敷が少しずつ空に向かって移動を始める。
全体の指揮をとっているのは息吹だ。その頭の上には何故か猫雅が乗って一緒になって指示を出している。
その周りを歴代の花嫁たちの石碑を抱えた栄が不安げに飛んでいた。何百もの龍たちが集まって我が家を運んでくれている。その光景は千尋の目に焼き付いた。
千尋は鈴の肩を抱いてゆっくりと話し出す。
「鈴さん、ここは私の大切な箱庭なのですよ」
「箱庭?」
「ええ。私の理想が全て詰まった、愛しい愛しい私だけの箱庭なのです。けれどその事に気づいたのは割と最近なのですよ」
屋敷もあの大木も庭も畑もそこで暮らす人達もすべて千尋が幼い頃に捨ててしまった夢だ。その事を思い出させてくれたのは紛れもなく鈴だ。
千尋の言葉に鈴がキョトンとした様子で千尋を見上げてくる。
「そうなのですか?」