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第391話

「ボヤいてたぞ、栄。毎日おやつが芋なんだって」

「そうなんです。もう芋は飽きるほど食べましたよ」


 栄は馬鹿みたいにあれからも毎日芋を焼いていた。流石に千尋は食べ飽きてしまって、栄は最近毎日焼いた芋を近所にばらまいている。


 苦笑いを浮かべた千尋を見て息吹が笑って肘で小突いてきた。


「そんな日々ももう終わりだ。王がお前らの婚姻の許可を出したらな!」

「そうですね」


 そう言って千尋は懐に入っている書類を着物の上から撫でた。そろそろ流星に決まりそうだと分かった時から用意していた都での鈴との婚姻届だ。


 どれほどの時間、これを出したいと願っただろうか。あれからどれだけの年月が流れたのだろうか。鈴を都に連れ帰りたいと初めて願ったのは、いつだっただろうか。


 千尋は逸る気持ちを押さえて息吹に促されるがまま流星の居る部屋へと急いだ。


 流星の部屋の前には既に人だかりが出来ていて、高官達や手伝いの者、それからここで働く者たちが流星の姿を一目見ようと集まっている。


「すみません、通してください」

「ほら、散れ散れ! さっさと仕事に戻れ! お~い流星! 千尋連れてきたぞ~!」

「千尋くん! やっと来た!」


 息吹が部屋の中に声をかけると、部屋の中から流星が青い顔をして飛び出してくる。そして千尋を見るなり腕を掴んでそのまま部屋へと引きずり込まれてしまう。


「どうしたのですか、そんな悲壮な顔をして」

「どうしたもこうしたもないよ! ど、どうする? 本当に俺が王になっちゃいそうなんだけど!?」

「なっちゃいそうも何も、今しがたあなたが次の王に決まったのですよ」

「そ、そうなんだけど! それはそうなんだけどさぁ!」

「では王、最初のお仕事をしてもらえますか? この書類は全て新しい法案です。重要度が高い順に上から並べているので、署名をお願いしますね」


 そう言って千尋が流星に書類の束を渡すと、流星は真顔でそれを受け取ってそれを机の上に置く。


「まだ俺は王じゃない! 調印してない!」

「この期に及んで何を駄々こねているのですか」


 呆れた千尋の後ろから何かがヌッと差し出された。振り返るとそこにはニコニコした羽鳥が立っている。


「千尋、流星の言う通りだよ。まずはこれに署名してもらわないと」


 差し出されたのは王を承認する書類だ。そこには既に息吹の署名が入っていた。


「王妃にはもう署名貰ったんだけどな」

「息吹!? 何で俺より先に署名してんの!?」


 流石の千尋もこれには驚いて息吹を見ると、息吹はまるで何て事ないような顔をして腕を組んで尤もらしく頷いている。


「私は強くて格好良い龍と結婚したいんだ。相手が王だったら申し分ないだろ? そこに誰が署名しようとも、私はそいつと結婚するよ」

「はあ!? 俺以外とさせる訳ないでしょ!? あーもう! 何なんだよ!」


 愕然とした顔をして流星は羽鳥から書類を奪ってその場で急いで署名をする。その瞬間、固唾をのんで見守っていた高官たちが歓喜の声を上げた。


 かたや流星はと言えば頭を抱えて椅子に座り、大きなため息を落としている。千尋はそんな流星に近寄って一枚の書類を握らせ笑みを浮かべた。


「おめでとうございます、王。それではこれに署名をお願いします」

「は? 何言って……ああ、君は本当に……本当に自分の事しか考えてないな!」


 書類を見た途端、流星は苦虫を潰したような顔をして走り書きの署名をするなり皆に聞こえるように大きな声で怒鳴った。


「俺はここに宣言する。千尋と人間の娘、鈴との婚姻を許可する! これでいい!?」

「ええ。上出来です」

「どうしてそんな上からなんだよ! 王になって初仕事が千尋くんの婚姻届の受理!? 信じられないよ!」


 眉を釣り上げてそんな事を言う流星を見て千尋はようやく心の底から微笑んだ。


「まぁまぁ。鈴さんが来たら美味しい料理を振る舞ってくれますよ、きっと」

「絶対だからね!? 約束だからね!? まぁ……おめでとう。彼女たちが来るの楽しみにしてるよ。誰か、千尋くんを地上に送ってやって」


 流星の言葉に千尋は思わず流星を二度見すると、流星は諦めたように肩を竦めた。


「いいのですか?」

「良いも何も、君はちゃっかり自分の仕事を終わらせてるじゃない。その間にあれにも署名しとくよ。特に地上関連の奴」


 指さしたその先には先程千尋が持ち込んだ法案の束が置いてある。重要な書類とはつまり、地上関連の物だ。


「ありがとうございます、流星。これからもちゃんとあなたの下で働きますね」

「いや、君は程々でいいよ。とにかく早く迎えに行ってやりなよ。でないと息子君に顔忘れられるよ」

「それは困りますね。では行ってきます」


 千尋がそれだけ言って振り返ると、羽鳥と息吹が笑顔を浮かべて小さく拍手してくれている。


「おつかれ、千尋!」

「おめでとう、千尋。例のアレは任せておいて」


 そう言って羽鳥がウィンクをしたのを皮切りに、あちこちから祝福の声がかけられる。


 高官達は皆知っているのだ。千尋がこの数年間、鈴の為にどれほどこの都の改革をしていたかを。鈴を思ってしている事は全て結果として都の発展へと繋がったのだという事を。


 中には苦言を呈するものも居たが、実際出来上がった物を見れば皆が納得していた。それぐらい千尋は必死だった。人生の中でこれほどまでに働いた期間は無いのではないだろうか。


 千尋は仕事部屋に上着を取りに行く時間も惜しくてそのまま屋敷へ戻ると、薄手の着物で戻ってきた千尋を見て栄が目を丸くする。


「お前、その格好……上掛けはどうした?」

「仕事部屋に置きっぱなしです。そんな事よりも栄、私は地上へ下りてきます」


 早口で言った千尋は目を白黒させる栄を居間に残して自室に戻ると、急いで持っている着物の中で一番上等な物を選んで髪を結い上げた。


「おーおー、こりゃ本気のおめかしだな」


 苦笑いするような声が聞こえてきて振り返ると、そこには栄が壁に凭れて何やら風呂敷を持って立っている。


「いっぺんに連れて帰って来れないだろ。それにどうせあっちに何日か泊まるだろうし、これぐらいは持っていけよ」


 そう言って栄が投げて寄越したのは千尋が書き溜めた鈴に宛てた手紙やノート、その他にも色々入った風呂敷だ。


「ありがとうございます。それでは行ってきます。連絡するのでその時は栄、前に言ってた事頼みましたよ」

「おお、分かってる。皆によろしくな」

「ええ、お願いします。それでは」


 千尋は笑顔を浮かべて栄から受け取った荷物を持って屋敷を出た。そして真っすぐに地上への道が繋がる門に急ぐ。


 流星が調印を済ませた事でずっと廃止されていた地上への繋がりがまた再構築されたはずだ。


 門の前まで行くと、そこには流星の軍と息吹の軍の龍たちがずらりと並んで花道を作ってくれている。


「これは流石に大げさでありませんか?」


 千尋が言うと、一番手前に居た龍が順番に誇らしそうに声を張り上げた。


「王のご命令です! 千尋さま、どうぞ良い旅を!」

「そして、奥様やご家族を連れて無事のご帰還をお待ちしております!」

「ご結婚、おめでとうございます!!!」


 最後は全員に声を揃えてそんな事を言われて、何となく気恥ずかしく思いながらもその花道を通って龍の姿に戻ると、足元の門がゆっくりと左右に開いていく。


 扉が開くなり千尋は勢いよく地上に向かって飛び出した。あと少しで鈴に会える。


 まるで矢のように飛び出して行く千尋の耳にふと笑い声が聞こえた気がして一度だけ振り返ると、そこには龍に戻った流星と羽鳥、そして息吹と栄がこちらを見ているのが見える。


「鈴さん、いつの間にかあなたはこんなにも都に馴染んでいたのですよ」


 本人が居ないのにおかしな事だが、それこそが千尋が鈴と共に過ごしたいと思った一番の理由だ。


 鈴の温もりや優しさは周りに知らぬ間に伝染していく。そしていつしか千尋の心にすら染み込んで、あんなにも冷たかった心を溶かしてくれた。その思いは千尋を介して友人に、そして都全土に染み渡っていったに違いない。


 千尋は目を細めて鈴が待つ地上へ向かって空を駆けた。



 ある晴れた日のこと。何となくその日は朝から胸が騒いでいた。


 けれどそれは嫌な胸騒ぎではなく、何となく何かの吉兆なようなウズウズするような不思議な胸騒ぎだ。


 千尋が都へ戻って一切の連絡が取れなくなったあの日からもうすぐ3年が経つ。


 鈴はそんな不思議な気持ちを誰に伝える事もなく今日も用事をこなしていた。


「ちーはーや! それは元の所に置いてきて」


 鈴が洗濯物を取り込む足元で千隼がどこで拾ったのか、木の棒を振り回して遊んでいる。よく見るとそれは弥七が畑に立てていた作物の品種が書かれた札だったのだ。


「や!」

「嫌じゃないよ。それが無いと弥七さんが困っちゃうよ。その札にはお野菜のお名前が書いてあるの。だからその札が消えたら千隼が大好きなお芋もどこにあるのか分からなくなっちゃうと思うな」


 鈴が笑いを噛み殺しながら言うと、千隼は木をじっと見つめて何か考え込んでいたかと思うと、ようやく納得したように木の札を元の場所に戻しに行った。


「千隼は素直だねぇ」


 鈴から洗濯物を受け取りながら雅が言う。千隼は雅の言う通りとても聞き分けが良い。そりゃたまにはイヤイヤを発動するけれど、こちらの話をじっと聞いて納得したらちゃんと言う通りにする。

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