「そうだったのですか……ところで私の香袋ってなんですか?」
「これです。これが私の理性を常に保ち、平常心で居させてくれたのです」
そう言って千尋が袂から取り出したのは鈴が千尋に持たせたハーブティーの中身だ。
「こ、これは飲み物のつもりでお渡ししたのですが……」
すると千尋はそれを聞いて目を丸くした。恐らくこの顔が「鳩が豆鉄砲を食らった」顔なのだろう。
「そうなのですか? これだけ違う袋に入っていたので私はてっきり香袋なのかと!」
「袋が違っていたのは入り切らなかったからで……ふ……ふふふ」
おかしな誤解をしていた千尋が面白くて思わず笑うと、鈴を見下ろして千尋もおかしそうに微笑む。
「ですが結果的には私を守ってくれたので良しとしましょう。まぁ、これからはこれに頼らなくても私はもういつでもあなたを愛でる事が出来るのですけどね」
そう言って千尋は鈴の腰を抱きかかえて自分の方に引き寄せ、おでこに軽いキスをしてくれる。
「ところで何か良い事があったのですか?」
「そうでした! が、楽さんが菫ちゃんに番の加護を渡したそうなんです! もう私ビックリしてしまって!」
「ああ、上手くいったのですね。良かった」
千尋の言葉に鈴が首を傾げると、千尋は小さく肩を揺らす。
「これは私と長男の秘密です。たとえ鈴さんでも教えられません」
「! 分かりました。では私もこれ以上は詮索しません。千尋さま、菫ちゃんは都で馴染めると思いますか?」
菫はあの通りの性格だから学校でも少し浮いていたとマチは嘆いていたが、そんな菫が龍の都にやってきて大丈夫だろうか?
思わず心配になった鈴を抱き寄せたまま千尋は言う。
「大丈夫ですよ。都にはどちらかと言うと菫さんのようなはっきりした方が多いので。むしろ都の方が彼女には友人が沢山出来るかもしれませんよ? 息吹とか」
「息吹さま! 確かに菫ちゃんと気が合いそうです!」
息吹のざっくばらんな性格と菫のはっきりとした性格は相性が良さそうだ。それを聞いて鈴は安心したように千尋の胸に身体を預けた。
「逆に都では鈴さんのような可愛らしい方の方が少ないので私は少し心配です」
「わ、私は特別可愛くはないかもしれませんが、そうなのですか?」
「ええ。鈴さんの人となりを知って良からぬ想いを抱く輩が後を立たないかもしれませんし……」
そこまで言って千尋は鈴を抱きしめる腕に力を込めるので、鈴も千尋の背中に回した腕に力を込めた。
「大丈夫ですよ、千尋さま。私には千尋さまだけですから。それにいざという時は千尋さまの加護が必ず私を守ってくれるはずです!」
「鈴さん……そうですね。あなたにはまた新しい懐剣も渡しておかなければ」
真顔でそんな事を言う千尋を見上げて鈴は思わず微笑んだ。どれほど鈴の事を心配しているのか、千尋の愛は今日も絶好調だ。
「千尋さま、これからもずっとずっとこうしていましょうね。これから先、何があってもいつまでもこうして抱き合っていましょうね」
鈴が千尋の胸に顔を埋めて言うと、千尋の手が小さく震える。ふと見上げると何故か千尋は角を出しているではないか。
「ええ、もちろん。あなたは私の世界でたった1人の花嫁ですから」
その声音がとても甘くて優しくて、鈴は思わず笑みこぼれる。
ふと千隼の声がして振り返ると、そこにはこちらに来たくても来られない楽と弥七が、今にもこちらに向かって駆け出そうとしている千隼を一生懸命抑え込んでいた。
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地上での最後の日、鈴と千尋は雅達に千隼を預けてあの山の上から手を繋いで街を見下ろしていた。
「千尋さま、あそこに見えるのがいつも行く百貨店でしょうか?」
「方角的にそうですね。鈴さんには見えないかもしれませんが、私達が行った活動写真館は今日も大賑わいですよ」
百貨店から視線を移すと、そこにはあの活動写真館が見える。今日の演目は一体何なのか、店の前には人だかりが出来ていた。
「そんな事までわかるのですか!? 千尋さまと暮らしているうちに、私の目もそこまで良くなればいいのに……」
「それは流石に難しいかもしれませんが、少なくとも目の病気にはならないと思いますよ」
こんな風に呑気に話してはいるが、実際は今は屋敷は大忙しだ。耳を済ませると下から色んな人達の張り切る声が聞こえてくる。
「鈴さん、ようやく抜けたみたいですよ」
千尋が指さしながら言うと鈴はそちらを見て感嘆の声を上げて手を叩く。
「凄い根っこですね! 都の土は合うでしょうか?」
「大丈夫でしょう。あそこまで大きくなったのですからちょっとやそっとの事では腐りませんよ。それにあの木にはもう精霊が住み着いていますから」
千尋の言葉に鈴が顔を輝かせて身を乗り出した。