鈴が都に嫁いで早100年と少し。都はあれからすっかり様変わりをしていた。
それと同じように地上もまた目まぐるしい進化を遂げていた。
元号が大正から昭和になりさらには平成、そして令和。
たった100年程の間にこんなにも元号が変わったのだ。もちろん、時代もそれに併せて進化している。
「千尋さま! 見て下さい、あの大きな塔!」
「あれが有名なスカイツリーですか。話に聞いていたよりもずっと大きいですね」
鈴は目の前に聳え立つ大きな塔を見上げて感嘆の声を上げた。隣では千尋もまた目を細めて塔を見上げている。
「父さん、母さん! のんびりしてたら置いていかれるよ! 菫ちゃんと姉さんは待ってくれないんだから! 璃鈴! 兄ちゃんの手放さないって約束!」
「えー! 恥ずかしいじゃん!」
「恥ずかしくない! こんな所で迷子になって呼び出し食らう方が恥ずかしいよ!」
「もー! わかったよ」
千隼はそう言って渋る妹、璃鈴の手をしっかりと握りしめた。
璃鈴は千尋との待望の第二子だ。
そんな璃鈴の事を顔立ちが完全に鈴だと千尋はいつも嬉しそうに語るが、鈴からすれば千尋にとてもよく似ている。とは言えどちらに似ても可愛い事には変わりないのだが。
手を引っ張られて千隼の後を追う璃鈴の姿は、楽の背中を追って歩いていた千隼にそっくりだ。そんな二人を見て鈴は微笑みながら答える。
「ごめんごめん。千尋さま行きましょう! 今からあの塔に登るそうですよ!」
「へぇ、楽は随分と下調べをしてきてくれたのですね」
「はい! 菫ちゃんと夏樹くんと考えたって言ってました!」
楽はあの後、約束通り菫の卒業式に花束を持って迎えに行った。そして唖然とする友人達を横目に菫は楽の胸に飛び込んだとか飛び込まなかったと聞いている
(いつ聞いてもここだけは何故か二人の意見が食い違うのだ)。
そしてその後すぐに菫が都にやってきて、その2年後には子どもが生まれた。夏に生まれたから名前は夏樹。それは可愛い雷龍の男の子だ。
鈴がそんな事を思い出していると、千尋は感慨深そうに腕を組んで頷く。
「そうでしたか。突然楽が私達の結婚記念日に地上への旅行ツアーをプレゼントしてくれるなどと言い出すから心配していましたが、菫さんもこの計画に関わっているのなら安心ですね」
「千尋さま! 全部聞こえてるんですけど!?」
はるか前方を歩いていた楽がクルリとこちらを振り返った。その隣から夏樹がこちらに向かって声をかけてくる。
「千隼、璃鈴、早く来いって! エレベーター次の回に回されるぞ!」
「すぐ行く! 璃鈴、抱っこするから捕まって!」
「うん!」
「それじゃあ父さん、母さん、僕たち先行ってるから! ちゃんとチケット持ってるよね!? 特に父さん!」
「大丈夫。千尋さまのも私が持ってるよ。気をつけてね」
「じゃあいいけど! それじゃ上で!」
そう言って千隼は璃鈴を抱いて夏樹の元へ走っていった。
「信用されていませんねぇ」
苦笑いを浮かべてしみじみとそんな事を言う千尋に鈴は思わず笑ってしまう。
「千尋さまはお仕事では鬼だと呼ばれる程お忙しいのですから、家では少しぐらいのんびりしているぐらいが丁度良いと思います」
「そうですか? これでも反省しているのですよ。確かに私は家では少々気を抜きすぎだな、と」
「そんな事は無いと思いますけど……私は温室でのんびりうたた寝している千尋さまを見るのが大好きですよ! 子どもたちもきっとそう思ってます!」
時折疲れ果てているのか千尋は温室でお昼寝をしている事がある。その時は必ず鈴の歌のレコードが小さな音でかかっていて、その度に鈴は嬉しくなってしまうのだ。
「そうだと嬉しいですね。自宅で何の憂いも無くうたた寝が出来る環境があるだなんて、本当に幸せな事です。こんな風に私が過ごす事が出来るのは、全てあなたが色んな所で支えてくれているからに他なりません。鈴さん、いつもありがとうございます」
そう言って千尋がそっと鈴の指に自分の指を絡めてきた。どれほどの年月が経っても千尋の美しさは相変わらずだ。
「こちらこそです、千尋さま。私が何の心配もなく都で幸せに楽しく暮らしていけるのは、千尋さまのおかげです。ありがとうございます」
鈴はそう言って千尋を見上げて微笑むと、エレベーターの列に並ぶ。
スカイツリーの上から見える景色は鈴にとっては圧巻だった。はるか彼方まで見渡せるその高さに感動していると、隣で千尋が楽しそうに呟く。
「飛ばなくてもこの高さまで登れるのは良いですね。ですがどうせならもっと他の場所も見たい……そうだ! 今度またいつかのように夜空に紛れて空の散歩をしましょうか」
「そんな事をして流星さまにバレたら大目玉ですよ!」
流星と息吹が都を統治するようになってからというもの、都の犯罪数が極端に減った。千尋がそれは流星と息吹が元々軍を管轄する所に居たからだと教えてくれたが、鈴はそれだけではないと思っている。毎日買い物に行く度にすれ違う人たちの顔を見るが、皆楽しそうなのだ。
それは流星と息吹、そして千尋や羽鳥を始めとする高官達が今もずっと皆の為に心を砕いているからに違いない。
「駄目ですか?」
しょんぼりと伺うような千尋を見て鈴は少しだけ考えて小声で言う。
「では、月が一番細い日にこっそりと抜け出しましょう!」
「ええ! 子どもたちにも内緒でデートに行きましょう」
「はい!」
また一つ楽しみが出来た。鈴はそんな事に嬉しくなりながらもスカイツリーの展望台から景色を見ていると、そこへ雅と菫がやってきた。
「あんた達、同じとこばっか見てて飽きないのかい?」
「あたし達そろそろ展望デッキにあるカフェに行くけど」
「えっ!? もう全部見たの!?」
「あんた達がお祖父ちゃんお祖母ちゃんみたいにゆっくりゆっくり見て回ってる間に、あたし達はもう一周してきたんだよ」
「お、お祖父ちゃんお祖母ちゃん……」
「雅は相変わらずせっかちですね。少しはこの景色を堪能したらどうです?」
「生憎あたしは景色よりも美味いもん食う方が幸せを感じる質でね。行くよ、菫」
「ええ。それじゃあ先に行ってるわね。場所分かる? パンフレットは持ってるの?」
「持ってる。これでしょ?」
「そうそれ。貸してみなさい。印つけておいてあげるから。あとあんた、夢中になったらボーっとする癖があるんだからちゃんとこの人と手繋いでんのよ?」
「う、うん」
「それじゃあ人並みに攫われないように気をつけてね! ちゃんと辿り着くのよ! 分からなくなったら電話してちょうだいね!」
「分かってるもん!」
あまりにも矢継ぎ早に言われてとうとう鈴が言い返すと、菫は最後の最後まで疑わし気な顔をして子どもたちを連れて去っていく。
「ふふ、相変わらずですね、彼女も」
「はい! 菫ちゃんって感じです」
それからも二人でゆっくり話をしながら展望台をぐるりと一周して遅れてカフェに行ったが、既に皆食べ終えた後で、結局鈴は美味しそうなデザートを食べそびれてしまった。
それから屋敷で待つ家族とお世話になっている人たちにお土産を買って、夕飯は皆で回転寿司という所に入ってみた。クルクル回るお寿司を見ているのが楽しくてついつい食べすぎてしまったのは内緒だ。雅など狂喜乱舞していた。
「なぁなぁ、俺この漫画喫茶って気になるんだけど」
楽の言葉に皆で観光雑誌を覗き込み、それを見て菫と子どもたちは顔を輝かせたが、雅は興味がなかったようで築地に行くと行って去っていく。流石猫だ。
「それじゃあここで一旦解散ね。集合時間に遅れないように気をつけて。それから――」
「うん! 何かあったら電話! でしょ?」
「そう。それじゃあね。子どもたちは連れてくわ」
「ありがとう。二人共良い子にね。静かにね」
「そんなに心配しなくても漫画を読んでいれば静かにしていますよ、きっと」
笑いながらそんな事を言う千尋に鈴は笑顔で頷いて皆と別れた。
帰りの道はあの神森の祠の辺りに深夜に落ちてくる。
皆と別れて何だかどっと疲れてしまって小さく息をついた鈴を見て千尋が小さく笑う。
「鈴さん、今度また近いうちに二人で来ましょう。その時はもっとのんびり見て周りましょうね」
「いいんですか?」
「もちろんです。申請さえ通れば今はもうどこへでも降りられる時代ですから。色んな所へこれから行きましょうね」
「はい! ですがもしかして千尋さまも本当は早く周りたかったですか?」
もしかしたら千尋もカフェに行きたかったのではないか。そんな事を考えながら千尋を見上げると、千尋は微笑みを浮かべて首を横に振る。
「私があなたと居て一番楽しく思うのは正にこういう時なのですよ。時間の共有の仕方が同じと言いますか」
「本当に?」
「本当です。私は美しい景色は何時間でも見ていたいし飽きません。あなたに会うまではずっと1人でそんな時間を過ごしていましたが、あなたは私と同じように何時間でも景色を楽しんでくれる。会話が無くてもあっても良いのです。ただ同じだけの時間、同じ物を見てくれるというのが最高に贅沢だと思っているのですよ」
目を細めてそんな事を言う千尋に鈴は頷いた。鈴も全く同じことを普段から考えていたからだ。
「これからどこで時間を潰しますか?」
千尋に尋ねられて鈴は考える間もなく神森と告げた。その答えを聞いて千尋は自分もだと言うように深く頷く。
タクシーを拾って神森の前までやってくると、まずは狐たちが管理しているあの神社に向かった。夜なので境内にはもう誰も居ないが、今もずっとここはあの狐一族が管理してくれている。
マシロは流石にもう天国に行ってしまったが、今の神馬はマシロの子孫が務めていた。
それから二人で暗い夜道を歩いて神森の屋敷跡に向かう。
都会はあれだけ栄えたけれど、ここだけはまるであの時から時が止まったかのように何も変わってはいない。それは今もなお龍神の住んでいる地として守られているからだ。
大きな屋敷とあの大木がこつ然と地上から消えた日、それはもう騒ぎになったと幸之助達が言っていたが、そのおかげでより龍が住んでいたという話の信憑性が増したのかもしれない。
鈴は千尋と手を繋いで祠の所までやってくると、二人で祠に手を合わせて裏山に登り、いつの間にか出来ていたベンチに腰掛けて町並みを見下ろした。
「明るいですね、千尋さま。まるで空の星が下りてきたみたい!」
「その表現はとても良いですね。当時はこの時間になると明かりなどほとんどありませんでしたが、今はとても賑やかです」
ゆったりとした時間が二人の間に流れていく。たまにどちらともなく思い出したように昔話をして、また景色を見るだけの時間に鈴は満足していた。
もうあの当時お世話になった人たちはどこにも居ない。
けれどそれを昔ほど寂しいとは思わなくなった。きっと生まれ変わり、今もどこかで笑顔で暮らしていると信じている。
鈴は千尋の手を取り頬を擦り寄せた。
「どうしました?」
「何となく、触れたくなりました」
「それは奇遇ですね。私もです」
千尋はそう言って鈴の頬を支えてキスをしてくる。鈴はそのキスを受けて思わず微笑んでしまった。こうしていると本当に時間が巻き戻ったみたいだ。
どれほどの時間を一緒に過ごしても、ほんの少しも気持ちは落ち着かない。千尋と居るといつだってドキドキしっぱなしだ。
それからどちらともなく頬を寄せ唇を何度も重ねた。そして言う。
「千尋さま、愛しています。ずっと」
「私もあなたをずっと愛していますよ。お揃いですね」
「はい! お揃いです」
明るい街と月がいつまでもいつまでも鈴と千尋だけを照らしていた。
いくつの時代が過ぎ去ったとしても、二人はきっとまたここへやってきて同じことをするのだろう。命が燃え尽きるその日まで。
そしてまた巡り合い、同じように恋に落ちるに違いない。