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第398話

「心配? そんなのしなくていいわよ。だってあなたも戻るんでしょ? どうせ離れる人間の事をいつまでも心配してたら前に進めないわよ?」

「……お前」


 あまりにも平常時の菫の声に楽は思わず息を呑む。菫は泣いてなど居なかった。それに多分、近々こうなる事も予測していたに違いない。とっくに菫は鈴や楽と別れる心の準備をしていたのだ。


 その事に気づいた楽は全身から力が抜けていくのが分かった。そして思い出す。菫もまた鈴と同じように常に前を向き、人生を自分で掴んで行く人だったと。ここに1人取り残されていたのは楽だけだったのだ。


 楽は握りしめていた拳から力を抜いて、その場にずるずると崩れ落ちた。そんな楽を見て驚いたのか菫が楽の前にしゃがみ込んで顔を覗き込んでくる。


「ちょっと、大丈夫?」

「……大丈夫じゃない。なんか、うん……はは。自分の情けなさに驚いただけ」

「? よく意味が分からないんだけど……」


 目と鼻の先で首を傾げる菫を見て楽は大きなため息を落として心を決めて話し出す。


「千尋さまからお前に伝言だ。学校を卒業したら、その知識を都で発揮してくれないか? だってさ」


 千尋から貰った切り札はこの瞬間に切り札ではなくなった。そしてそれは楽が初めての失恋をした瞬間でもあった。


 けれど楽の言葉に菫は躊躇うこともなく頷いたかと思うと、楽の想像していた以上の答えが返ってくる。


「最初からそのつもりよ。鈴にも言われてずっと考えて、父様と母様ともこの3年間沢山話して決めたの。あんたの主が勧めてくれた道は私にとって最善だった。その上に高額な教育費まで出してくれた。でも私はそこまで優秀じゃないわ。この国を引っ張って行くほどの学力も胆力もない。その事は私が一番よく分かってる。でもどうにかして受けた恩は返したい。だから考えたのよ。都に行って教師をやれば良いんじゃないかって。鈴に聞いたんだけど、都の学校は寺小屋で止まってるんでしょ?」

「お、おう」


 確かにその通りだが、菫が一体何を言っているのか理解出来ずに今度は楽が首をひねった。


「だったら都に学校を作ってもらって、そこで教師をやるのが一番の恩返しになるんじゃないかって思ったの。学校の在り方は実際に学校に通っていた人間にしか分からない。そう思わない?」

「……思う」

「でしょ? それに龍たちが鈴にしてきた仕打ちや地上にしようとした事を私は絶対に忘れないわ。私達は隣り合わせで暮らしているのに、互いの事を知らなさ過ぎる。それが原因だったのなら、それを取り除くような教育が必要よ」

「そ、そうだな」

「そうでしょ!? だから私は一生をかけてあの人に恩返しと称して龍に復讐をしてやるわ。龍本位の歪んだ思想を正し、同じ神に創られた種族として共に歩んで行く未来にする為にね!」


 鼻息を荒くして息巻く菫の顔に楽は始終呆然としていた。


「え、お前、龍に復讐する為に都に来るの?」

「そうよ。悪い?」


 相変わらず滅茶苦茶な菫論に楽は一瞬ポカンとしたが、何かがふつふつと込み上げてくる。


 やっぱり菫が好きだ。それを伝えようとしたその時、楽よりも先に菫が顔を真っ赤にして早口で言う。


「だからあんたは先にあっちに戻って私が快適に暮らせるように体制を整えてなさい。それでいつかあんたが私を運べるぐらい大きくなったら、あんたと一緒に都に帰ってあげる。その時は私の復讐劇を手伝いなさいよね」

「……本気?」

「本気よ。あんたの他に龍の知り合い居ないんだから。それに都では力? あれをその、つ、常に流してないと駄目なんでしょ?」


 鈴に何を聞いたのか、そう言ってそっぽを向いた菫は首まで真っ赤だ。そんな菫を見て胸がキュっと締め付けられる。


 そしてこれは菫なりの告白なのだと気づいたのは、少しの沈黙が流れた後だった。それに気づいた途端、楽はもう我慢が出来ずに菫を力いっぱい抱き寄せる。


「ごめん。俺、また間違えた。さっきの千尋さまの伝言は本当だけど、俺が今日伝えに来たのは本当はもっと違う事だったんだ。俺はお前と都に帰りたい。お前でないと嫌だ。だからどうか俺と番になって欲しい。それで都に戻ったら俺の奥さんになってほしい。好きだ、菫。俺は今日、そう言いに来たんだ」


 心臓の音が菫に聞こえてしまうのではないかと思うほど、楽の心音は早まっていた。まるで心臓が口から飛び出しそうだ。


 恥ずかしくていつまでも菫を見ることが出来ない楽の背中を、菫がポンポンと叩いてくる。


「……知ってるわよ。あんたが私を好きだって事ぐらい、ずっと前から知ってる」

「……そっか。でも都に復讐しようとしてるとは思って無かった」

「そ、それは言葉の綾でしょ! だって、いつまでもあんたが言わないから!」

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