「都は今、発展途上です。ですが都にはまだまだ人の知識や知恵が足りません。だからどうかあなたのその力をいつか都の為に使ってはいただけませんか? と伝えてください」
「! それって――」
「鈴さんが都にやってくるでしょう? これをきっかけにきっと今まで以上に人と龍の距離は近くなると思うのです。ですが都はまだまだ龍が主体の世界です。人間の事を未だに見下す人も居ます。ただそれは人間という種族を龍が正しく認識していないからに過ぎません。鈴さんが来たら恐らく料理の方面が飛躍的に発展するでしょう。それに伴って教育の方も発展させていきたいのですよ」
「それを、菫に頼むんですか?」
「ええ。彼女は高等師範学校に通っているでしょう? 丁度良いと思いませんか?」
「それはそう、だけど……」
それではまるで楽の事がついでのようだ。そんな風に考えたその時、千尋の含み笑いが聞こえてきて顔を上げた。
「この話はあくまでも切り札です。私が鈴さんを都に連れて行く為に王政を壊し法律を無理やり変えたように、あなたもこの話を切り札に使いなさい。この話はあくまでもついでです。一番大切なのはあなたの心。雅の言葉を借りれば、あなたに出来る事は自分の想いを伝えた上で菫さんの憂いを取り払う事です」
そう言ってにっこりと微笑んだ千尋を見て楽は思った。やはり千尋は鈴が言うようにずる賢いな、と。そんな事を聞かされたら菫は絶対にやり遂げるだろう。
けれどそのやり方を楽は本当に出来るだろうか? 菫がその申し出を受けていつか都に来てくれるのは嬉しいが、想いを伝える事も出来ないまま菫が来るのは意味がない気がする。
「やって……みます」
「ええ。とは言え、あなたがどんな風に菫さんにお伝えするかはあなたの自由です。自分の頭でよく考えてくださいね」
「はい」
楽は頷いて千尋を見上げた。その顔は何かを心配するような、それでいて嬉しそうな不思議な顔だった。
翌日、楽は鈴と共に弥七に的場家まで送ってもらった。突然やってきた鈴と楽を見て最初は菫は喜んだけれど、鈴が鏡を取り出したのを見て何かを察したかのように視線を伏せる。
「ふぅん……で、いつ帰るのよ」
いつも以上に不機嫌な態度の菫に勇とマチが菫の膝を叩くが、それでも菫は一瞬足りともこちらを見ようとはしない。
「まだ分からないけど……でも、必ず千尋さまが何とかしてくれる! 絶対にまた会いにくるよ! だからそれまではこの鏡でお話が出来たらなって……」
そう言って鈴は鏡を机の上に差し出した。その鏡を受け取って勇とマチは思いの外にこやかに頷く。
「もう二度と顔を見ることは出来なくなるかもしれないと思っていたからこの鏡の存在は嬉しい。これは俺達が貰ってもいいのか? 鈴」
「はい! 菫ちゃんと叔父様と叔母様で使って貰えたらうれしいです! もちろん、本家の人たちも!」
「ありがとう、鈴ちゃん。どうか元気でね。身体には気をつけてね。千尋さまと仲良く、子育てはあまり無理をしないように、それから――」
「雅どの達もいるんだ。そう滅多な事にはならないだろう」
「あら、そうよね!」
鈴と勇とマチは談笑しているが、その隣で菫だけは一言も口を利かない。それどころか――。
「ねぇ、せっかく来てもらったんだけど課題を思い出したからちょっとだけ外れてもいい?」
「うん、もちろん。すぐに戻って来る?」
「ええ」
菫は突然そんな事を言い出したかと思うとそのまま部屋を出て行ってしまった。そんな鈴を心配そうに鈴が見送る。
「菫ちゃん……怒ってますよね……」
視線を伏せてポツリと言った鈴に勇とマチも神妙な顔をして言う。
「あれは怒っているというより、拗ねてるんだ。鈴、菫の事は気にしなくて良い。お前はお前の人生が豊かになるよう進むんだ」
「そうよ、鈴ちゃん。どんな時でも前を見てきたあなたで居るのよ。それに菫はあの通り天邪鬼だから手放しに喜んで送り出せないだけで、本当は誰よりもあなたの幸せを願ってる。だから大丈夫よ」
「っ……はい!」
涙を袖で拭った鈴を勇とマチが慰めるが、楽はそっと部屋を出て菫の部屋に向かった。きっと菫はあの時のように1人でこっそり泣いているに違いないのだ。
「おい、菫」
菫の部屋の前で楽が声をかけたが、いくら待っても中から返事がない。
それからも声をかけ続けたが、やはり菫の返事は無かった。業を煮やして襖を開けようとしたその時、ヌッと中から菫が顔を出す。
「っ! ビックリした!」
「さっきから何なの。課題が進まないじゃないの」
「聞こえてたんなら返事ぐらいしろよ! 何かあったかって心配すんだろ!」