「そうだよな。俺、邪魔になるかなって思ってたんだよ。気持ち伝えてお前の勉強の邪魔になったら嫌だなって」
「なるわけないじゃない。私が恋愛ごときで自分の信念を折ると思うの? 私は鈴の姉よ?」
その言葉に楽は思わず笑いそうになる。確かにその通りだ。菫にしても鈴にしても、他の人の意見に惑わされて自分の意志を曲げるような事はしない。
「そうだったな。お前もあいつも俺なんかよりもずっと格好良いんだった」
「そうでしょ? だからいつかあんたが言ったみたいに、私の卒業式に迎えに来てよ。そして私に『私の婚約者は私の卒業を待っていてくれたの』って言わせてちょうだい」
「よく覚えてんな」
「……当たり前でしょ。あれが……きっかけだったんだから……」
恥ずかしそうにボソボソと言う菫を楽はさらに強く抱きしめた。
「分かった。約束する。それからこれ」
そう言って楽は鏡を菫に渡した。それを見て菫は首を傾げる。
「鈴にさっき貰ったわよ?」
「これはお前にだよ。俺とお前だけに通じる鏡。出来るだけ毎日連絡する。英語、まだ全部教わってないしな」
これは建前だ。本音は毎日菫の顔が見たい。そんな単純な理由だけれど、菫は納得したように頷いて鏡を受け取る。
「……分かったわよ。でも試験の前には連絡しないから」
「それは分かってる。その時は俺はこっそり応援してる」
「そうしてちょうだい。さ! 早く出てって! 忘れてた課題を仕上げないと!」
「おう! 頑張れよ。鈴も勘違いして泣きそうになってたぞ」
「あんたみたいに?」
からかうような菫を見て楽は苦笑いを浮かべる。
「……覚えてろよ。いつか絶対に俺の事で嬉しくて仕方ないって泣かしてやるから」
「楽しみにしてるわ」
そう言って菫は今まで見たことがないぐらいに優しく微笑んだ。その顔が楽の脳裏に焼き付く。そしてようやく千尋の気持ちが痛いほど理解出来た。
菫のその笑顔に、一言にまるで全ての感情が一気に押し寄せてきたように胸に迫ってきたのだ。
「手、出して」
「なに?」
楽は菫の手を取って自然と溢れてくる力を菫に流し込んだ。胸の奥が震え、込み上げてくる力に楽自身が何よりも一番驚いた。
しばらくして手を放すと、菫は怪訝な顔をして手の平を見つめて楽を見上げてくる。
「なに? 何か熱かったんだけど」
「俺の番の加護。お前にやる」
「え!? 加護ってあの鈴が貰ったみたいな奴!?」
「うん。流石に千尋さま程の威力は発揮しないけど、邪な事考えてお前に近づこうとする輩は火傷ぐらいは負うと思う」
まだ力の弱い楽の加護ではそれがまだ精一杯だ。それでも無いよりはきっとマシに違いない。楽はもう一度菫を抱きしめて菫の耳にかかった髪をそっとかきあげて言った。
「待ってろ。絶対にお前の卒業式には迎えに来るから」
その一言に菫が腕の中で小さく震え、やがて頷く。そして楽にしか聞こえないような声でぽつりと呟いた。
「……待ってる」
と。
♥
いつの間にか鈴の隣から消えていた楽だったが、気がつけばいつの間にか鈴の隣に戻ってきていた。その顔は何故かここを出て行った時とは打って変わって晴れやかだ。
そんな楽が突然きちんと座り直すと、おもむろに勇とマチに深々と頭を下げた。
「どうしたんだ? 楽くん」
「あらあら、なぁに? 畏まって」
「おじさん、おばさん。俺、いつかそう遠くない未来に菫を嫁に貰いに来てもいいかな?」
「!?」
あまりにも突然の楽の言葉に思わず鈴が体ごと楽の方を見ると、緊張のせいか楽の拳が微かに震えている。
一方、勇とマチはそんな楽を見て怒るのかと思いきや、こちらも何故かとても晴れやかな顔をしていた。
「やっとその気になってくれたのか!」
「本当よ! あなたがいつまでも言わないもんだから、あの子ったら「こうなったらこっちから都に行くしか無いわね」なんて勇んでたのよ?」
「はは、ごめん」
「え? え?」
1人何が起こっているのか分からない鈴が皆の顔を順繰りに眺めていると、そこへようやく菫が戻ってきた。
「何やってんの?」
「菫! 今ね、お嬢さんを僕にくださいを聞いてたのよ!」
「いや~、親として菫が本当にどこかに嫁げるか心配だったが、これでもう何の心配もないな。本家も楽くんの人となりを知って……いや、龍となりを知っているから安心だと言っていたし! まさかうちの者から二人も龍に嫁ぐ者が現れるなんてな! 楽くん、孫の顔を早く頼むぞ!」
鼻息を荒くしてそんな事を言う勇の隣でマチも頬を染めて頷いている。そんな二人を見て菫は呆れ顔だ。
「二人共気が早いのよ」
「が、頑張る!」
「あんたも答えなくていいのよ! で、鈴は何をそんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてるの?」