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第395話

「そうですね。私だけでは出来ません。ですが、手伝いがあれば話は別です」

「……手伝い?」

「ええ。こちらでの手続きや用事を済ませたら栄に連絡をします。そうしたら流星がこの辺り一帯に結界を張ってくれて、栄や軍の方たちがその間に全てを移動させてくれますよ」

「あんた、あいつらに何て吹き込んだんだ……」

「吹き込んだだなんて人聞きの悪い! 私が持ち帰った大正時代の物件の見取り図では限界がありますからね。この屋敷を都に移動するのはあくまでも参考物件です。これはれっきとした都の事業の一環ですよ」

「……あんたは本当に性格が悪いね……」

「それは違います、雅さん! 千尋さまは性格が悪いのではなく、ずる賢いのです! 頭が良いのです!」


 両手の拳を握り締めて一生懸命抗議してくれる鈴に嬉しくもあるが、きっぱりとずる賢いと言われると少し複雑だ。


「そんな訳で特に何の準備も必要ありませんよ。ただあちらに戻る前にこちらでの最後の仕事を終えなければなりませんね」


 そう言って千尋は持ってきた風呂敷の中から皿と鏡を取り出して鈴、楽、そして喜兵衛に一枚ずつ渡した。


「明日、これを大切な方たちに渡してきてください。次にいつ地上に降りて来られるか分からないので」


 千尋の言葉に皆が神妙な顔をして頷いた。とりわけ鈴と楽は鏡を握りしめて思い詰めたような顔をしている。


「そんな顔をしないでください。法案が通れば誰でもという訳では無いかもしれませんが、また地上に降りてくる事が出来るはずですから」

「そうなのですか?」


 涙目でこちらを見上げてくる鈴の肩を慰めるように抱きかかえて千尋は頷く。


「時間は少しかかるかもしれません。ですが、私はその法案は絶対に通すつもりです。法が整備されたらすぐにでも動き出せるよう準備もしています。だから少しだけ、我慢していただけますか?」

「……っはい!」


 千尋の言葉に鈴はようやく安心したように笑顔を浮かべてくれる。そんな鈴にホッとしていたが、向かいでは楽がまだ神妙な顔をして鏡にじっと見入っている。


「楽?」

「あ、すみません……」


 千尋が声をかけると、楽はハッとして鏡を直して無理やり笑顔を浮かべ、千尋の膝の上で微睡んでいる千隼に手を差し出した。


「千隼そろそろ眠そうなんで寝かしつけてきます。千隼、そろそろ寝るぞ」

「……うん……にいたん、ねる?」

「ああ、寝る寝る」

「ん……だっこ……」


 そう言って千隼は楽に安心したように腕を伸ばし、楽に抱かれてリビングを出ていく。


「随分と楽に懐いてますね」


 何だか面白くないが、こればかりは仕方ない。千尋の少し拗ねたような口調を聞いて鈴が口元に手を当てて笑った。


「本当に良いお兄ちゃんなんですよ。今はもう楽さんのやる事全部やりたいって聞かないんです」

「ええ、そのようですね。少し妬けますが安心しました」


 赤ん坊の頃はともかく、千隼が大きくなってきたら楽は何か負い目のようなものを感じてしまうのではないだろうかと心配していたが、どうやらその心配は全くないようだ。


 それよりも鏡を渡した時の楽の方が気になる。


「鈴さん」

「ええ、行ってあげてください。楽さんは本当に心の底から千尋さまの帰りを待っていたと思うので。それに、きっと千尋さまに相談したい事も沢山あると思います」


 まだ何も告げていないのに鈴はそう言って千尋を送り出してくれようとするので、千尋はそんな鈴を思わず強く抱きしめた。


「あなたは本当に……」

「千尋さま?」

「ありがとうございます。すぐに戻るので先に寝ないでくださいね」

「えっ!? は、はい……」


 千尋の言葉の意図を汲み取ったのか、鈴はそう言って耳まで赤くして頷いた。そんな鈴を見て雅が眉を釣り上げ、無言で引き攣る喜兵衛と弥七を連れてリビングを出ていく。


 二人きりになったリビングは途端に静まり返る。そんな千尋の手の甲にそっと鈴が小さな手を重ねてくる。


「?」


 思わず千尋が鈴を見下ろすと、鈴はまだ顔を赤くしたまま中腰になって突然千尋に口づけてきた。


「!」


 突然の鈴の行動に思わず千尋が角を出すと、そんな千尋を見て鈴がはにかむ。


「おかえりなさいのキスです。ちゃんと部屋で待ってますね」


 そう言って立ち上がり逃げるように去ろうとする鈴の手を千尋は咄嗟に掴み、抱き寄せて深く口付ける。


「ただいま、鈴さん。続きはまた後で」


 そう言って手を放すと、鈴は真っ赤になって千尋を見上げてコクリと恥ずかしそうに頷いてリビングを去っていった。



 楽が千隼を寝かしつけていると、誰かがドアを控えめにノックしてきた。この気配は千尋だ。


 それに気づいた楽は完全に寝入った千隼に毛布をかけてドアを開けた。

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