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第390話

「そんな事……私だって考えるわよ。それは酷い妹なんじゃなくて、いつまでも甘えたで姉が大好きすぎる妹の間違いなんじゃない?」

「はは! そうかも」


 菫の言葉に鈴は声を出して笑った。菫の言う通りかもしれない。菫には菫の人生がある。それは分かっているけれど、少しだけ楽を出汁にしてワガママを言ってしまった。


「菫ちゃん、菫ちゃんにはまだここでやり残した事沢山あるんだと思う。私は都に行っても菫ちゃんの夢が全部叶うように祈ってるからね。毎日欠かさずお祈りしてるからね」

「私もよ。あんた達がずっと、いつまでも幸せにいられるよう祈ってるわ。そしていつか、また必ず再会しましょう。約束よ」


 そう言って菫が小指を鈴の目の前に差し出してくるので、鈴は小指を菫の小指に巻きつける。


「うん、約束だよ」


 二人はそう言って笑い合って鈴は千尋の事を、そして菫は楽の事を話し合う。これは姉妹だけの内緒話だ。


 月日は矢のように流れ、鈴は日に日に千尋への想いを募らせていた。それは千隼が大きくなるに連れてどんどん千尋に似てきたからだ。


「顔立ちが甘ったるい千尋なんだよなぁ」


 ある日、雅が美味しそうにご飯を食べる千隼を見てぽつりと言った。


「甘ったるい千尋さま、ですか?」

「ああ。全体的な顔立ちとか雰囲気はあんたなんだけどさ、顔の中身があいつなんだよなぁ」

「俺もそう思うぞ。大人になったらモテるんだろうなぁ」


 楽は言いながら千隼の取り皿におかずを足してやっている。そんな光景をもう何度見てきただろうか。たまにそんな楽の姿を千尋に重ねてしまったりする時もある。


「でも千隼は人間と龍の子だぞ? モテるか? あいつらは相変わらず龍本位だろうし」


 弥七が煮物の肉に目を細めながら言うと、隣に座っていた喜兵衛が静かに首を振る。


「いや、自分はそうは思わないな。たとえ人間との子だろうが、水龍って事と千尋さまの子って事で多分凄く人気が出そう。最近の龍になった時の姿なんてビックリする程神々しいだろ」


 喜兵衛の言葉に全員がちらりと千隼を見て頷いた。


 千隼は最近また龍に変身する事が増えたが、その時の配色が半年の頃とは大きく違っていたのだ。身体全体は千尋と同じように水色なのに鬣は金色に輝き、鱗も光の当たり具合で金色に光っていたのだ。そんな千隼を初めて見た時、鈴は我が子にも関わらず思わず拝んでしまった。


「それはそうだな。楽みたいに真っ赤とか千尋さまみたいに水色とかでは無いんだよな」

「前に羽鳥さまが言ってたんだけど、人間の血が入った龍って二色の配色になるって言ってたんだ。だから俺もずっと楽しみにしてたんだけど、まさかあそこまでとは思ってなかった」


 楽は言いながら今度は千隼の口を拭いている。千隼はと言えば何故かさっきから一生懸命千尋の鱗にスプーンで煮物を与えようとしている。


「そうだったのですね……何で二色なんだろうってずっと思ってたんですけど、人間の血が入るとそうなるんですね!」

「そうらしいよ。羽鳥さまは一世代空いてるからそこまでじゃなかったけど、千隼は凄い出てるよな」


 感心したような楽の言葉に鈴は頷いて千隼を見た。本当に大きくなった。ここまであっという間だったような気もする。


「早くパパが迎えに来てくれるといいね、千隼」


 鈴が言うと、千隼はようやく顔を上げて口の周りに米粒をつけながら笑う。


 部屋に戻って千隼の寝る準備をしながらふと鈴はレコードを選ぶ手を止めた。


 そして振り返って千隼に問いかける。


「千隼は何が聞きたい?」


 鈴の問いかけに千隼はゴソゴソと寝台から下りてやってくると、字が読める訳でもないのにレコードの入った箱を覗き込んで一枚一枚床に放り出す。そして一枚のレコードを手に取り、鈴に渡してきた。


「これがいいの?」

「うん」

「分かった。それじゃあこれかけよう」


 そう言ってレコードをセットすると、機械音の後に続いて千尋が奏でるピアノが流れてくる。


 それは鈴が千尋と過ごし始めて一番歌った曲、アメイジング・グレイスの伴奏だ。それが流れ出すと千隼が鈴の膝の上に乗ってじっと見上げてくる。


「歌うの?」

「うん」

「もう遅いよ」


 こんな夜に流石に歌えない。鈴が首を振ると、千隼は鈴の胸に顔を押し付けてきてせがんだ。


「うたう! ぱぱのでままうたう!」

「!」


 それを聞いて鈴は思わず千隼を抱きしめて静かにアメイジング・グレイスを口ずさむ。


 龍は耳が恐ろしく良い。千隼もそうだ。千尋のピアノと他の人のピアノをいつだって聞き分ける。それが鈴には泣きそうになるほど嬉しくて仕方ない。


「早くパパに会いたいね、千隼」


 何気なく言うと、千隼が笑顔で言った。


「あえるよ」


 軽やかな千隼の声に鈴は微笑んで千隼を抱きしめてさらに歌う。


 気がつけば千隼はいつの間にか鈴の膝の上で眠ってしまっていた。そんな千隼の頭を撫でながら、鈴はそれからもしばらく気が済むまで千尋の伴奏を聞きながら歌っていた……。



♠ 

 さらに時が経ち、鈴と過ごした日々がまるで夢だったのではないかと感じ始めた頃、ようやくその日はやってきた。


 都全土から今も届き続ける次期王を選出する投書が、とうとう流星の名前で半数を占めたのだ。


 その日、千尋は相変わらず仕事部屋で休みも取らず書類を捌いていた。そこへさらに新しい書類を持ったあの娘がやってくる。


「千尋さま、今日はこれで終わりです」

「ありがとうございます。そこへ置いておいてください」


 淡々と千尋が言うと、娘は小さくお辞儀をしてちらりと机の上にある鈴の写真を見て立ち去っていく。


 娘は発情期をようやく終えたにも関わらず、今も千尋の行動に目を光らせていた。そんな彼女の行動にいち早く気づいたのは羽鳥だ。


『千尋、あの子うちで引き取ろうか』

『何故です?』

『う~ん……多分、あの子君に気があると思うんだよね。そういう子を側に置いとくの厄介じゃない?』

『なるほど。ではお願いします』


 そう答えたのが昨日だ。そして今朝、彼女に移動の通知が出た。それを見て彼女は千尋にそれからずっと何か言いたげだが、千尋はあえて何も尋ねなかった。千尋からすれば手伝いをしてくれるのであれば誰でも良い。


 やがて千尋が今日の仕事を終えて椅子から立ち上がると、娘は突然立ち上がって千尋を見上げて涙目で問いかけてきた。


「千尋さま、私、何かしたでしょうか?」

「何です、急に」

「今朝、移動通知が出ました……だから私に何か不手際があったのかと……」

「そうでしたか。ですがそれを勧告したのは私ではないのでここでの不手際は特に無かったと思いますよ。なので、それは栄転です。良かったですね、おめでとうございます」


 微笑んで言うと、娘は今にも泣き出しそうに顔を歪めた。大人の龍がこんな事でそんなにも簡単に涙を見せるのか。そう思いつつ千尋は娘が握りしめている通知が入った書類を取ると、中を開いてそこに署名を書き込み彼女に返す。


 そんな千尋の行動を見て娘は驚いたように目を見開いた。


「わ、私は千尋さまと一緒にお仕事をさせてもらって、とても楽しかった……それなのにそんな簡単に……私が居なくなっても構わないのですか!?」

「私は誰であろうと栄転する者を止めません。あなたがここで働いた事で上の者があなたの頑張りを認めた。それを上司の私が拒む必要がどこにありますか?」

「そ、それは……そうです、けど」

「新しい職場でも頑張ってくださいね。それでは、今日も一日お疲れ様でした」


 そう言って千尋が部屋を出ようとしたその時、娘が千尋の腕を掴んだ。


 そこで千尋はようやく羽鳥が言っていた事を理解する。確かにこれは厄介だ。


 千尋がため息を落としたその時、部屋に誰かが慌てた様子で駆け込んできた。息吹だ。


「千尋! 千尋はいるか!? ん? なんだ、こいつ」


 息吹は部屋に駆け込んでくるなり千尋と千尋の腕をしっかりと掴む娘を見て怪訝な顔をする。


「同僚です。それで、何かあったのですか?」


 あまりの息吹の勢いに千尋が尋ねると、息吹は娘の肩を叩いて言った。


「千尋は止めときな、お嬢さん。こいつあんたの名前すら覚えてないぜ、きっと」

「そ、そんなはず――」


 息吹の言葉に娘は怒ったように息吹を睨みつけるが、実際その通りである。


「名前など仕事をする上でそれほど重要ですか? 個人的な付き合いがある訳でもないのに。それで、そんなに慌ててどうしたのですか?」

「そうだった! 流星が半数取ったぞ! 今から調印だ! お前も参加するだろ!?」


 それを聞いて千尋は息を呑んだ。そしてすぐさま娘が掴んだ手を振りほどこうとしたが、娘は一向に手を離そうとしない。


「もちろんです。聞いていましたか? 私はこれから流星の所へ向かいます。放してもらえますか?」

「……本当に、名前を覚えていらっしゃいのです……か?」

「すみません。私は名前を呼ぶ必要のある方の名前しか覚えない主義です。あなたも頑張ってくださいね。行きましょう、息吹。早く鈴さんを迎えに行かなければ」

「おお! じゃな、お嬢さん!」


 それでも放そうとしない娘に業を煮やしたのか、息吹が無理やり千尋の腕を掴んで引っ張った。その拍子にようやく彼女の手が千尋の腕から離れる。


 廊下に出て早足で歩きながら千尋は息吹に礼を言った。


「ありがとうございます、息吹」

「良いって事よ! 栄に聞いた。恋文が毎日山程届くんだって?」

「迷惑な事です」

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